心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

お母さん、おいしい弁当をありがとう

2016年03月28日 | 日記

一番下の息子が、大学入学のため、いよいよあさって旅立っていきます。

東京にいる兄も戻ってきて、家族総出で引越し作業をします。

 

その一番下の息子は、高校3年間+浪人1年間、毎日、母親(私の妻)手づくりの弁当を持って通っていたのですが、その弁当を持っていった最後の日、つまり、大学の合格発表の前日、予備校から帰宅し、妻が弁当箱を開けると、中に手紙が入っていました。

さらに中を開けると、

この手紙を見て、夫婦二人で号泣したのでした。

翌日、合格発表。見事息子の受験番号はありました。

 

私たちは、3人の男の子を育てましたが、こうして一番下が巣立って行くと、いよいよ子育ても一段落したなあとしみじみ寂しい思いです。

こどもは、授かりものだとよく言いますが、どの子も、仏さまのところから私たちのところにやってきて、大きくなるまでの間、しばらく私たちのもとにいて、世の中に巣立っていきました。その間、親として喜んだり、心配したり、腹が立ったり、温かい気持ちになったり。さまざまな経験ができ、人間的に成長できたと思います。

心證寺ウェブページ


良顕寺で住職交代の法要がありました。

2016年03月27日 | 日蓮宗

一宮市の今伊勢町馬寄にある良顕寺という寺院で住職交代の法要がありました。

うちの寺とは、法類といって、師匠筋の寺院を同じくする親類の関係にあたります。

数日前には雨の予報もあったのですが、仏さまのご加護でしょうか、暖かな良い日になりました。

お稚児さんも出て、賑やかな法要になりました。

良顕寺は、戦前に熱心な信者によって布教所として設立され、代々、尼僧さんが宝燈を守ってきたのですが、この度の新住職は、男僧で佐賀県出身のお上人です。

檀信徒の方々とともに、近隣の日蓮宗寺院の僧侶総出で、手づくりの儀式法要を営みました。多くの人の助けがあってこそ、寺院運営は成り立ちます。

私も、何かあった時には、周りの方々から、快く手を差し伸べていいただけるような誠実な生き方をしようと改めて思いました。

心證寺ウエブページ


明日は、春彼岸の中日です

2016年03月19日 | 心證寺

明日3月20日は、春のお彼岸の中日(ちゅうにち)です。

当山でも春季彼岸施餓鬼法要を営みます。

今日はその準備をしました。

日蓮宗では、各家ご先祖の霊位を塔婆を立てて供養します。

境内の木蓮は、すっかり開ききって、今日は風に吹かれて、はらはらはらはらと盛んに散っています。

明日は、犬山妙海寺の田中恭遠上人の高座説教もあります。ぜひお参りください。

心證寺ウェブページ


浅井星洲筆塚の新聞記事

2016年03月16日 | 尾張の歴史

3月12日付中日新聞尾張版に、大和西小学校にある浅井星洲筆塚に説明板が設置されたという記事が掲載されました。

浅井星洲は、江戸時代末の画家で、心證寺の創設者、浅井氏の末裔です。

詳しいことは、心證寺ウエブページの「心證寺と苅安賀城をご覧ください。

 

その記事に心證寺のことが書かれてあり、何件か問い合わせをいただきました。

今日、大和西小学校を訪ねて、教頭先生のご案内で筆塚の案内板を見せていただきました。

説明文の最後のところ、心證寺について書いてあります。教頭先生にお聞きしたところ、心證寺のウェブページの記述を参考にされたとのこと。

恥ずかしいような、嬉しいような。でも、「この地は、苅安賀の中央に建てられた心證寺境内でした」という部分は、やや正確さを欠くと思い、教頭先生にその旨お伝えしました。

心證寺があった場所は、現在、東海北陸自動車道および西尾張中央道になっています。筆塚も平成10年頃までは、小学校の東門の脇にありました。高速道路の工事にともなって、大和西小学校は、校地の東側を一部削られることになり、講堂や校舎も全部建て替えられました。その際、筆塚も校庭の西側に移転しました。説明板の建っている「この地」は、心證寺の境内であったわけではないのです。

しかし、こんなすばらしい説明板が立てられ、多くの子どもたちが心證寺という寺があるということを知るようになると思うと、いい加減な活動はできないなと気の引き締まる思いです。

