心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

旧一宮市内の寺町歩き1

2015年01月31日 | 路傍の仏

一宮は、城下町ではないので、寺町と呼べるようなところはないけれど、市の中心部の東側、旧鎌倉街道に沿って寺院が並んでいる。

 今日はそこを歩いてみた。

本町通りを南へ下り、豊島図書館の南、地蔵寺がある。

本町通りに面した西側から入ることが多いが、南側から入ると、立派な仁王門がある。

境内に入ると、大きな本堂の他にも、いくつかのお堂がある。

諸堂の裏手に回ってみると、

岩山の上にいらっしゃったのは、不動明王さま。

その奥は、墓園になっている。入ってみると、墓石よりも石仏が多いようだ。

四国八十八カ所あるいは、西国三十三所観音巡りができるようになっているようだが、石仏は100体以上あるようだ。

観音さま、阿弥陀さま、弘法さまだけでなく

 

不動明王や

  

龍神さま、倶利伽羅剣

 釈迦涅槃像まで。布団を掛けてもらって、涅槃寂静。

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名鉄尾西線観音寺駅の由来になった観音寺廃寺の石仏

2015年01月27日 | 路傍の仏

苅安賀から妙興寺へ向かう街道の両脇は、今でもお寺がいくつか残っていて、昔の風情を感じさせます。その道を歩いて南へ、尾西線の線路を越え、観音寺駅の南東、こんもりと木が茂っているのが遠くからでもわかりました。神社の杜かなと思って近づいてみると、荒れ果てた一角が。100m四方くらいあります。

もしやと思って中に入ってみました。

名鉄尾西線の観音寺という駅名は、昭和3年の駅開業当時、近くに観音寺という寺があったことからつけられ、その観音寺は現在は廃寺となっていると聞いたことがあります。ここは、その観音寺の跡でした。

結構大きな寺だったんだなと思いつつ中をぐるりと回って、森の中に石仏がいくつも置かれているのに気付きました。

歩きながらよく見ると、階段があったり、トンネルがあったり、池の畔を巡ったり、一つのルートになっていたようです。

西国三十三所観音巡りができるように配置されていたのでしょう。

     

聖観音、馬頭観音、千手観音、如意輪観音、いろいろな観音さまが祀られています。

中には、台座から滑り落ちてしまっているものもあり、そっと戻しておきました。

全く荒れ放題かと言えばそうでもなく、落ち葉が掃かれている部分もあるし、まだ新しい花が供えてある石仏もありました。時折訪れる人もあるのでしょう。

こつこつ整備したり掃除したりして、お参りできるような状態にしたいとも思いましたが、廃寺とは言え、管理している寺院なり宗門なりがあるでしょう。勝手に触るわけにはいきません。惜しいなあと思いつつ、そこを後にしました。

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円空仏

2015年01月26日 | 仏像巡り

円空仏を拝みに、羽島市の中観音堂(円空資料館)に行ってきました。

円空は江戸時代の初めごろ、この地に生まれ、山岳修行僧として諸国を遊行したようです。東北、北海道には、この頃の円空仏が多く残っています。

30代の半ば、この地に戻ったと思われ、檜の一木で十一面観音を彫り、ここに観音堂を建てたと言われています。

観音堂には、高さ2mを越える十一面観音を中心に、鬼子母神、聖徳太子など17体の円空仏が祀られています。近年ここに集められた円空仏もありますが、円空が30代半ばにこの地で彫った、十一面観音をはじめとする仏さまは、よく知られた円空仏の荒々しい大胆な作風と違い、丁寧に彫られた、素朴で、暖かく、何より優しい表情をしています。

羽島市歴史民俗資料館

東北地方には、平安時代の初め頃から、洗練された中央の文化とはやや違う、一木造りの仏像が数多くつくられ、残っています。

力強く素朴な作風で、わざと鑿跡を残してあるものもあります。一木造りであるのは、その土地の霊木とされた木を彫刻したからだと言います。

表情からは、荒々しい魂が宿っていることが感じられます。

円空は、東北を遊行し、みちのくの仏さまに触れる機会があたのでしょう。その土地の信仰、民衆の切なる救済への願いの中から生まれた仏さまを目にして、大きな影響を受けたのではないでしょうか。

(現在東京国立博物館で「特別展陸奥の仏像」開催中です。) (会期後はリンクが切れると思います)

 

中観音堂の隣には円空資料館があり、作風の変化など解説していただきました。

中観音堂から1kmほど北に長間薬師寺という寺があって、そこにも何体か円空仏が祀られていると聞きました。庵主さまが住職をしておられるが、外出中のこともあるからと、資料館の方がわざわざ電話してくださいました。

