中島みゆきに「糸」という曲があります。
20年以上も前に書かれた曲なのに、今になってオリコンのカラオケランキングのベスト10に顔をだしたり、多くの人に知られ、愛されるようになってきました。
前にも書きましたが、中島みゆきの歌は、詩が素晴らしい。
まず、出会いというものの不思議さ。
この世に生を受け、だれかとめぐり合うのは、私たちの知らない、目に見えない大きな「何か」によるもの。人はそれを「運命」とか「神の意思」とか「因縁」とか、いろいろなとらえ方をしてきました。
「縦の糸は、あなた 横の糸は、私」
個性や価値観の違う二人が出会って、1+1が2になるのではなく、布という、新しい価値のものができる。
もっと素晴らしいのは、二人が出会って、結ばれて、二人は幸せになりました、というところで終わっていないところ。
「織りなす布は いつか誰かを暖めうるかもしれない」
「織りなす布は いつか誰かの傷をかばうかもしれない」
二人の出会いが、だれかの助けになる。
それも、「自分こそが」とか、「今こそ」とか、「助けねば」という自分が全面に出た、気負ったものではなく、二人が普段通りの生き方をして、知らず知らずのうちに、誰かの役に立つ、そういうこともあるかもしれない、そうなっていればなあという誠実さと謙虚さ。
現代を代表する詩人で、昨年お亡くなりになった吉野弘に「生命(いのち)は」という詩があります。
生命(いのち)は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい
花も
めしべとおしべが揃(そろ)っているだけでは
不充分で 虫や風が訪(おとず)れて
めしべとおしべを仲立ちする
生命(いのち)は
その中に欠如(けつじょ)を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ
世界は多分 他者の総和(そうわ)
しかし 互いに
欠如(けつじょ)を満たすなどとは
知りもせず 知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄(あいだがら)
ときに うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように 世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?
花が咲いている
すぐ近くまで
虻(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている
私も あるとき
誰かのための虻(あぶ)だったろう
あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない
人と人は、つながっていて、知らず知らずのうちに、他者のためになっているという内容です。中島みゆきと比べると、理屈っぽいくて長いかな。
中島みゆきの詩は、言葉が自然で、美しいメロディーとともに、心にすっと入ってきます。
そこには、日本人の普遍的な宗教的なものの見方があるように思います。
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