心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

うぐいすの初音

2017年02月28日 | 自然の営み

毎朝6時台に犬の散歩をしています。

お正月のころは、まだ真っ暗で反射材のついたたすきを掛けてでかけていましたが、1日1日と夜明けが早くなって、この頃は朝日を浴びながら歩くようになりました。

気温はまだ低く、氷が張るような朝もありますが、春は確実に近づいています。

 

一週間ほど前。散歩道、こんもりと茂った背の高いキンモクセイの木の中から、小鳥のさえずりが聞こえました。

ぺちょ。ぴぺちょ。ぴちょ、ぴちょ、ぴちょ。

ん?何の鳥だ?しばらく立ち止まって耳を傾けました。

ぴーぴぺちょ。

うぐいす?

ぴーぴぺちょ。ぴちょ、ぴちょ。

小さな声で、自信なさそうに、遠慮がちに鳴いていましたが、間違いなく、うぐいすでした。

まだまだ寒い朝、こんなにも早く、ウグイスの声を聞いてうれしくなりました。

(写真はイメージです。ウグイスは茂みの中で鳴くことが多いので、私は鳴き声は聞いても姿を見たことはないのです。)

 

一週間後の今日。ずいぶん遠くからでも、

ぴーぺけきょ。

はっきりと聞き取れる張りのあるいい声で鳴いていました。

すっかり明るくなった朝の空の下でした。

心證寺ウエブページ


おひな様の掛け軸

2017年02月19日 | 日記

お檀家さんのお家へお経に上がると、仏壇のとなりが床の間になっていることがよくあります。
床の間にはたいてい季節の軸が掛けられていて、この時期は、おひな様の掛け軸がよく掛けてあります。

(我が家の床の間に今掛かっている軸。)

表具のお仕事をしていらっしゃる方とそのおひな様の掛け軸を見ながら話をしていて、多くの絵に共通する決まり事のようなことが、いくつかあることを教えていただきました。

1,立ち雛を描いた掛け軸が多いこと。
立ち雛は、紙で作った人形です。江戸時代、ひな祭りの風習が庶民にも広まったころに生まれたようです。男雛は両手を広げた姿、女雛は袖をすぼめた姿に作られます。

2,着物の柄は「松に藤」が多いこと。
身につけている着物の柄が、男雛も女雛も、松の枝に藤がからんで花房が下がっている文様であることが多いようです。
藤の花房が見事に咲くのはゴールデンウィークのころで、桃の節句とは季節がずいぶんずれています。どうしてだろうと思って調べてみました。

(我が家の軸を拡大しました。)

平安時代、藤原氏が全盛を極めたころ、松は皇室、藤は藤原氏を表し、松に藤が絡んだ紋様は吉祥文様として盛んに使われるようになったようです。その後も能装束などの文様にもよく使われました。

江戸時代になって、おひな様に使われるようになったのは、松は男性、藤は女性を表し、松に寄りかかって藤は花を咲かせ、藤は不死にも通じることから、女の子が無事成長して、結婚して子宝に恵まれて幸せになりますようにとの願いが込められているからのようです。

理想の女性像や価値観は時代とともに変わりますが、伝統的な図柄は変わることなく受け継がれていくようです。


大荒行堂帰山式

2017年02月11日 | 日蓮宗

一宮市木曽川町黒田の法連寺で大荒行堂帰山式がありました。

日蓮宗には、11月1日から2月10日までの寒中百ヶ日、中山法華経寺に籠もり、午前3時から午後11時まで1日7回の水行、あとは読経三昧、書写行、食事は1日2回の水粥のみ、睡眠時間は1日二時間半というたいへん厳しい修行があります。

その大荒行を四度、通算400日の修行を無事終えられた木曽川町法連寺住職宮崎貞悟上人の帰山式が今日行われました。

法連寺は、黒田の妙見様として親しまれ、山内一豊の父と兄の墓所もある古刹です。

檀信徒の方が幟を立てて住職を迎えます。

小雪の降る中、7人の行僧とともに水行が行われ、

その後、本堂で帰山報告式が執り行われました。

心證寺ウエブページ

 

 


映画「この世界の片隅に」を見ました。

2017年02月06日 | 平和の祈り

映画「この世界の片隅に」を遅ればせながら見てきました。

いい映画との評判をよく耳にするし、キネマ旬報の年間第1位に選ばれたし、これは見ておかなくてはと思って見に行きました。

戦争の悲惨さ、愚かさ、冷酷さを描く映画だけれど、主人公はじめ、その日その日をけなげに明るく、時には笑い合って生きようとする人々に救われる映画だと聞いていました。

その通りでした。
しかし、やっぱり見ていてつらい映画でした。それは、どう描いても戦争という現実がつらい、そこから目を背けることができなかったからです。

(ここから先は、いわゆるネタバレになります。)

 

映画は、子ども時代の主人公が広島市内の繁華街にお使いに行くところから始まります。

「中島本町に行ってくる。」というセリフがあり、商店が建ち並び、多くの人で賑わう町のようすが描かれます。川の向こうにはドーム屋根の産業奨励館の大きな建物も見えます。

