心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

今年もお盆の季節がやってきました。

2019年08月12日 | 仏教全般

今年もお盆の季節がやってきました。

お盆はかつて旧暦の7月15日前後に行われていました。
明治になって暦が新暦に変わると、農作業のサイクルや昔ながらの季節感を大事にして、ひと月遅れの8月15日前後に行うようになりました。

お盆休みも全国的に8月15日を中心として、ふるさとに帰省して墓に参り、仏壇にお盆のお供えをして手を合わせる人が多いと思います。東京を中心として、新暦の7月15日前後にお盆の飾りをしてご先祖様をお迎えする地域もあります。

この地域(愛知県一宮市)では、やはり月遅れのお盆が主流です。8月13日の夕方に迎え火を焚いてご先祖様をお迎えし、15日(16日のところも多いです)の夕方に送り火を焚いて送ります。

盆提灯は、ご先祖様が迷わず我が家に戻ってこられるようにとの目印といわれ、縁側の軒下につるす地域もありますが、この地方では走馬燈のように模様が回転するタイプのものを一対盆棚の両脇に置きます。

お盆の飾り方、お供えなどは、かつてはその家ごとに代々伝えられたものがあったようですが、近年は核家族化も進み、伝えられてきた風習は失われつつあるようです。

もちろん、昔と比べて生活様式が大きく変わり、昔と同じやり方を守るのが難かしくなってきています。今できる形でご先祖様を大切にお迎えできればいいと思います。

私がお参りに伺うお宅で、昔ながらのやり方がある程度守られているところでお許しをいただいて写真を撮らせていただきました。

仏壇の手前にテーブルを置いて、くだもの、やさい、そうめんなどをお供えします。


仏壇の前にテーブルを出して、まこも(真菰を粗く編んだゴザ)を敷き、ご先祖様お一人お一人の食事をお膳か木を薄く削った皿(経木)にのせ、おがらの箸を添えます。箸は奥側、つまり、ご先祖様から見て手前に置きます。

料理は、その家々で代々伝えられています。朝、昼、おやつ、夕の四食お供えする家もあります。そうめん、ぼた餅、団子、白飯、赤飯の他、きゅうり、なす、みょうが、冬瓜、しいたけ、ささぎ、里芋などの酢の物や煮物のおかずを添えます。毎食お精霊さまのために調理してお供えします。

 

毎食はとても作れないので、自分たちが食べるために作った食事の一部を取り出してお供えする家もあります。

お盆にお供えしたものは、かつては精霊流しとして川に流していましたが、現在では、特定のお寺で供養しています。

(市役所の案内等をご覧ください。一宮市の例

8月16日には、全国各地で花火大会が催されます。京都の五山送り火もこの日に行われます。盛大に送り火を焚いて、ご先祖様を供養しているのです。

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令和の時代に(現代日本のモアイ像)

2019年08月09日 | 平和の祈り

 令和とは、「うるわしく和す」という意味だそうです。令和の考案者として有力視されている国文学者・中西進さんは、「令和の典拠である万葉集の『梅の花の歌の序』は、九州の大宰府に役人ら32人が集まって開かれた梅花の宴の説明文です。誰か一人が歌を詠んでいるのではなく、32人が歌を通して集い、心を通じ合わせている姿。その和がいいと思います。」と述べています。一人一人が大切にされ、一人一人が力を合わせて良い社会を作っていきたいものです。

 今の日本を見ると、高齢者が増え、働く年代の若者が減って、農業工業の生産力は下がり、このままでは医療費や年金、介護のしくみが立ち行かなるでしょう。外国人の労働者をどんどん受け入れると言っていますが、一時的な安価な労働力と考えているだけで、外国人も社会の一員として地域社会に溶け込み、教育や福祉を受け、一緒に暮らしていこうという考えの人は少ないようです。女性が働いたり子育てしやすい環境もなかなか整いません。

 20年後、30年後には現在の社会のしくみが破綻してしまうことは確実です。しかし、多くの人は目の前の利益を守ることに一生懸命です。このままではいけないと気づいていながらも、大きな力で回り続けている現在の社会のしくみを変えていこうという思想は、権力側に立つ人々には持ちにくいようです。


 太平洋にイースター島という島があります。モアイ像で有名です。かつては全島が森林に覆われ、豊かな資源に恵まれ高度な文明が繁栄していたのですが、森林資源を使い果たしてしまうと、木造漁船の建造ができず漁業ができなくなり、森林の保水力がなくなって肥沃な土壌が雨で流出し農業もふるわなくなり、深刻な食糧不足に陥りました。部族間に争いが起こり、人口が激減し文明は衰え、その後、渡来したヨーロッパ人が持ち込んだ伝染病によって文明は完全に失われてしまいました。(奴隷狩りで多数の島民が連れ去られたという説もあります。)

 島には製作途中のモアイ像が何体も放置されています。森林資源を使い果たす最後の最後までモアイ像は製作されていたようです。モアイ像製作の足場、運搬のソリ、コロ、ロープなどに森林資源を大量に使います。このままモアイ像を作り続けたら、森はなくなってしまうと気づいていた人はいたはずです。しかし、伝統的な社会のしくみを変えることはできなかったのです。

 このモアイ像にあたる巨大なプロジェクトは、現代の日本にもたくさんあります。原発、諫早湾の潮受け堤防、長良川河口堰、日本各地の巨大ダム、イージスアショア・・・

 自分たちの頑張りが国家を動かしていると自覚している人の立場では、今の社会のしくみをそのまま回し続けることが今を生きていくために正しいことなのでしょう。しかし、一人一人の暮らしの目線から見ると、今、変えなければ将来必ず行き詰まることがはっきり見えてきます。

 仏さまの慈悲はだれにも平等に注がれます。だれにも仏性があり、等しくに仏になれるます。一人一人の人間は、男も女も、年寄りも若者も、日本人も外国人も、障害のある人もない人も、しっかりした人もだらしない人も等しく大切にされ、一人一人がその人なりにメンバーの一人となれるような社会でありつづけてほしいと思います。  

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