心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

百々ヶ峰に登りました

2020年02月11日 | 日記

岐阜市最高峰の百々ヶ峰(どどがみね)に登りました。

三田洞(みたぼら)の「岐阜市ながら川ふれあいの森」からスタート。

よく整備された登山道(というよりは遊歩道)を進みます。

昨日降った初雪がまだ融け残っています。

やまがら(山雀)もこんな近くに。

1時間半ほどで山頂に到着。標高417.9m

多くの登山客で賑わっています。

南には金華山と岐阜市内を流れる長良川。

北東には、右から中央アルプス、御嶽山、乗鞍岳。

下山後は、三田洞弘法に参拝。正式には「霊鷲山法華寺」と言います。

すごいお名前。

立派な参道

金ぴかの観音さま。

本堂は長い石段の上でした。

平安時代初期、嵯峨天皇の時代に弘法大師が法華経を講説した場所に開かれたお寺と言います。

当初はもっと奥まった所にあったものが、山津波に遭い、江戸時代の初め、現在地に再建されたそうです。

 

三田洞地区には、寺院、神社、小さな祠、お堂、石仏がたくさんありました。

昔から神仏の棲みたもう霊的な場所とされてきたのかもしれません。

三田洞弘法のすぐ前には、「神仏温泉」もありました。

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けやき並木が伐採されていました

2019年11月09日 | 日記

一宮市の本町通り8丁目、旧豊島図書館の南、地蔵寺の西に立派なけやき並木がありました。

空襲で市街地のほとんどが焼失した一宮市内ではめずらしく、通りに面した2階建ての屋根を越す高さの大木が両側合わせて20本ほど、逆三角形に枝を広げたけやきらしい姿をしていました。

芽吹いたばかりの新緑、濃緑の葉を茂らせて大きな日陰を作っていた盛夏、葉を黄色に染めて風に散っていく秋、ほうきを逆さにしたような枯れ枝が天に向かって伸びていた冬。季節ごとに道行く人々に潤いと豊かさを与えていました。

Google street viewより。2018年4月とあります。

まだ芽吹いたばかりで、あまり茂っていませんが、こんな感じでした。

今日の写真です。根こそぎ掘り取られていました。

昨年の台風で倒木があって駐車車両に被害があったようですが、やや面倒になっても完全伐採以外の折り合いの付け方があったように思います。

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定時制通信の高校で学ぶ生徒たちのスピーチ大会に行って来ました

2019年10月06日 | 日記

定時制通信制高校に通う生徒たちのスピーチ大会に行ってきました。

県内34の学校課程から1人ずつの生徒が発表。
34人それぞれが、家庭環境、貧困、体のこと、心のこと、親の死、いじめ、外国出身、さまざまな困難に直面して、くじけたり、逃げたり、反発したりした経験を持つ人たちですが、悩んだり、立ち止まったり、回り道をしたけれど、自分を見つめ直して、自分を見つけ、それぞれの人生を力強く歩き始めていました。


こういう場に出て人前で人生を語れるだけですごいことです。

順位がついて表彰があるのですが、ひとりひとりの人生に順位はありません。自分の生を大切に真剣に生きてほしいと思いました。


小松美羽展

2019年07月28日 | 日記

一宮市三岸節子記念美術館で小松美羽展が開催されています。

小松美羽さんは、まだ30代の若さですが、世界で注目を集め始める新進気鋭の画家です。

作品展は、国内、海外で次々に開かれ、ライブペイントのパフォーマンスがあちこちで開催されています。

世界各地のさまざまな賞を受賞するようになってきました。大英博物館にも作品が収蔵されました。

目には見えない聖なる世界と人間界の境界に立って、守護や導きをする、狛犬や龍のような姿をした「神獣」。それが近年の小松さんが描くモチーフとなっています。「人間の魂を聖なる世界へと導けるような作品を描きたい。」小松さんはそんな思いで神獣を描いています。

ライブペイントでは、色とりどりの絵の具を、手に取って投げつけたり、手のひらで塗り広げたり、指でなぞったり、チューブから、直接塗りつけたり、こそぎ落としたり、さまざまな技法を用いながら、頭に浮かんだ姿を、下絵もなしに、一気に書き上げます。

