心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

宮澤賢治「永訣の朝」と法華経 2

2018年02月17日 | 平和の祈り

宮澤賢治は法華経を熱心に信仰していました。法華経の理解なしに賢治の文学をほんとうに理解することはできないと思います。
毎日法華経を読んでいる者の視点から、「永訣の朝」を読んで、気づいたことを書いてみたいと思います。

その第2回です。

「ありがたうわたくしのけなげないもうとよ わたくしもまっすぐにすすんでいくから」

 ああとし子
 死ぬといふいまごろになって
 わたくしをいっしゃうあかるくするために
 こんなさっぱりした雪のひとわんを
 おまへはわたくしにたのんだのだ
 ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
 わたくしもまっすぐにすすんでいくから

妹に頼まれたあめゆきを取ろうと庭に出て、目の前の光景が法華経の精神そのものであることに賢治は改めて気づかされます。(第一回に書きました。)このことを妹に感謝し、自分も正しい教えに基づいて生きていこうと心を新たにします。

正しい教えとは、賢治の場合、法華経のことでした。では、法華経に基づいて生きるとは、どんな生き方なのでしょうか?

それは、自分だけでなく、人の幸せを考えて生きること、人を敬うこと、人を感謝することです。

法華経には、数多くの菩薩が登場します。菩薩は自ら道を求めて常に精進するとともに、すべての命あるものを救おうと手をさしのべます。すべての命あるものを、等しく仏になる種を持ったものとして、敬います。

妹に「あめゆじゅとてちてけんじゃ」(あめゆきを取ってきてください。)と頼まれた賢治は、
「まがったてっぽうだまのやうに」くらいみぞれのなかに飛び出していきます。
妹の頼みをなんとしてもかなえてやりたいという賢治の強い思いが「まがったてっぽうだまのように」という表現に表れています。

また、妹トシが「あめゆきを取ってきてください」と頼んだのは、「わたくしをいっしょうあかるくするため」つまり、他人を幸せにするためだと気がつき、感謝しています。

兄も妹も、法華経の教えにそった生き方をしたいとの思いが、「永訣の朝」からは感じられます。

続きます

心證寺ウエブページ


宮沢賢治「永訣の朝」と法華経 1

2018年02月10日 | 法華経

 宮沢賢治は、今から100年ほど前、大正時代の終わりから昭和の初めにかけて、数多くの童話や詩を書いた人です。

今でこそ、「銀河鉄道の夜」「雨ニモマケズ」「注文の多い料理店」など多くの作品が人々に愛されていますが、生前、彼の作品はほとんど知られていませんでした。

 「永訣の朝」は、賢治26歳の時に、妹トシを失った悲しみを歌った詩です。女子大学を優秀な成績で卒業して、さあ、これから世のために働きたいと願っていた妹が、結核に冒され24歳の若さでこの世を去らねばなりませんでした。

賢治は妹の死を嘆き悲しみながら、人としてどう生きることが幸せかに気づき、この詩を書きました。


 「永訣の朝」は、中学校や高校の教科書にも掲載され、賢治がどんな思いを込めたのか、多くの解説があり、文学的解釈があります。しかし、ほとんどの解説や解釈は、法華経を表面的にしか理解していないなあと感じます。


 賢治は法華経を熱心に信仰していました。法華経の理解なしに賢治の文学をほんとうに理解することはできないと思います。
 毎日法華経を読んでいる者の視点から、「永訣の朝」を読んで、気づいたことを書いてみたいと思います。

「永訣の朝」(青空文庫)

1 「あんなおそろしいみだれたそらから このうつくしい雪がきたのだ」

熱に苦しみ、今まさに死にいこうとしている賢治の妹トシが、最後の頼みとして、「冷たいさっぱりとした雪を取ってきてください」とあえぎあえぎ伝えます。それを聞いた賢治は大急ぎで庭に出て、きれいな雪を選んで持って帰ろうとします。

 この雪はどこをえらばうにも
 あんまりどこもまっしろなのだ
 あんなおそろしいみだれたそらから
 このうつくしい雪がきたのだ

法華経(妙法蓮華経)は、サンスクリットで「サダルマ フンダリカ スートラ」と言い、「白い蓮華のような正しい教え」という意味です。「濁った泥の中から清らかな花を咲かせる蓮のように、この濁世にあってすべての衆生を救う本当の教え」という意味です。

