心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

身延山朝日祖師堂の枝垂れ桜

2015年02月27日 | 日蓮宗

今日は東谷の桜をご紹介します。

覚林坊です。身延山中興の祖と仰がれる行学院日朝上人が開いたお寺です。

山門にかかる「行学院」の扁額は、本阿弥光悦の筆になりります。

夢窓疎石の作った庭園もあります。

 

東谷を登り、端場坊のところを身延山甘露門の方へ曲がらないで、そのまま東へ2kmほど行くと、朝日の祖師堂があります。

朝日の祖師堂は、日蓮聖人が身延ご入山の折、波木井公のお屋敷を経て、この辺りに差し掛かった時、ちょうど夜が明け、東の空に昇る朝日に向かって声高らかにお題目をお唱えになったという伝説から建てられたといいます。
山内で最も早く朝日が昇る所とされ、祖師堂内には立ち姿の祖師像が祀られています。

明治初期までは、宿坊があったそうですが、今では小さなお堂になっています。

朝日祖師堂に二本の枝垂れ桜があります。この写真は道沿いの桜、一つ上の写真は、祖師堂脇の桜。どちらも、樹齢400年といわれる立派な木です。ここまで訪れる人は、殆どないので、独り占めできる気分です。

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身延山西谷のしだれ桜

2015年02月25日 | 日蓮宗

日蓮聖人の御廟所を後にして、西谷を散策します。

信行道場です。日蓮宗の僧侶は、必ずここで結界修行を行います。

北之坊。樹齢500年ともいわれるしだれ桜が十数本もあります。

同じく北之坊。山門をくぐったところ。高台に階段状に境内が広がっています。

麓坊山門から下る桜並木。

身延山西谷には、古木のしだれ桜が数多くあります。歴史ある宿坊もいくつかあります。

車の通れる道から一歩中へ入って、狭い路地を歩いてみてください。しずかでのどかな風情が味わえると思います。

次回は、東谷の桜を紹介します。

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身延山、日蓮大聖人御廟所のしだれ桜

2015年02月24日 | 日蓮宗

今日は、久遠寺から西谷を下りながら、桜スポットを紹介します。

西谷は、どこを歩いても桜がきれいです。

大本堂横の斜行エレベーターを降り、駐車場を抜けて、西谷の坂を下ります。

西谷の一番上にあるのが本行坊です。西谷の宿坊は、久遠寺に登りやすいので、多くの宿泊客で賑わいます。

左側は身延川の支流。右の白い塀は,清水坊です。西谷の坂を下ります。下りはいいですが、登りは結構きついです。

若い修行僧は、毎日平気な顔で上り下りしています。

日蓮聖人の御廟所と御草庵跡への参道入口です。

御廟所参道です。

御廟所手前の常唱殿。御廟を望むことができ、御廟を唱題拝礼するための建物です。

「南無高祖日蓮大菩薩」の白い幟の奥、身延川にかかった石橋「霊山橋」を渡り、石段をさらに登った、身延川のせせらぎと木立に囲まれた静寂の中に日蓮大聖人の御廟はあります。ここに日蓮聖人は御草庵を構えて、法華経読誦に励まれました。日蓮聖人は「身延山は、お釈迦さまが8カ年法華経をお説きになった霊鷲山にも勝るとも劣らない聖地である。」と感じていらっしゃいました。

西谷散策、次回に続きます。

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身延山久遠寺境内のしだれ桜

2015年02月21日 | 日蓮宗

久遠寺の諸堂と桜のご紹介の続きです。

菩提梯を登り切ると、左手に現れるのが

五重塔です。

2009年5月に再建されました。 全て国産の木材が使用され、設計から工法にいたるまで400年前に建てられた元和の塔を復元しています。

塔の中には、日蓮聖人とお釈迦さま、四菩薩がいらっしゃいます。(通常非公開)