私たちの目には見えない世界が小松さんには、見えたり感じるたりすることができるようです。

作品は、小松美羽さんのインスタグラムでご覧ください。https://www.instagram.com/miwakomatsu_official/

三岸節子記念美術館

今日は、小松美羽さんのトークショー&サイン会が開催されたので行ってきました。

展覧会初日にライブペイントで描かれた作品が展示されていました。床には投げ捨てられた絵の具のチューブがそのまま残されていました。

ここを舞台にトークショーは行われました。

実を言うと、ここは美術館の玄関ホールで音が反響しすぎて、あまりよく聞き取れませんでした。

進行の人も、私たちが最も聞きたいことをうまく引き出しているようには思えませんでした。少し残念。

小松美羽さん自身は、とても丁寧に対応されて好感が持てました。

絵を描いているときの「何かが降りてきた」表情とは全く違っていました。

トークショーのあとはサイン会。一人一人丁寧に、サインに絵を添えて一緒に写真を撮らせてくださっていました。

今後のご活躍が楽しみです。

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「人生フルーツ」上映会

2019年07月01日 | 日記

一宮博物館で映画「人生フルーツ」上映会がありました。

「人生フルーツ」は東海テレビが制作したドキュメンタリー映画です。

2016年にテレビ版が放送され、手直しされて劇場映画として上映されました。

高い評価を得ていることは知っていましたが、商業ベースの映画ではなく、上映館や期間が限られ、鑑賞する機会はありませんでした。

今回「映画を楽しむ会」主催の自主上映会があり、鑑賞することができました。

博物館講座室にいっぱいの観客。上映を待ち望んでいた人がたくさんいたんだと感じました。

(上映中の写真を撮ることはできないので、写真は上映前のあいさつの場面です。)

上映のあとは、伏原健之監督のトークショーもあって、とても興味深く聞くことができました。

この映画は、ドキュメンタリーですが、ファンタジーのような映画です。

伏原監督は、ジブリのような映画をドキュメンタリーで作りたかったとおっしゃっていました。

高蔵寺ニュータウンで、自分が設計した風変わりな家に住み、雑木林と畑と果樹園を手入れしながら、生活の道具や食べ物を手作りし、鳥のさえずりと木漏れ日の中、季節のめぐりとともに、地に足をつけて、健康でゆっくりと生きていらっしゃるご夫婦のお話です。

ファンタジーのようですが、本当のお話です。

こんな生き方ができたらいいなあと、だれもが思います。

 

 風が吹けば、枯れ葉が落ちる。

 枯れ葉が落ちれば、土が肥える。

 土が肥えれば、果実が実る。

 コツコツ、ゆっくり・・・人生フルーツ

 

樹木希林さんの「やさしく深い」ナレーションが心に響きました。

ドキュメンタリーですが、何かを強く主張するのではなく、たとえば、人の生き方とか、夫婦のあり方とか、年の取り方とか、人生の終え方とか、都市計画の問題とか、住環境のあり方とか、農業や食品についてとか、効率優先の社会とか、観る人それぞれが、それぞれに、いろいろと感じることができる映画だと思いました。

この映画はDVD化しないと監督さんはおっしゃっていました。

パソコンやテレビの前で一人ふたりで観るのではなく、多くの人が集まる場所で多くの人が同時に共感し合うようなものであってほしいとの願いがあるそうです。

そういう意味では、今回は、上映後に自然と拍手が起こり、照明が点灯しても観客が席を立とうとせず、余韻に浸ったり、思いを共有しようとしているように思えて、とてもすてきな鑑賞会になったと感じました。

