心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

御会式の花づくり

2015年10月30日 | 心證寺

日蓮聖人がご入滅になった10月13日は、御会式(おえしき)といって、日蓮宗ではもっとも重要な年中行事です。

新暦の10月13日に営む寺が多いですが、旧暦で営む寺、ひと月遅れで営む寺もあります。

心證寺では、11月3日に御会式を営んでいます。

先日、その御会式に備えて、檀信徒有志の方と花づくりをしました。

日蓮聖人がご入滅になった時、池上の山に季節外れの桜が花を咲かせたと言われています。

それにちなんで、御会式では桜花を飾ります。

これは、御会式当日の参拝者に持ち帰っていただく花です。

 大きな花は鴨居にさして飾ります。

御宝前の脇には桜の枝を。

こんな感じで飾りました。

当山の御会式は、11月3日10時から。ぜひお参りください。

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ツマグロヒョウモンの羽化

2015年10月28日 | 自然の営み

明け方まで降った雨が上がって、快晴の朝でした。境内に出てみると、

宝塔の土台の石の割れ目から草の芽が。

もう一つの小さな宝塔にも手を合わせて、ふと見ると、

蝶が一羽、羽化して羽を広げようとしているところでした。ツマグロヒョウモン(端黒豹紋)でした。

ツマグロヒョウモンの幼虫はスミレ類の葉を食べて育ちます。境内あちこちのすみれに産卵して、幼虫が育っていました。

この時期に羽化してうまく冬が越せるか心配ですが、1時間ほど経って、大空へ羽ばたいていきました。

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長隆寺の阿弥陀三尊像と中島宮

2015年10月25日 | 尾張の歴史

一宮市萩原町中島に長隆寺という寺があります。鎌倉時代、その地に住した中島氏によって創建されました。現在は、無住の寺となり、荒れ果てていますが、本尊は一宮博物館に寄託され、拝観することができます。

両脇侍の高さが約180cm。ちょうど人の身長ほど。中央の阿弥陀様は立ち上がったらもっと大きいでしょう。

一宮にこんな立派な仏像があるなんて。知りませんでした。

現在の長隆寺の荒廃ぶりを見ると、よくまあ、盗まれず、壊されず現在まで無事に伝えられたものだと驚きです。

長隆寺を建てた中島氏は、嵯峨源氏の末裔で平安時代末に尾張国中島郡に土着し、その地名から中島氏と呼ばれました。一宮博物館に隣接する妙興寺を創建したのも、中島氏です。織田信長によって尾張が統一されたときに、所領を奪われ、尾張を去りました。居城は、長隆寺のすぐそばに中島城址として残っています。

妙興寺です。室町時代の創建。後光厳天皇の勅願所。現在も広大な寺域を領し、臨済宗の道場として、多くの雲水たちが修行に励んでいます。

 

現在の一宮市、稲沢市一帯と木曽川対岸の羽島郡の一部(木曽川の流路が変わったためです)は、かつて中島郡と呼ばれていました。その昔、倭姫(ヤマトヒメ)が天照大神をお祀りすべき土地を探して諸国をめぐり、近江、美濃を経て尾張国中島宮に3ヶ月滞在し、その後伊勢に向かい、桑名を経て現在の伊勢神宮の地にたどり着いたと「倭姫命世記」にはあります。

長隆寺近くの中島廃寺跡からは、奈良時代の瓦が出土しています。

倭姫が滞在した中島宮は、一宮市今伊勢町の酒見神社であるとの説が有力ですが、一宮市萩原町中島が中島郡の中心だったことがあったかもしれません。

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若狭小浜の秘仏めぐり 5

2015年10月17日 | 仏像巡り

若狭彦神社、若狭姫神社を参拝したあと、多田寺へ向かいました。

天平勝宝元年(749年)、孝謙天皇の勅願により建立と伝えられています。

道路に面して仁王門があります。

祀られているのは、多聞天と持国天。仁王門ではなく、二天門というべきでした。

門をくぐり参道を進むと石段の上に本堂が見えてきました。

(写真は若狭おばま観光協会HPより)