正面に見えるのは大本堂です。明治8年の火災により焼失していましたが、昭和60年(1985)日蓮聖人700遠忌の主要記念事業として再建されました。

文永11年(1274)5月17日、日蓮聖人は身延にご入山になり、西谷に御草庵を構え、法華経の流布と弟子信徒の育成に専念なされました。弘安4年(1281)11月24日には本格的な堂宇を建立し、自ら「身延山久遠寺」と命名されました。これが久遠寺の始まりです。

 

大本堂の東(向かって右)が棲神閣祖師堂です。日蓮聖人をお祀りしています。

祖師堂も明治8年の大火により焼失し、宗祖600遠忌を目前にした明治14年に再建されました。しかし、明治14年に新築されたものではありません。

江戸、雑司ヶ谷にあった感応寺の遺構といわれています。

感応寺は、徳川家斉の寄進により天保7年(1836)、豪壮な七堂伽藍が造営されたのですが、天保12年、家斉が死去するやいなや、天保の改革によりわずか5年で廃寺、取り壊しとなってしまいます。解体された用材が鎌倉妙本寺に保管されており、それを用いて建立されたということです。

建物を飾る立派な彫刻は、明治に再建されたときのものです。


祖師堂の右は、総受付をはさんで御真骨堂の拝殿。御真骨堂は、日蓮聖人の御真骨を奉安しています。

さらにその右、仏殿です。昭和6年、日蓮聖人の六百五十遠忌を記念して建立されたものです。 信徒の納骨・納牌・追善供養が毎日ここで営まれています。仏殿前のしだれ桜も樹齢400年といわれています。

次回は、久遠寺周辺の桜をご紹介します。


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日蓮宗の総本山身延山の春は、古木のしだれ桜があちらこちらで花を咲かせます。その2

2015年02月19日 | 日蓮宗

今日は、身延山久遠寺境内の諸堂と桜のご紹介です。

まずは、三門です。門前の商店街を抜けると、目の前に現れます。高さ21m。日本三大三門といわれています。

三門の楼内(2階)には、十六羅漢が祀られています。(通常は拝観できません。)

三門をくぐると、杉木立の参道の先に菩提梯が現れます。

 

(この写真は「身延山の歩き方」というサイトから転載しました。)身延山の歩き方

高低差104m、287段あるそうですが、一気に登り切るのは、20代の頃はできましたが、今は無理です。

 

菩提梯を登り切ると、五重の塔が現れます。

この続きはまた次回。

心證寺ウエブサイト

 


日蓮宗の総本山身延山の春は、古木のしだれ桜があちらこちらで花を咲かせます。その1

2015年02月17日 | 自然の営み

日蓮宗の総本山、身延山久遠寺一帯には、樹齢400年ともいわれるしだれ桜の古木が何本もあり、4月上旬頃、山のあちこちで美しい花を咲かせます。

その桜をご紹介したいと思います。今年の春、ぜひ訪れてみてください。

今日はまず、久遠寺境内の桜。

祖師堂横のしだれ桜。樹齢400年ともいわれます。このアングルは、ガイドブックやポスターによく使われます。

少し下がった位置から、しだれ桜の樹木全体をとらえたつもりですが、上が切れてしまいました。

同じ樹を別のアングルから。

記念撮影のベストポイントです。

身延山久遠寺ウェブページ

次回は、久遠寺内の諸堂と桜をご紹介します。

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空寒み花にまがへて散る雪に すこし春ある心地こそすれ

2015年02月14日 | 自然の営み

 

今朝、境内の木蓮は、少し雪化粧。冷たい朝でした。

日中になると、日差しは明るく、暖かくなってきました。

立春から10日も経つと、朝、明るくなるのが早くなってきたし、日暮れは、どんどん長くなっています。

立春とか、春分とかの二十四節季は、太陽の動きで決められているので、暑い、寒いに関係なく、日出、日没の時間、太陽の角度(日差しの強さ)は、どんどん春になっていきます。

 

