心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

旧一宮市内の寺町歩き2

2015年02月02日 | 路傍の仏

地蔵寺の東門から出て、北へ。

 

せまい宅地をはさんで、道路がYの字に分かれています。

左側が古くからの街道。右が戦後、計画的に整備された区画の道。

NTTビルの裏手を北上します。

ビルの屋上にあるのは、鐘楼。ビルの名前は、庚申ビルとあります。

麓にあるのは、庚申院。

その向かいに赤い鳥居。

くぐってみると

中はお寺。参道には石仏が。

ぐるっと回ると、山門に。

廻向院とありました。

常念寺は、立派な山門と本堂。

郵便受けは、かわいいお地蔵さま。

大雄会病院の向側の真光寺。本堂が新しくなりました。

バスが停まっていますが、幼稚園は、移転したようです。

つづきは、また。

 

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旧一宮市内の寺町歩き1

2015年01月31日 | 路傍の仏

一宮は、城下町ではないので、寺町と呼べるようなところはないけれど、市の中心部の東側、旧鎌倉街道に沿って寺院が並んでいる。

 今日はそこを歩いてみた。

本町通りを南へ下り、豊島図書館の南、地蔵寺がある。

本町通りに面した西側から入ることが多いが、南側から入ると、立派な仁王門がある。

境内に入ると、大きな本堂の他にも、いくつかのお堂がある。

諸堂の裏手に回ってみると、

岩山の上にいらっしゃったのは、不動明王さま。

その奥は、墓園になっている。入ってみると、墓石よりも石仏が多いようだ。

四国八十八カ所あるいは、西国三十三所観音巡りができるようになっているようだが、石仏は100体以上あるようだ。

観音さま、阿弥陀さま、弘法さまだけでなく

 

不動明王や

  

龍神さま、倶利伽羅剣

 釈迦涅槃像まで。布団を掛けてもらって、涅槃寂静。

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名鉄尾西線観音寺駅の由来になった観音寺廃寺の石仏

2015年01月27日 | 路傍の仏

苅安賀から妙興寺へ向かう街道の両脇は、今でもお寺がいくつか残っていて、昔の風情を感じさせます。その道を歩いて南へ、尾西線の線路を越え、観音寺駅の南東、こんもりと木が茂っているのが遠くからでもわかりました。神社の杜かなと思って近づいてみると、荒れ果てた一角が。100m四方くらいあります。

もしやと思って中に入ってみました。

名鉄尾西線の観音寺という駅名は、昭和3年の駅開業当時、近くに観音寺という寺があったことからつけられ、その観音寺は現在は廃寺となっていると聞いたことがあります。ここは、その観音寺の跡でした。

結構大きな寺だったんだなと思いつつ中をぐるりと回って、森の中に石仏がいくつも置かれているのに気付きました。

歩きながらよく見ると、階段があったり、トンネルがあったり、池の畔を巡ったり、一つのルートになっていたようです。

西国三十三所観音巡りができるように配置されていたのでしょう。

     

聖観音、馬頭観音、千手観音、如意輪観音、いろいろな観音さまが祀られています。

中には、台座から滑り落ちてしまっているものもあり、そっと戻しておきました。

全く荒れ放題かと言えばそうでもなく、落ち葉が掃かれている部分もあるし、まだ新しい花が供えてある石仏もありました。時折訪れる人もあるのでしょう。

こつこつ整備したり掃除したりして、お参りできるような状態にしたいとも思いましたが、廃寺とは言え、管理している寺院なり宗門なりがあるでしょう。勝手に触るわけにはいきません。惜しいなあと思いつつ、そこを後にしました。

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苅安賀追分の観音さま

2014年12月14日 | 路傍の仏

12日のブログに載せた「尾張名所図会」苅安賀全図のEの地点。

現在の国道155号と巡見街道が分岐するところになります。

その三角形の土地にお御堂があって、観音さまがいらっしゃいます。

中を拝見させていただくと、

十一面観音さまでした。蓮のつぼみの水瓶を手に、座っていらっしゃいます。光背に十七番と書いてあります。

西国三十三観音霊場の十七番は、京都の六波羅蜜寺。十一面観音が御本尊です。

お御堂の正面、屋根のすぐ下に扇形の額のようなものが上げてあります。

十七番  おもくとも いつつのつみは よもあらじ ろくはらどうへ まいるみなれば

      (重くとも 五つの罪は よもあらじ 六波羅堂へ 参る身なれば)