心證寺ウェブページ


今日は先代住職(父)の命日でした。

2016年03月13日 | 心證寺

今日は先代住職(父)の命日でした。亡くなってちょうど10年になります。

年忌法要は、3回忌、7回忌、13回忌のように、3と7の年に営むのが習慣ですが、こうして10年経ってみると10年は大きな節目だと感じます。

 

自分自身の10年を振り返ってみると、10年前、一番上の息子は高校生。今では、僧侶として檀信徒の皆様や地域の先輩僧侶に支えられて、研鑽、修行の毎日です。

真ん中の息子は中学生でした。4年前東京の大学に進学し、4月からも引き続いて東京で大学院生です。

一番下の息子は、まだまだ幼い小学生でしたが、思春期をくぐり抜けて4月からは大阪の大学に進学し、一人暮らしを始めます。

私たち夫婦は、この春結婚30年を迎えます。子育てが文字通り一段落しました。平均寿命が伸びているので、このあとまだ30年、夫婦でいられるかもしれません。そうすると、やっと折り返し地点だねと先日話しました。これからも2人一緒に成長して(年をとって)行きたいと思っています。

実は、私たちにはもう一人男の子がありました。生まれてすぐ仏さまのもとに帰っていったのですが、もし、私たちのもとで育っていたなら25歳になっています。明日が命日です。仏さまのもとで、兄や弟達のように成長しているんだろうなと思います。

今日、父と亡くなった息子の供養を家族揃って営むことができました。

家族の法要を営むということは、自分自身の生き方を振り返り、家族に感謝することなんだと、改めて感じました。

心證寺ウエブページ


境内の木蓮がもう開き始めています。

2016年03月12日 | 自然の営み

今日は、空気は少し冷たかったですが、雲もなく青空のとても明るい、いい日でした。

境内の木蓮が次々と開き始めています。

まだ開き始めたところで開ききっていないなので、実に品があって清楚な感じです。

うちの木蓮は、花の数が多いので、下から見上げると、もうこんな感じです。

青い空に白い木蓮。境内が狭く、樹木の少ない小さな寺ですが、この木蓮は毎年きれいな花をたくさんつけてくれます。

 

木蓮の写真は毎年撮っています。同じような開花状況の日付を見てみると、去年は3月20日、一昨年は3月25日。大震災のあった2011年は3月30日でした。

デジカメで写真を残すようになってから、今年が最も早いかなあと思います。

 

木蓮が開いてから10日ほどすると、桜が咲き始めます。

カレンダーでは新しい年は、正月から始まりますが、私は4月に新年度を迎える生活リズムを30年以上続けています。

空の明るさ、日の長さ、草花の芽吹き、開花。それらが私の体と心に春を知らせてくれます。

また新しい1年が始まる。どんな年になるんだろう。不安と期待、心の準備。もうそんな気持ちになりつつあります。

心證寺ウエブページ


一宮の町歩き(四ツ谷町)

2016年03月06日 | 自然の営み

今日は雨降りかと思っていましたが、意外に暖かないい天気で、散歩に出ました。 

名鉄一宮駅のすぐ南西、かつて四ツ谷町と言われたあたりです。巡見街道が通っていて、古い町並みを少し残しています。

古い住宅街です。風情があります。

こんな大衆食堂が。もう営業はしていないようです。

小さな神社やお地蔵様の祠などがあちこちにあります。

人々の生活のすぐそばに神仏が寄り添っているのが感じられます。

「平和神社」という小さなお宮がありました。この辺りは戦後、新生平和通りと呼ばれていたようです。

一宮市では、昭和45年の住所表示変更で古い地名が一斉に消えてしまいました。

稲荷堂。

熊野社。

大山祗社(おおやまずみしゃ)。

赤い鳥居のお稲荷様。

こんな祠や神社が幾つもあります。

一宮駅のすぐ近くなので、古い建物がどんどん取り壊されて、高いビルに変わっていきます。

昭和の匂いが濃厚な飲み屋街と高層マンション。

周りはビルに囲まれています。

あちこちで古い建物が解体中でした。

マンションに囲まれた古いお屋敷の庭で、古くて立派な梅が満開でした。

ひと枝、アップで撮ってみました。

この後何十年も咲き続けて欲しいと思います。

心證寺ウエブページ

 

 


木蓮が開花しました。

2016年03月05日 | 自然の営み

今日も暖かな一日でした。朝、境内に出てみると、木蓮がちらほら開いていました。

こんなに早く開いた年は記憶にありません。

松の根方では、叡山すみれも咲いていました。

明日は雨の予報。寒暖を繰り返しながら、春は一歩一歩近づいてきます。

心證寺ウエブページ