午後、138タワーパークへ散歩に。

白梅が一輪だけ開いていました。

別の枝にも一輪。

ロウバイも一輪。

植物は、温度だけでなく、日の長さや日差しの明るさを感じとるしくみを持っているようです。

たんぽぽに

ほとけのざ

オオイヌノフグリ

ちいさなちいさな春を見つけることができました。

 

「すこし春ある心地こそすれ」


枕草子にこんな話があります。

清少納言のもとに、藤原公任から手紙が来て、開けてみるとこの句が書いてある。上の句をつけて見よという意味です。

公任は当時、最も学才に秀でた人、他にも名だたる人たちが公任と一緒に返事を待っているという。

清少納言は、自分が試されていると知って、震える手で

空寒み花にまがへて散る雪に」と書いて渡したところ、高い評価でほっとしたという話。

2月つごもり(末日)の、風の強い、雪が花びらのようにちらちら舞う日のことでした。

 

今日もまさにそんな日でした。

 

空寒み花にまがへて散る雪に すこし春ある心地こそすれ


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心證寺が創建され350年以上になりますが、先の戦争は、その歴史に最も暗くて濃い影を落としています。

2015年02月09日 | 平和の祈り

心證寺の半鐘に以下のような銘が刻まれています。

昭和二十年終戦ニヨリ日將三十年ノ朝鮮開教ノ法陣ヲ退キ空シク帰還 同二十二年當山ニ住職ス 然ルニ戦災ニヨリ堂宇悉ク灰燼ニ帰シ 復興ノ方途無キ窮状ニアルヲ観テ 昭和二十六年大垣市商工會議所會頭OOOO氏、桑名市議會議長OOOO氏、同市三山鋳造所長OOOO氏、日本宗教新聞社長OOOO氏、美濃清水住OOOO氏、桑名市議会議員OOOO氏等茲ニ復興後援會ヲ組織セラレ、自ラ萬金ノ浄財ヲ喜捨セラルノミナラズ 汎ク同志ノ寄金勧募ニ大イニ斡旋セラレ 茲ニ宿願ノ本堂再建ノ大業モ 六氏ノ熱烈ナル護法心ニヨリ近ク完成セントスルノ時會々、桑名市在住鑄師OOOO氏殿鐘ノ施主トナル 洵ニ奇特ノ至リ也
茲ニ上記七氏の深甚ナル菩提心ニ合掌銘記シテ現當二世ノ大願成就ヲ祷ルモノナリ
昭和二十七年七月 成等山第六世日將頓首合掌  (人名は伏せました)

昭和20年7月28日夜、一宮市はアメリカ軍の空襲を受け、700人を超える人々が焼け死に、8割を超える家屋が灰燼に帰しました。心證寺もすべて焼き尽くされ、当時の住職は、奥様、5人のお子さんと一緒に、境内にあった防空壕の中で亡くなりました。戦後しばらくは、住職も建物もない状態で、戦災の瓦礫捨て場のようになっていたといいます。
昭和22年、常楽院日將上人が住職として招かれます。日將上人は、岐阜県揖斐郡清水村の出身で大正7年、日蓮宗大学(今の立正大学)を卒業後、当時日本が併合していた朝鮮へ布教に渡ります。朝鮮でいくつかの日蓮宗寺院を建立し、信徒の教化に尽力していましたが、昭和20年、終戦により、すべてを朝鮮に置いたまま、身一つで日本に引き上げ、郷里清水村の兄の家に寓居していました。
日將上人が心證寺に招かれた当時、心證寺は戦災で焼き尽くされ、何もないところからの再建となりました。檀信徒の方々の住まいもまだ十分に整わない中、昭和26年に半鐘の銘にある6人の方々が中心となり心證寺復興後援会が結成され、多額の寄付が集められ、檀信徒の方々の丹精によって27年に本堂再建が成りました。その折、寄進された半鐘に、心證寺本堂再建のいきさつを刻したものが、この銘文です。