「永訣の朝」と同じ頃に作られた「オホーツク挽歌」という詩には、「ナモ サダルマ フンダリカ スートラ」という句が何度も繰り返されています。「ナモ」とは、南無すなわち「帰依する」「信じる」という意味。南無妙法蓮華経をサンスクリットで表現しています。

妙法蓮華経従地涌出品(じゅじゆじゅっぽん)第十五には、

 世間の法に染まざること 蓮華の水に在るが如し(不染世間法 如蓮華在水)
という句があり、日蓮宗の僧侶なら何度も何度も口にしたことのある言葉です。

「濁った泥の中から清らかな花を咲かせる蓮のように、この濁世にあってすべての衆生を救う存在でありたい。」という願いを込めてこの句を唱えます。

「あんなおそろしいみだれたそらから このうつくしい雪がきたのだ」という詩句は、妹に頼まれ大急ぎで外に出た賢治が、目の前の光景が「濁った泥の中から、清らかな花を咲かせる蓮のような教え」すなわち、法華経の教えそのものだと気づき、改めて感動しているのだと思います。

つづく

心證寺ウエブページ


岐阜大仏

2018年02月03日 | 仏像巡り

岐阜市の金華山の麓、岐阜公園の近くに「岐阜大仏」があるそうです。

行ってきました。

岐阜公園前の通りを少し南に歩くと、見えてきました。3階建ての大仏殿です。

お城の天守閣のよう。お寺っぽくない。

正面にまわりました。「千と千尋」に出てきた銭湯のようでもありますね。

大仏とご対面。高さ14m。奈良の大仏より1m低いだけです。鎌倉大仏は11m。岐阜大仏の方が大きい!!!

右手はOKサインのような印を結んでいますが、お釈迦様(釈迦如来座像)だそうです。左手は手のひらを伏せて膝の上に乗せています。

胎内には薬師如来が収められているそうです。

作られたのは江戸時代の終わり頃。このお寺の第11代住職、惟中和尚が、相次ぐ大地震や大飢饉に心を痛め、これらの災害で亡くなった人々の菩提のために大仏建立を発願し、諸国を托鉢してまわりますが、志半ばにお亡くなりになります。その志を12代住職、肯宗和尚が受け継ぎ、あわせて38年かけて大仏は完成したのだそうです。

大仏様を横から見た断面図です。この仏さまは、太さ1.8mのイチョウの大木を心柱として、木材で骨組をつくり、竹をかごのように編んで仏さまの形を作った上に粘土を置き、お経の書かれた紙(経巻)を貼り、漆を塗り、金箔を貼って作られています。

内部は空洞なのだそうです。

高校時代に作った体育祭のマスコットみたいで、手作り感があって身近な仏さまという感じがとってもいいです。

大仏殿内部の壁面には五百羅漢像が置かれています。観客席から大仏様の活躍を応援しているかのよう。

羅漢さんの上にも彩色された彫り物が。インドの仏教説話の場面を表現しているそうです。

岐阜大仏から伊奈波神社に向かう途中、

仏壇店の屋上に金ぴかの観音さまが・・・

川原町を歩いていると、

庚申堂の看板が・・・

入ってみると、そのとおりお堂がありました。

賽銭箱の奧に何か立っています。

近寄ってみると、三猿でした。

江戸時代に庚申信仰が盛んになるのですが、60日に一度の庚申の日は、庚申待ちといって、人々が集まって、飲食や談笑しながら寝ずに夜を明かしました。

人間の体の中にその人の悪事を監視している「三尸(さんし)の虫」という虫がいて、庚申の夜、人が寝ている間に体から抜け出して、罪状を天帝に告げにいくのだそうです。寝なければ虫は体から抜け出せないので、人々は寝なかったのだとか。

「見ざる・聞かざる・言わざる」の三猿は、「自分たちの悪事を見たり聞いたり、天帝に言ったりしないで」との願いがあるそうです。

人って、100%善行ばかりというわけにはいかないもの。ついつい、ごめんなさい、というときもありますね。

心證寺ウエブページ