監督さんからパンフレットにサインをいただきました。

また次回も、すてきな映画を観たいです。

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羽島映画資料館で「ふるさと」を見てきました。

2019年06月01日 | 日記

羽島市に羽島市映画資料館という施設があります。

歴史民族博物館が併設された市立の施設です。

映画全盛時代に活躍した映写機やポスター、グッズなどが展示されています。

「映画の街柳ヶ瀬百年展」の一環として、映画「ふるさと」の上映会があり、行ってきました。

映画「ふるさと」は1983年、神山征二郎監督の作品で、岐阜県揖斐郡の旧徳山村が徳山ダムの建設により全村水没し、村が消えてしまう話を題材にしています。

岐阜県を舞台にした映画でしかもフィルムでの上映ということもあり、会場に入りきれないほどの観客が集まっていました。

上映に使われた映写機です。これが最後の上映になるそうです。機械はまだまだ使えるのですが、写すフィルムがもうないのだそうです。

今回上映に使ったフィルムは、最も状態のよい物を選んだそうですが、それでも退色が激しく、全体に赤みを帯びた色彩となっていました。

しかし、作品はそんなコンディションを全く忘れさせるほど素晴らしいものでした。

記録映画的な、村人がダム建設の賛否を巡って対立するような、社会的なテーマが前面に出た作品かと思っていましたが、全く違っていました。ふるさとが失われるという悲しさが根底にはありますが、もっと普遍的な、人が自然に抱かれて暮らすこと、人が人を大切に思い合うこと、毎日懸命に生きてきた場所がふるさとになることなど、しみじみと伝わってくる作品でした。観ていて自然と涙がこぼれました。

1983年というと世の中は、バブルに向かい浮かれ始める頃ですが、地に足の着いたすばらしい映画でした。

映画資料館を出て振り返ると、

建物の意匠が、かつてここにあった朝日館という映画館の外観を残したものだと気づきました。

後生に残しておきたい物はたくさんありますね。

一宮でも、シネコンなどではあまり見ることのできないけれど、すばらしい映画の上映会があります。よかったら足を運んでください。

映画を楽しむ会 「人生フルーツ」上映会


新しい元号は「令和」です

2019年04月01日 | 日記

きょう、新しい元号が発表されました。

「令和」でした。

いろいろな人が予測していましたが、言い当てた人はいないようです。

わたしも、「明」とか「開」とか「昭」とかつくのかなと考えていましたが、ハズレでした。

人名、地名、会社名などにも使われていないようです。

「意外」でした。

 

限りある「古典」(しかも仏典でない)から探してくる漢字2字のことばで、だれもが書きやすく、意味がわかりやすく、明るく穏やかで、発展的で平和的でM・T・S・Hでもなく、過去に使われたことがなく、人名地名企業名などを除いて、だれかの予想が的中することがなく、・・・となると、「意外」になってしまいますね。

余りなじめず、積極的に使おうという人が減ってしまわないか心配されます。西暦を使った方が便利という人も増えるかもしれません。

 

うちにあった「万葉集」(岩波古典文学大系)を開いてみました。

日本の古典から初めて元号が選ばれたというので、見てみたら、やまとことばではなく、漢文でした。

しかも、和歌ではなく、序文といって、和歌の詠まれた背景を説明した部分からでした。

于時 初春令月 気淑風和

時は新春のすばらしき正月 気はこころよく、風はおだやかに

この文を見ると、「和」と対になっているのは、「淑」です。なので「淑和」とすることもできたでしょうが、「淑」は難しいし、Sになってしまいます。

「令」というと「命令」とか「法令」とか、「~しむ」とかの意味がうかびますが、ここでは「すばらしい」という意味だそうです。相手方の親族を敬って「令息」「令嬢」「令室」というときの「令」です。

何年か経つうちに「令和」になじんで、今回の「去りゆく平成時代」「平成最後の」というように多くの人にとって人生の大きな区切りを表す言葉になっていってほしいものです。

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のむらしげ代とその仲間展

2018年07月22日 | 日記

障害のある子どもたちが描いた絵画の展覧会に行ってきました。

稲沢市の荻須美術館です。

「のむらしげ代&その仲間たち展」

明るい色づかい、画面からはみ出そうな勢い、どの絵も描きたい対象を思い切り描いています。

「インドの動物たち」仲良くぎゅっと集まっています。

「花火」色も形も構図もすてきです。

淡い色づかいの水彩画のように見えますが、ちぎり絵です。2mmくらいの小さな小さな色紙が隙間なく貼ってあります。

指導された先生のお話を聞くこともできました。子どもたちがこれほどの作品が描けるように成長していくには、技術の面でも意欲の面でもとても大きなご苦労があったようです。