心證寺が創建され350年以上になりますが、先の戦争は、その歴史に最も暗くて濃い影を落としています。

もうこのような災いが二度と起きることがないようにしたいものです。


雨は、大きな樹木にも小さな草にも、美しい花にも何も名もない雑草にも、わけへだてなく等しく降り注ぐ

2015年02月08日 | 法華経

今日は雨。2月になって周期的に雨が降るようになってきました。まだ暖かくなったとは感じられませんが、草や木の芽は一雨ごとに大きくなっています。

雨は、大きな樹木にも小さな草にも、美しい花にも何も名もない雑草にも、わけへだてなく等しく降り注ぎます。植物は、幹や枝、茎や根、葉や花、皆それぞれに、大きさも形も色も香りも違うけれど、雨の恵みを受け取り、それぞれに応じて自分を生長させていきます。

これは、法華経の薬草喩品というお経に書かれている、仏さまの教えを雨にたとえたお話です。

当山の木蓮の蕾も少し膨らんできました。

 

高野喜久夫作詞の合唱曲「雨」については、以前書きました。(「水のいのち」)

実際の演奏を聴いていただくのもいいかなと思いましたので、youtubeのリンクを貼っておきます。

「水のいのち」より「雨」(岩手大学合唱団)

 

今日は、雨の歌をもう一つ。

雨     八木重吉

雨の音がきこえる
雨が降っていたのだ
あのおとのようにそっと世のためにはたらいていよう
雨があがるようにしずかに死んでいこう

多田武彦作曲により男声合唱曲となっています。

「雨」(広島大学グリークラブ)

大学生の頃、この歌に出会って以来、ずっと心の中に鳴り続けています。

八木重吉は、キリスト教徒だったそうですが、信仰を持っていることは、人として大切なことだと思います。

 


政治的な話題は書かないようにしようと思ってきたけれど。

2015年02月05日 | 平和の祈り

政治的な話題は書かないようにしようと思ってきたけれど、書かずにはいられません。

 

日本は、先の戦争で200万もの人々が無残に死んでいきました。

兵士も、男も、女も、子どもも、老人も、

銃撃され、船を沈められ、炎に焼かれ、爆弾で手足をもがれ、

熱病で、飢えで、苦しみながら叫びながら死んでいきました。

敵を憎み、勇ましく戦うことが国のためだと信じて、国を挙げて戦いました。

その結果、戦争は、かなしく、むごたらしく、つらく、むなしいものだと私たちはやっと気付きました。

そして、国と国が人を殺し合って、もめ事を解決することは、永遠にやめようと誓いました。

 

今なお、世界は、憎しみあい、殺し合っています。

悲しいことに、日本人もその中に巻き込まれてしまいました。

しかし、だからといって、殺し合いによってもめ事を解決することは永遠にやめようという誓いを捨て、

日本が殺し合いの渦の中に入っていくのは、間違っています。

日本人を救わねばと言って、海外に武力を派遣することは、

相手が反撃できなくなるまで、敵と名づけられた人たちを殺し続けることです。

 

世界の秩序は、戦いという殺し合いで、徹底的に、大量に殺した方が勝者となり、その勝者が築くものなのでしょうか。

 

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旧一宮市内の寺町歩き2

2015年02月02日 | 路傍の仏

地蔵寺の東門から出て、北へ。

 

せまい宅地をはさんで、道路がYの字に分かれています。

左側が古くからの街道。右が戦後、計画的に整備された区画の道。

NTTビルの裏手を北上します。

ビルの屋上にあるのは、鐘楼。ビルの名前は、庚申ビルとあります。

麓にあるのは、庚申院。

その向かいに赤い鳥居。

くぐってみると

中はお寺。参道には石仏が。

ぐるっと回ると、山門に。

廻向院とありました。

常念寺は、立派な山門と本堂。

郵便受けは、かわいいお地蔵さま。

大雄会病院の向側の真光寺。本堂が新しくなりました。

バスが停まっていますが、幼稚園は、移転したようです。

つづきは、また。

 

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