ご本尊は、薬師如来と脇侍菩薩二体。平安時代初期の作だそうです。台座も含め、一本のカヤの木から彫り出されています。

仏教が伝わる以前から日本には、森の木に神が宿るという考えがありました。そこに仏教が入ってきて、一本の霊木から仏像を彫り出すようになりました。

菩薩二体は、薬師如来の脇侍として日光、月光菩薩ということになっていますが、向かって右は、十一面観音のようです。多田寺の長い歴史の中で、何度も伽藍が荒廃したり、再建されたりするうちに今の組み合わせになったのでしょう。1200年以上も昔の仏さまがよく守り通されたことだと思います。

続いて、妙楽寺へ、向かいました。

こちらも仁王門が出迎えてくれます。大悲閣の扁額がかかって、観音様がいらっしゃる事がわかります。

お大きな杉に囲まれた参道を行くと

本堂が現れました。鎌倉時代の建立で、若狭で一番古い建物だということです。

妙楽寺は奈良時代のはじめの養老3年(719)に行基が創建したといわれていますから、今から1300年も前のことになります。

ご本尊は、平安時代に作られた木造千手観音さまです。

(写真は若狭おばま観光協会HPより)

秘仏として大切に守られ、近年になっても33年に1度の公開だったようです。おかげで、大変美しい姿がよく残っています。

平安時代の仏さまで、こんなに金箔がよく残っている仏さまは、他にはないのではと思います。

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若狭小浜の秘仏めぐり 4

2015年10月11日 | 仏像巡り

(神宮寺の続きです)

鵜の瀬に降臨した若狭彦の神と若狭姫の神をお祭りしているのが、若狭一の宮の若狭彦神社と若狭姫神社です。

若狭彦の神は、古事記や日本書紀に登場する山幸彦、若狭姫の神は、わたつみの神の娘で山幸彦の妻となった豊玉姫だそうです。

初めに上社の若狭彦神社にお参りしました。

杉林の参道を進みます。

随身門が見えてきました。

神門の奥が本殿です。この先へは進めず、ここでお参りします。

続いて、若狭姫神社にお参りしました。

 若狭彦神社と若狭姫神社は、1kmほど離れています。

随身門です。若狭彦神社と若狭姫神社は、どちらも江戸時代末期に建て直され、随身門、神門、本殿という並びも含め、よく似た作りになっています。

神門とその奥の拝殿です。神門の奥にそびえているのは、千年杉といいます。樹高30m。

「仏像めぐり」ですが、今回仏像の登場はありませんでした。次回はご期待ください。

(つづく)

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若狭小浜の秘仏巡り 3

2015年10月07日 | 仏像巡り

羽賀寺、明通寺に続いて、神宮寺を参拝しました。

神宮寺は、奈良東大寺二月堂のお水取りに使われる香水を若狭鵜の瀬から二月堂の若狭井に"送る”「お水送り」が行われている寺です。

鎌倉時代の仁王門は重文になっています。

仁王門をくぐると、長い参道が続いています。

しばらく行くと、芝の門があらわれます。

門をくぐり、階段をあがると、本堂が見えてきました。

室町時代に建てられた本堂です。神道風の弊束が目に入ります。前庭が芝になっているのは、ここでお水送り神事が行われるからです。

本堂の中です。ずっと座っていると、心が静かになっていきます。

ご本尊は薬師如来。(写真は禁撮影)

神宮寺の境内には、閼伽井戸(あかいど)があって、ここで汲み上げられた水が「お水送り」に使われます。

神宮寺脇の遠敷川(おにゅうがわ)を1kmほど上流へ行くと、鵜の瀬というところがあります。3月2日、神宮寺の閼伽井戸で汲んだ水をここに流し、二月堂に送り、3月10日、二月堂の閼伽井屋内の井戸で汲み上げられます。

この流れに、汲み上げた水を流します。

神代の昔、若狭彦命、若狭姫命が鵜に導かれ、この地に降り立ったと伝えられています。

(つづく)