御詠歌でした。

そのお御堂の脇に古い道標。

右 名古屋 左 一ノ宮 浅井

側面には、弘化4(1847)年2月 異国船が各地の海岸に現れ、攘夷か開国かで国が揺れていた頃です。

かつては、道の南側にあったといいます。

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辻々の観音さま

2014年11月25日 | 路傍の仏

歩いて30分くらいの古い集落。辻々で仏さまが大切にされています。

立派なお御堂。扉を開けて拝ませていただくと、蓮の蕾を手にされた聖観音さまでした。

 

個人宅の敷地内にあるお御堂。私有地にあるけれど、通りかかった誰もが拝めるように塀の外になっています。


中には、十一面観音さま。左手には蓮華を生けた花瓶を持っていらっしゃいます。頭上正面の化仏には彩色が残っています。


最初の聖観音さまと光背の形、お顔立ち、大きさ、石の色などが似ているので、もとは一つところにあったものかもしれません。

自分たちの観音さま。いつも自分たちを守っていてくださると思うと、大切にお守りしようという気持ちになるのでしょう。

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如意輪観音

2014年11月12日 | 路傍の仏


7~8年前、境内に迷い込んで居ついた犬を飼うことにしたが、若い犬で、元気にあちこち散歩に連れ歩いた。散歩の途中、方々の集落で大切にされている石仏を拝むことができ、これもその一つ。立てた片膝に肘をつき、掌を頬に当て首をかしげてもの思いするお姿は、如意輪観音と思われる。いかにしたら人々を救えるかと思案していらっしゃる。膝の上で印を結び、大切そうに持っていらっしゃるのは如意宝珠。意のままに福徳をもたらすという。左手を挙げ、指先で法輪を支えていらっしゃるはずだが、生花の陰で見えない。仏さまは長い年月を経て角が丸くなっていらっしゃるが、祠や台座は新しくされて、お供えの花も新しい。区画整理で場所が移ったのだろうか。時代や環境が変わっても、祈りの気持ちは伝えられているようで、いいなあと思う。


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馬明菩薩

2014年11月11日 | 路傍の仏


旧尾西市の小さなお宮さま。津島神社と秋葉神社を祀ってある。その境内に小さな祠があって、のぞいてみると、厨子に彩色の神像。新しく修復されているようだ。
白馬にまたがっていらっしゃる。馬鳴菩薩だろうか。馬鳴菩薩は、養蚕の守り神として各地で信仰されているが、このあたりでもかつては養蚕が盛んだったのだろうか。馬鳴菩薩は、六臂で桑の枝や繭玉、養蚕の道具を手にしていらっしゃると聞くから、他の神様仏様かもしれない。どんな由緒があるのだろう。

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日蓮聖人の石像

2014年11月07日 | 路傍の仏


一宮市開明駅近くの集落の中、日蓮聖人の石像が建っていらっしゃる。3mくらいの築山の上、通りすがりに、はじめは、お地蔵さまかと思ったけれど、石段を登ってみると、台座に井桁に橘が彫られ、左手に経巻、右手に数珠を握っておられ、間違いなく、大聖人でいらっしゃった。東方を向いてお立ちになるお姿は、遠く安房国小湊を望んでいらっしゃるのだろうか。傍らには、日蓮宗の法号を刻んだ古い墓石もあり、信仰心の篤い家の方々がお建てになったものであろう。近くには、三十三観音のお堂やお地蔵さまの祠、神さまの祠なども大切に守られていて信仰が身近にある土地がらと思われた。
http://www.wa.commufa.jp/sinsyoji
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路傍の仏

2014年11月06日 | 路傍の仏
当山から歩いて5分くらいの住宅地の、さるお宅の前に小さなお堂があって、仏さまが祀ってある。
わたしが通っていた保育園のすぐそばで、その頃からあったのを記憶している。もう、50年近くも前の話。そんな頃は、気にも留めなかった。最近やっと、周りを見られるようになって、よく見ると、馬頭観音さまであった。左の一体は、3つのお顔に6本の腕、法輪や斧を手に、頭に馬の顔がついていて、馬頭観音さまとよくわかる。まん中と右は、形がほとんど失われてしまっていて、よくかわからない。しかし、目をこらしてよーく見ると、まん中の仏さまは、3つのお顔があったようにも見えるし、右の仏さまには、何か刻まれていた線が見える。空襲で破壊されてしまったのであろうか。それでも、大切に守られ、受け継がれている仏さまである。路傍の馬頭観音は、農耕や宿駅の伝馬で働いた馬の供養として祀られることが多いという。