できあがった作品を見ると、上手に見せたいとかいい評価を得たいとかの邪念がなく、伸びやかに色彩豊かで元気いっぱい。大胆な構図。屈託なく見えます。

そんなたくさんの絵に囲まれて、幸せな気分になりました。

愛知アール・ブリュット

ノムラアートクラブ

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西尾市の岩瀬文庫

2018年01月24日 | 日記

愛知県西尾市に岩瀬文庫という図書館があります。

まだ新しい建物で、中はまるで美術館のようです。

しかしここは、日本国内で例を見ない、古書専門の図書館です。

しかも、誰が行っても貴重な古書を手にとって閲覧することができるのです。

岩瀬文庫は、西尾市の実業家、岩瀬弥助という人が明治の終わり頃、私設の図書館として設立したものです。

私財を投じてあらゆる分野の古今の名著を集め、講堂や音楽堂、婦人のための閲覧室や児童館等を備えた建物を建設し、無料で市民に公開しました。

これは、大正時代に建てられた書庫で国の登録有形文化財になっています。

本館2Fの常設展示室では、古書のレプリカを手にとって触れることができます。

有名な「枕草子」

「春はあけぼの。やうやう白くなりゆく山ぎは。・・・」

古書というと、こういう文字ばかり、しかも解読不能な変体仮名の続け字の物を思い浮かべる人が多いと思いますが、岩瀬文庫には、植物図鑑、動物図鑑、化け物図鑑、絵巻物、名所図会のような、色とりどりに描かれた絵が中心の書籍がたくさんあります。

これは、”こんな本もありますよ~”的な案内シートです。

これは、「禽品(きんぴん)」という鳥類の図鑑です。(常設展示室のレプリカです。)

閲覧室で手続きをすれば、実際に本物の古書を手にとって見せていただくことができます。

私も植物や魚類、鳥類の図譜を何冊か見せていただきました。

どれも細やかな筆遣いと見事な彩色で美術品を眺めているようでした。

現代の我々は望遠レンズで撮影した写真によって鳥類などの瞬間的な動きや細かな羽の色などを見ることができますが、

離れた場所で動いている対象を肉眼で観察してここまで細かく描いてあることに驚きました。

現代の我々が失ってしまった能力なのかもしれません。

丸一日いても飽きることはありません。

また機会があったらぜひ行きたいと思いました。

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第26回杉戸寄席が開催されました。

2017年12月25日 | 日記

12月23日、近くの銭湯、杉戸浴場で第26回の杉戸寄席が開催されました。

寄席は、銭湯の脱衣所で行われます。

折しも12月23日は先代のご主人のご命日だそうです。先代が亡くなって、若女将が後を継ぎ10年。杉戸寄席も回を重ねて26回。町の銭湯として多くの人が集う場所になりたいとの思いから、若女将は杉戸寄席を始め、さまざまなイベントに一生懸命取り組んでいらっしゃいます。その間、多くの人との出会いがあり、助けられて今日まで来られたと涙ぐんでいました。