資料館を出て、10分ほど歩くと村の中に、薬師寺はありました。

本堂の厨子の中に、薬師如来、日光月光菩薩が身を寄せ合うように立っていらゃっしゃいました。

中観音堂の仏さまとよく似た、柔和な表情の仏さまでした。

庵主さま自ら解説してくださり、この薬師さまには一つの伝説があることを教えてくださいました。

(ここには、書かないでおきます。現地へ足をお運びください。)

 

中観音堂、薬師寺ともに仏像は禁撮影でしたので、上の写真は、中観音堂の境内にいくつも立っていた模刻のうちの一体です。

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ご首題帳

2015年01月25日 | 心證寺

今朝、「ご首題をいただきたいのですが」とひとりの女性がおいでになりました。

お寺に参拝した時に、寺院名や参拝日などを墨書して朱印を押すのを、一般には御朱印といいますが、日蓮宗では、「南無妙法蓮華経」と書くので、を「ご首題」といいます。

  

今朝おいでになった女性は、静岡県からいらっしゃったそうです。岐阜に用があって、尾張一宮で途中下車して立ち寄ったとのこと。なぜ、当山に?とお尋ねすると、このブログやHPを見たとのこと。ありがたいですね。見てくださってる方があって、こうして縁が結ばれる。これからも、しっかり書かねばと気持ちを引きしめ直しました。

心込めてご首題を書かせていただき、ご一緒に自我偈を一読、参拝者とご家族の家内安全、心身健全、所願成就を祈りました。

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中島みゆき 糸 いつか誰かを

2015年01月22日 | 日記

中島みゆきに「糸」という曲があります。

20年以上も前に書かれた曲なのに、今になってオリコンのカラオケランキングのベスト10に顔をだしたり、多くの人に知られ、愛されるようになってきました。

前にも書きましたが、中島みゆきの歌は、詩が素晴らしい。

 

まず、出会いというものの不思議さ。

この世に生を受け、だれかとめぐり合うのは、私たちの知らない、目に見えない大きな「何か」によるもの。人はそれを「運命」とか「神の意思」とか「因縁」とか、いろいろなとらえ方をしてきました。

 

「縦の糸は、あなた 横の糸は、私」

個性や価値観の違う二人が出会って、1+1が2になるのではなく、布という、新しい価値のものができる。

 

もっと素晴らしいのは、二人が出会って、結ばれて、二人は幸せになりました、というところで終わっていないところ。

「織りなす布は いつか誰かを暖めうるかもしれない」

「織りなす布は いつか誰かの傷をかばうかもしれない」

二人の出会いが、だれかの助けになる。

それも、「自分こそが」とか、「今こそ」とか、「助けねば」という自分が全面に出た、気負ったものではなく、二人が普段通りの生き方をして、知らず知らずのうちに、誰かの役に立つ、そういうこともあるかもしれない、そうなっていればなあという誠実さと謙虚さ。

 

現代を代表する詩人で、昨年お亡くなりになった吉野弘に「生命(いのち)は」という詩があります。

生命(いのち)は
自分自身だけでは完結できないように
つくられているらしい

花も
めしべとおしべが揃(そろ)っているだけでは
不充分で 虫や風が訪(おとず)れて
めしべとおしべを仲立ちする

生命(いのち)は
その中に欠如(けつじょ)を抱き
それを他者から満たしてもらうのだ

世界は多分 他者の総和(そうわ)

しかし 互いに
欠如(けつじょ)を満たすなどとは
知りもせず 知らされもせず
ばらまかれている者同士
無関心でいられる間柄(あいだがら)
ときに うとましく思うことさえも許されている間柄
そのように 世界がゆるやかに構成されているのは
なぜ?

花が咲いている
すぐ近くまで
虻(あぶ)の姿をした他者が
光をまとって飛んできている

私も あるとき
誰かのための虻(あぶ)だったろう

あなたも あるとき
私のための風だったかもしれない

 

 人と人は、つながっていて、知らず知らずのうちに、他者のためになっているという内容です。中島みゆきと比べると、理屈っぽいくて長いかな。

 

中島みゆきの詩は、言葉が自然で、美しいメロディーとともに、心にすっと入ってきます。

そこには、日本人の普遍的な宗教的なものの見方があるように思います。

 

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愛犬の死

2015年01月19日 | 日記

飼っていた犬が、死んでしまいました。心不全だったようです。

うちに来たのが8年前の2月。境内に迷い込んできて、本堂の階段下に居着きました。

首輪をしていたので、近所のスーパーに迷い犬の張り紙をしたりして飼い主を探しましたが、名乗り出はなく、うちで飼うことに。

末の子が、「フク」と名付けました。

本当にいい子でした。穏やかで、無駄吠えは全くせず、それでいて、散歩や食事は大喜びする。

こちらの言葉は、理解しているようだし、アイコンタクトで、フクの言いたいことが理解出来ました。

特に散歩は大好きで、しっぽを振り振り、毎日行き先を変えて。1時間くらいは歩きました。

朝夕の散歩は、だいたい母の仕事だったのですが、おかげで母は健康を保つことが出来ました。

私も、散歩にあちこち歩きました。集落の狭い路地を歩いたり、車に乗せて少し遠出したり、一緒に歩いていろいろな発見が出来ました。

毎晩食卓で、今日はフクと、どこそこへいった、誰に会ったと会話がはずみました。

 

