心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

名鉄尾西線にかつて木曽川橋駅がありました

2015年06月20日 | 尾張の歴史

名鉄尾西線の一宮駅と終点玉ノ井駅間は、2両編成の電車一本だけが5.6kmを折り返し運転されていて、とても中途半端な感じがするのですが、かつては、玉ノ井駅から北へ、里小牧を通り、木曽川橋へ。そして貨物線だけは木曽川川港駅まで伸びていたそうです。

昭和19年に廃線となり、線路の跡地は、現在巾の広い真っ直ぐな道路になっています。

名鉄尾西線は、明治31年に尾西鉄道として開業しました。大正14年に名鉄に吸収されますが、名鉄が名古屋電気鉄道として名古屋市内とその近郊で電車を走らせていたのに対して、尾西鉄道は弥富から木曽川橋まで尾張西部で蒸気機関車を走らせていました。当時の蒸気機関車は、現在も明治村内を走っています。

名鉄名古屋本線の一宮-岐阜間が開通したのは昭和10年で、それまでは、名鉄で一宮から岐阜へ行くには、尾西線で木曽川橋駅まで行き、木曽川橋を徒歩で渡り、対岸の笠松駅からまた電車に乗ったのだそうです。

現在、北方西保育園に立つ看板です。

旧国道22号線の跨線橋。線路跡は道路になっています。

跨線橋の欄干には「名鉄木曽川線跨線橋」のプレートがあります。

跨線橋のすぐ北、北方中島の交差点に馬頭観音が祀られていました。

人馬の往来が多い街道だったのでしょう。

その対角線上には、南無妙法蓮華経の宝塔が。安政3(1856)年の年号がありました。

木曽川の堤防の方へ少し歩くと、宝江渡し跡がありました。

江戸時代、名古屋と岐阜を結ぶ街道の渡し場だったようです。北方には代官所が置かれ、木曽檜をはじめ、多くの物資が木曽川を利用して運ばれていました。

昭和初期まで木曽川港駅があったのは、そのころまで川が物流の動脈だったことの証だと思います。

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6月の花

2015年06月14日 | 自然の営み

今年の梅雨は、雨の日もあり、日差しの日もあり、花にとっては嬉しい毎日ではないでしょうか。

当山の花も、例年以上にきれいに咲いています。

6月といえば紫陽花。

白色で玉の大きな紫陽花。最近紫陽花は、数多くの園芸品種があってネットで調べてみても名前が特定できません。

昔ながらのオーソドックスな紫陽花。

「隅田の花火」と言うらしいです。

石垣に咲く花手毬。

折り鶴蘭。小さな可愛い花をつけました。

葉が折り鶴のようなので、この名があります。

姫檜扇(ひめひおうぎ)。葉が地面から扇を広げたように出るので、この名があります。

南天の花。お正月に赤い実をつけます。

紫式部。秋に紫の小さな実をびっしりとつけます。

カラー。里芋とか、水芭蕉もこの仲間です。

 

日差しや温度や雨などの自然の恵みと人の手入れ。植物は、それに素直に応えてくれますね。

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