Koharu亭たいちろう、けいじろうの兄弟も出演。こちらはお兄ちゃんのたいちろう君。今日は絶好調でした。

弟のけいじろう君。最初に見たときは小学生低学年のかわいい男の子だったのに、ずいぶん大きくなりました。

けいじろう君は高校受検のためしばらく高座をお休みだそうです。

一回り大きくなって戻ってくるのを楽しみにしています。

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有松に行ってきました

2017年06月04日 | 日記

旧東海道の古い町並みが残る有松に行ってきました。

折しも、有松絞り祭り開催中でものすごい人出でした。

こうした古い伝統建築の家屋も住宅を開放し、絞り染め製品の特売を行っていました。

天狗も出没。頭を扇でなでてもらうといいことがあるようです。

山車も3台出ていました。からくり人形が演じられるようです。

絞り染めの実演もありました。

桶狭間古戦場が近くにあることから、「おけわんこ」というゆるキャラも登場して、PRしていました。

こういう古い建物を見て歩こうと思ってきたのですが、人出に圧倒されてしまいました。

町外れまで歩くと、ようやく人が少なくなり、風情のある古い町並みが現れました。

再び、人出の多い地区に戻り、母に絞り染めのワンピースと藤田屋の大あん巻きを買って帰りました。

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国宝犬山城に登りました③

2017年06月03日 | 日記

犬山城は高さ88メートルの小高い山の上にあります。

その登り口に三光稲荷神社と針綱神社があります。

こちらは三光稲荷神社。江戸時代、犬山城主だった成瀬氏の守護神だったそうです。

お稲荷さんらしく、朱鳥居のトンネル。

ハード型の絵馬。真ん中に「縁」の文字。少々やりすぎの感あり。

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国宝犬山城に登りました②

2017年06月02日 | 日記

国宝犬山城に登りました。

天守の最上階から外に出て、高欄のある回り縁からの眺めは絶景です。

天守からの素晴らしい眺望。眼下に木曽川が流れます。

写っているのは、犬山橋。かつては、車の通る道路橋の真ん中を名鉄の電車がそろりそろりと通っていました。

今は、道路橋が並行して架けられ、電車と車は分離されました。対岸は岐阜県鵜沼です。この日は御嶽山も遠望できました。

南方面を望みます。尾張丘陵と濃尾平野が広がります。

犬山城からは、稲葉山城(岐阜城)も小牧山城もすぐそこに見えます。

濃尾平野に展開する軍勢の動きは、手に取るようにわかったことでしょう。重要な軍事拠点だったことがわかります。

絶景の眺望を堪能して、天守を降りました。

続きます。

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犬山城に登りました ①

2017年05月30日 | 日記

妙海寺の晋山式後に国宝犬山城に登ってきました。

日本最古の天守閣と言われています。

近年の城ブーム、快晴の日曜ということもあって大変な人出でした。数年前とは雲泥の差です。城下町もきれいに整備されつつあり、まるで飛騨高山のような古い町並みの観光地にいるかのようでした。

麓から大手道を登り、復元された大手門をくぐると三層の天守が現れました。

天守台の石積みです。自然石をそのまま積み上げたような感じです。

名古屋城の櫓の石組みです。切りそろえた石の面を合わせてきれいに組んであります。

こうして比べてみると犬山城の古さがわかります。

天守閣に入場してみると、いきなり地下室のような空間になっていて、石垣とちょうなで削った痕が生々しい太い梁が現れます。

とても急なせまい階段を登っていきます。

最上階まで登ると、素晴らしい眺望が待っていました。

ちょうどいいところですが、続きは後日。

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おひな様の掛け軸

2017年02月19日 | 日記

お檀家さんのお家へお経に上がると、仏壇のとなりが床の間になっていることがよくあります。
床の間にはたいてい季節の軸が掛けられていて、この時期は、おひな様の掛け軸がよく掛けてあります。

(我が家の床の間に今掛かっている軸。)

表具のお仕事をしていらっしゃる方とそのおひな様の掛け軸を見ながら話をしていて、多くの絵に共通する決まり事のようなことが、いくつかあることを教えていただきました。

1,立ち雛を描いた掛け軸が多いこと。
立ち雛は、紙で作った人形です。江戸時代、ひな祭りの風習が庶民にも広まったころに生まれたようです。男雛は両手を広げた姿、女雛は袖をすぼめた姿に作られます。

2,着物の柄は「松に藤」が多いこと。
身につけている着物の柄が、男雛も女雛も、松の枝に藤がからんで花房が下がっている文様であることが多いようです。
藤の花房が見事に咲くのはゴールデンウィークのころで、桃の節句とは季節がずいぶんずれています。どうしてだろうと思って調べてみました。

(我が家の軸を拡大しました。)

平安時代、藤原氏が全盛を極めたころ、松は皇室、藤は藤原氏を表し、松に藤が絡んだ紋様は吉祥文様として盛んに使われるようになったようです。その後も能装束などの文様にもよく使われました。

江戸時代になって、おひな様に使われるようになったのは、松は男性、藤は女性を表し、松に寄りかかって藤は花を咲かせ、藤は不死にも通じることから、女の子が無事成長して、結婚して子宝に恵まれて幸せになりますようにとの願いが込められているからのようです。

理想の女性像や価値観は時代とともに変わりますが、伝統的な図柄は変わることなく受け継がれていくようです。