心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

宮沢賢治「永訣の朝」と法華経 4

2018年03月18日 | 法華経

賢治は法華経を熱心に信仰していました。法華経の理解なしに賢治の文学をほんとうに理解することはできないと思います。

毎日法華経を読んでいる者の視点から、「永訣の朝」を読んで、気づいたことを書いてみたいと思います。その4回目です。

 

永訣の朝の最後は、

  どうかこれが天上のアイスクリームになって

  おまへとみんなとに聖い資糧をもたらすやうに

  わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

という句で終わっています。

日蓮宗の僧侶は経を読んだ最後に、必ず次の言葉をとなえます。

「願わくは此の功徳を以て 普く一切に及ぼし 我等と衆生と 皆共に仏道を成ぜん 」(妙法蓮華経化城喩品第七)


「どうかこの功徳がすべての人々に広がって、わたしたちとすべての命あるものと、みんな一緒に幸せになれますように。」という願いです。

両者は共通しているところがあるように思えます。

もうひとつ。
トシは、はげしい熱にあえいでいます。賢治は冷たく透きとおったみぞれを急いで取りにゆき、トシに与えようとします。

そして「どうかこれが天上のアイスクリームになって」と祈ります。

法華経には  

  甘露を以て灑ぐに 熱を除いて清涼を得るが如くならん (妙法蓮華経授記品第六)

という言葉があります。

「冷たく甘くおいしい飲み物をそそぎ、熱を冷まし、清らかさと涼しさを得る。」という意味です。


特にこの言葉は、施餓鬼という行事の際にとなえます。

餓鬼道に落ちて熱や渇きに苦しんでいるいのちに飲み物や食べ物を施して供養する行事です。

賢治は、熱に苦しんでいるトシの苦しみを救いたいと思うと同時に、賢治の行為がすべてのひとの幸いにつながってほしいと願い、「永訣の朝」という詩を結んでいます。

 

続きます。

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今年も木蓮が開花しました

2018年03月16日 | 自然の営み

きのう、木蓮が開花しました。

13日、14日と5月のような陽気が続き、いっぺんに開きました。

昨年(2017)は、3月17日、一昨年(2016)は3月12日、2015年は3月20日、2014年は3月25日。

2017年の記事2016年の記事2015年の記事

今年は、1月2月は寒かったですが、3月になってから暖かい日が続いて、早い開花となりました。

季節は毎年毎年、規則正しく巡ってきます。

けれど、全く同じところにもどってくるのではなく、少しずつ、あるいは、全く違う場所に戻ってきます。

春は、別れの季節。旅立ちの季節。

あたらしい場所に投げ出されて、戸惑っている人にも必ずまた春は巡り来て、花は咲きます。

幸くあれ。

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宮沢賢治「永訣の朝」と法華経 3

2018年03月10日 | 法華経

宮澤賢治は法華経を熱心に信仰していました。法華経の理解なしに賢治の文学をほんとうに理解することはできないと思います。
毎日法華経を読んでいる者の視点から、「永訣の朝」を読んで、気づいたことを書いてみたいと思います。

その第3回です。

「うまれでくるたて こんどはこたにわりやのごとばかりで くるしまなあよにうまれてくる」

これは、妹トシが激しい熱とあえぎの間に、ひとりごとのようにつぶやいたことばです。

「また人間に生まれてくるとしたら、今度はこんなに自分のことばかりで苦しまないように生まれてきたい。」

トシは大学在学中に結核を発病し、入退院を繰り返します。大学の卒業はなんとか認められ、花巻女学校の教師見習いになりますが、満足に働けないまま、死んでいかねばなりません。
「自分のことばかりで苦しむのではなく、すべて人のために働きたい。」
トシの切実な願いでした。

 

伝教大師最澄は、「すべての人が仏になれる」法華経の教えを広めるために、日本に天台宗を伝えました。

その最澄のことばに、「 好事を他に与え、悪事を己れに向え。己を忘わすれて他を利するは慈悲の極みなり」ということばがあります。

これは、いいことは人に分け与え、悪いことは自分が引き受け、自分の幸せは忘れ、人の幸福のために尽くす、これが最高の慈悲であるということばです。

己のことは忘れ、他人に尽くす。法華経にもそんな菩薩が何人も登場します。


続きます。

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