BGMは「悲しくて悲しくてとてもやりきれない。」と歌っています。

産業奨励館は今の原爆ドーム。中島本町は今の平和記念公園。中島本町は、西国街道沿いにあって当時中国地方一の賑わいを見せた町でした。

しかし、一発の原爆で町はこの地上から消え失せました。建物も人も生活も一瞬で蒸発してしまいました。本当に何も残りませんでした。住む人も復興する人も消えてしまいました。住む人のなくなったこの場所は、今、広大な平和記念公園になっています。

冒頭のシーン、明るく賑やかな場面なのですが、つらい結末が待ち受けていることがわかっているだけに、悲しくて悲しくてやりきれない気持ちになりました。BGMもそっとそのことを暗示しています。

 

主人公のすずは、子どもの頃から絵を描くのが大好きで得意でした。絵を描くことはすずをつらい現実から救ってくれました。

しかし、嫁ぎ先の呉の空襲で時限式爆弾がすぐそばで炸裂し右手を失ってしまいます。かろうじて一命は取り留めたのですが、もう絵を描くことはできなくなりました。

それよりももっとつらいのは、その右手で握っていたのが、姪っ子晴美の手だったことでした。晴美は即死でした。もし、繋いでいたのが左手だったなら、下駄を脱ぎ捨てて裸足で逃げていたら、道端の板塀の向こうにとっさに隠れていたら・・・。悔やんでも悔やんでも、もうどうすることもできません。自分が代わりに死んでいたかった。すずは自分を責めました。

晴美は、夫周作の姉径子の娘でした。

径子は広島の時計店に嫁ぎ、夫婦で店を切り盛りします。息子と娘が生まれますが、好き合って結婚した夫は病死、建物疎開で店は強制的に取り壊され、下関に移住することになります。姑との折り合いも悪く、径子は離縁して実家に戻ってきます。息子は跡継ぎということで下関に連れて行かれてしまい、娘の晴美だけを連れて帰りました。

しかし、その晴美も上で書いたように空襲で死んでしまいます。

径子は、愛する夫、二人で営んできた時計店、息子、そして、娘の晴美と大切にしていたものすべてを失ってしまいます。

 

すずは、晴美を死なせてしまった罪悪感と、右手を失い、激しくなる空襲の中、婚家の足手まといにしかならないとの思いから、広島の実家に帰ろうとします。いよいよ出て行こうとしたその日、径子にかけられたことばで婚家に残ることを決心しますが、まさにその日、広島に原爆が投下され、すずは命拾いをします。

しかし、その原爆ですずの母も父も妹も亡くなってしまいます。兄は既に戦死していました。すずも、この戦争で多くを失ってしまいました。

 

この戦争で何百万という人々が命を落としました。すずも径子も命があったという点では幸いだったというべきかもしれませんが、彼女たちが味わった悲しさ過酷さは、現代の私たちの想像を超えたものだったに違いありません。

戦争の悲惨さ、愚かしさを直接的に描くのではなく、世界の片隅で、希望と笑いを忘れず、一日一日をひたむきに、懸命に生きる人々の姿を描いたこの映画は、私たちに生きることの素晴らしさと平和のありがたさを教えてくれます。

それとともに、同じ過ちは繰り返してはいけないとあらためて思いました。

心證寺ウエブページ

かつて私が広島平和記念公園について書いた記事

 


節分は、”じゃばら湯”

2017年02月03日 | 日記

今日は節分。近所の銭湯「杉戸浴場」に行ってみると、こんなポスターが。

じゃばら湯?何が入ってるんだろう?と思いつつ入ってみると、湯船に柑橘類のぎっしり入った袋が。

じゃばらは、和歌山県北山村にしか自生しない幻の柑橘類だそうで、特に花粉症に効果があるとかで人気になり、村の財政危機を救う奇跡の立役者になっているんだとか。村では、「ジャバライダー1号、2号」なるキャラクターも登場して活躍中のようです。

北山村観光サイト

 

それはともかく、いちばん寒い季節、とっても温まりました。

銭湯から出てみると、のぼりが夜風に翻っていました。

杉戸浴場さん、がんばってるなぁ。

明日は立春。春はもうすぐそこ。

杉戸浴場

心證寺ウエブページ

 


日蓮宗の法要と音楽

2017年02月02日 | 日蓮宗

妙法蓮華経化城諭品第七にこんな話があります。

お釈迦さまは、周りにいる僧たちにお話になった。
「大通智勝如来という仏がまだ菩薩であったころ、本当の悟りに至る寸前、長い長い時間、足を組んで座り瞑想し続けたが、本当の悟りには至らなかった。そのとき、天子たちが天の花を降らせ、よい香りの風を吹かせ、天の鼓を打ち、音楽を奏でた。長い長い時が過ぎて、大通智勝如来はついに本当の悟りを得ることができた。」

今、日蓮宗の法要では、花びらを降らせ(散華(さんげ)といいます)、香を焚き、太鼓を鳴らし、 銅鑼や鐃鈸(にょうはち)というシンバルのような楽器を打ち鳴らします。上の話にあるように、仏さまを供養し、まだ仏になっていないご先祖などの霊魂に供養し、仏さまになっていただくためにそうしているのだろうと思います。

「にょうはち」です。

こんなふうに鳴らします。

回転させながら、こすり合わせて、”しゃら~”、 たたき合わせて、”じゃん!”

散華しているところ。

日蓮宗の法要の動画です。

3分50秒くらいから、にょうはちが鳴らされます。

一度ご覧ください。

心證寺ウエブページ