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第16回杉戸寄席

2015年10月03日 | 心證寺

当山と同じ町内にある銭湯「杉戸浴場」さんが、ほぼ二月に1度、落語の会を開いていらっしゃいます。

会場は銭湯の脱衣所だったり、料理屋さんだったり、年に2回くらい心證寺にも来てくださって、今日、その杉戸寄席が当山でありました。

当山での開催は今回で三回目。杉戸浴場の女将を含めて4人の方が高座に上がり、本堂は笑いの渦に包まれました。

昔、お寺は村の中心にあって、村の集会所のような役割を果たしていたのではないかと思います。こうして沢山の人が本堂に集まって、落語を聞いて、楽しい時を一緒に過ごすのは、個人的にも住職としても楽しくうれしい時間でした。

落語を聞きながら、もっとお寺に人が集まってもらうにはどうしたらいいかとか、こんなふうに人を惹きつける話ができるようになりたいとか、考える所も多い一日でした。

杉戸浴場

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(「若狭おばまの秘仏めぐり」はまた後日。)


若狭おばまの秘仏めぐり 2

2015年10月02日 | 仏像巡り

(きのうの続きです)

羽賀寺に次いで明通寺に参拝しました。

明通寺は平安時代はじめ頃の創建です。征夷大将軍に任じられ東国を平定して都に帰った坂上田村麿が、長年の戦いでの殺生を悔い、鎮魂を願って建立し、この土地に生えていたゆずり木の大木から薬師如来、降三世明王、深沙大将の三体を彫って安置したといいます。

国宝の本堂です。何度も火災にあい、現在の建物は鎌倉時代のものです。反りの大きな檜皮葺き屋根を持ち、質素で力強い鎌倉建築の特徴がよく出ています。

  

(仏像の写真は、小浜市HPより)

本堂内には、薬師如来、降三世明王、深沙大将はじめ、多くの仏像が祀られています。いずれも平安時代後期の作で、薬師如来は寄木造り、二体の明王は2.5mを超える大きな一木造り、力強い作風です。

国宝三重塔です。これも鎌倉時代の建立です。檜皮引きの屋根で質素で力強い外観です。

初層の扉が開けられ、内陣が特別に公開されていました。(残念ながら写真は禁撮影)

内部は、金箔の貼られた4本の柱が立ち、その間に東面して釈迦三尊像、西面して阿弥陀三尊像が祀られ、柱や壁には十二天などの絵がを描かれています。

(つづく)

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若狭小浜の秘仏めぐり 1

2015年10月01日 | 仏像巡り

古代日本、大陸との交流は、日本海を船で渡ることで行われ、新しい文化は、日本海からもたらされていました。

日本の表玄関は、日本海側だったわけです。

平城京や平安京と日本海を結ぶ最短ルートは、近江を通って若狭湾に出る道で、近江や若狭には、多くの大寺院が建立され、数百人数千人の僧侶が学んでいました。今でも近江や若狭には、古い仏像やそれを大切に守り伝える古寺が数多くあります。

福井県の小浜市、高浜町、おおい町、若狭町では、9月10月の土日を中心に、みほとけの里若狭の秘仏特別公開を実施していて、普段は公開されていない仏像を拝観することができます。

小浜の秘仏巡りに行ってきました。若狭自動車道が小浜インターチェンジまで開通し、アクセスがとても楽になりました。

まず訪ねたのは、羽賀寺です。

霊亀2年(716)元正天皇の勅命により行基が創建したと伝えられています。
本堂の中に入ると、薄暗くて、地元のおばあさんが番をしておられ、外陣とは格子で隔てられた内陣に入れていただき、仏さまを間近で拝むことができました。

 

 (写真は若狭おばま観光協会のHPより)

十一面観音様です。平安初期の作で、長年秘仏とされてきただけあって、彩色が実によく残っています。

元正天皇(女帝)のお姿を写したとも言われています。

本堂内には、密教寺院にふさわしく、千手観音、毘沙門天、地蔵菩薩などたくさんの仏さまがいらっしゃいました。

廃寺となったよその寺からいらっしゃった仏さまもあるようでした。

(つづく)

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