いつも本堂下の階段の前でこんなふうに寝転がっていました。参拝者にも可愛がってもらいました。

フクのことを知らない人には、結構大きな犬なので、いるだけで防犯になりました。

名前をつけたとき小学校5年生だった末の子は、昨日、大学入試センター試験を受けました。子どもだった彼が、青年になるまで一緒に過ごした記憶は、生涯忘れることはないでしょう。

 

8年前、どこからかあらわれて、我が家に「福」をもたらし、静かに、元いたところへ帰って行きました。

 

境内の一角に埋葬して、桜の木を植えました。何年か後には、きれいな花をつけてくれるでしょう。

フク、ありがとう。

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PC故障

2015年01月18日 | 日記

PCが故障して、修理に出している間、更新ができませんでした。

電源ボタンを押してもうまく立ち上がらず、マザーボードの故障かと思いましたが、HDDとのこと。

データを吸い出してもらい、HDD交換しました。

データのバックアップは、こまめに取るようにしていましたが、やりかけの仕事などは、とりあえずデスクトップに貼り付けていて、困りました。

いつ、どんなことが起こるか、だれにもわからないものです。

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苅安賀城と心證寺6

2015年01月06日 | 尾張の歴史

江戸時代、心證寺のあった場所は、苅安賀村の中心でした。寺の門前は広場になっていて、六斎市が開催されたり、高札場になっていたようです。

心證寺には、寺子屋が設けられ、村の子どもたちが学んでいました。

明治6年、学制発布により、心證寺の寺子屋は寧静学校と名前を変え、公立の小学校になります。

(『中島郡政史』及び『愛知県教育史』による。)

 

明治24年、濃尾震災によって心證寺は倒壊します。濃尾平野のほとんどの寺院が倒壊したといいます。

心證寺の大檀越であった浅井氏は、当時東京に転居しており、旧一宮市内に日蓮宗の寺院がなかったことから、心證寺は、現在地、一宮市大宮(旧杉戸町)に移転、再建されます。

心證寺の跡地は、寧静小学校、苅安賀小学校と名前を変え、現在の大和西小学校になっています。昔のことを知る人の話を聞くと、西尾張中央道が建設されるまでは、大和西小学校の講堂脇には墓地や水路が残っていたそうです。

 

東海北陸自動車道の一宮西インターが建設される際に、愛知県埋蔵文化財センターが発掘調査をし、心證寺の寺域を画す堀割の遺構や五輪塔の一部、南無妙法蓮華経と書かれた卒塔婆などが確認されました。

愛知県埋蔵文化財センター調査報告書 第93集 苅安賀遺跡

 

現在、大和西小学校の校庭西側に「浅井星洲筆塚」という石碑が建っています。

浅井星洲は、幕末の絵師で、心證寺を創建した浅井氏の家に生まれ、京で四条派の絵を学び、帰郷しました。尾張藩主に愛賞され、御留筆として許可がなければみだりに描いてもらえなかったといいます。

一宮市博物館所蔵 浅井星洲『瀑布猿之図

かつては、心證寺の境内にあった筆塚ですが、苅安賀時代の心證寺を伝える唯一の名残となっています。

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除夜の鐘

2015年01月01日 | 尾張の歴史

大晦日の夜、あちらこちらから静かに除夜の鐘が聞こえてくると、今年も無事終わりました、来年もいい年でありますようにという気持ちになります。

日本人のこころのふるさとの一つになってますねえ。

でも、心證寺には、梵鐘がないんです。大正時代に刊行された『一宮市史』には、心證寺の梵鐘の銘について記載があるので、かつては梵鐘があったようです。

太平洋戦争時の「金属回収令」で全国の9割の梵鐘が回収され、溶かされてしまったといいます。それでどれだけの弾丸だか何だかが作れたのでしょうか。愚かなことをしてしまったものです。

一宮市の現在、九品地公園になっているところは、戦前、墓地があり、市内の鋳物工場経営者の方が息子さんの供養のため大正時代に寄進した大仏があったそうです。

しかし、戦時中に供出されてしまい失われてしまいました。戦後、名古屋市内で頭部だけが残っているところを発見され、戦争犠牲者を供養する大仏として作り直され、現在は犬山の成田山に奉納されているそうです。

元旦の犬山成田山・大聖寺 - 102:新生大仏

元旦の犬山成田山・大聖寺 - 102:新生大仏 posted by (C)kyu3

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