心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

談山神社

2015年11月29日 | 仏像巡り

談山神社に行ってきました。紅葉の季節、多くの参拝客で賑わっていました。

談山神社とえば、木造十三重の塔です。しかし、どうして神社に塔があるのでしょうか。

それは、談山神社は明治初めに神仏分離がされるまでは、妙楽寺という寺院だったからです。

談山神社は、中臣鎌足を祭神としています。

中臣鎌足は、ご存知のように、中大兄皇子とともに蘇我入鹿を宮中で暗殺して大化の改新と呼ばれる一連の政治改革を行った人物です。

鎌足の次男、藤原不比等は飛鳥から奈良時代にかけて律令国家づくりに活躍し、その後の藤原氏繁栄の基となった人物ですが、長男は恵定という僧になって唐に渡りました。その恵定が帰朝後、父鎌足供養のため十三重の塔を建てたのが妙楽寺の始まりとされています。

正面の建物は権殿といいますが、阿弥陀様が祀られて、右の建物は、現在は神廟拝所といいますが、内部には羅漢と天女の壁画が描かれ、如意輪観音が祀られています。どちらも寺院の建造物です。

明治のはじめ頃、神仏分離、廃仏毀釈が無理に行われました。国家神道は推進され、天皇は現御神とされ、日本は神国となり、戦争に負けることはないと信じ込まされました。その結果は皆さんご存知のとおり実に凄惨なものでした。

談山神社参道です。

さまざまなものが並んで、多くの人で賑わっていました。

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高野山に行ってきました

2015年11月25日 | 仏像巡り

吉野に泊まって、翌日は、高野山に行きました。

開山1200年の上に、3連休、紅葉、行楽日和と重なって、すごい人出でした。

奥の院参道もご覧のとおりの賑わい。

メインの通りは、駐車場からあふれた車、観光バス、観光客でごった返し。

約1000mの高地にあり、車で行くにも、すれ違いに気を配らなければいけないようなつづら折りの道を一時間近く登らなければ行けないのに、登ってみると、そこはすごい人出の観光地。

行く時期が悪かったせいもありますが、日本仏教の聖地として、森閑として荘厳な空気を期待していただけに少々残念。

弘法大師が深い禅定に入っていらっしゃるという奥の院も、参道がメインの通りと並行しているため、観光の車や人通りの喧騒から離れておらず、これでは弘法様も落ち着いて眠っていられないだろうなと思うほどです。

各建造物は立派。見るものを圧倒します。

根本大塔。入り口に立つ人と比べると、その大きさがわかります。

他の建物も、色鮮やかで、大きく、目を見張るような彫り物がしてあります。

でも、大きくてきらびやかに過ぎる感もあります。それだけ信仰を集めているということなのですが、もっと質素、必要最小限でもいいような気もします。

壇上伽藍で若い修行僧の集団に会いました。

うちの息子もついこの間まで日蓮宗総本山の身延山で1年半の厳しい修行生活をしていただけに、人事でないような、辛いだろうな、頑張るんだぞという気持ちで彼らの姿を見ていました。

金堂、御影堂、准胝堂などを順に巡って大きな声を合わせて真言や般若心経を唱えていました。

観光地として賑わう中でも修行の地としての色は失っていないと感じました。

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吉野の金峯山寺蔵王堂

2015年11月23日 | 仏像巡り

秘仏本尊の金剛蔵王権現像三体が特別開帳だというので、吉野の金峯山寺蔵王堂に行ってきました。

(写真は吉野山観光協会HPより)

今から1300年前、役行者が金峯山の山上ヶ岳で一千日の修行中に姿を現したのだそうです。三体あるのは、中央が釈迦如来(過去世)、右が千手観音(現在世)、左が弥勒菩薩(未来世)の変化の姿ということです。

中央のお像は、高さ7m。両脇が6m。間近で見ると、さすがに圧倒的な迫力です。長い間秘仏とされてきたので、大変きれいなお姿です。

朝6時半からの朝勤に参加させていただきました。

まず、お釈迦さまをはじめ、大乗仏教の諸仏諸菩薩、天照大神など日本国内の大小の神祇等を勧請。法華経の如来神力品、観音偈を読誦。般若心経も読んで、諸仏の真言を三回ずつ唱え、回向は、世界平和、四海安寧、災害復興などを祈念し、修行者の六波羅蜜の体得や三毒五欲の消滅などを祈願されていました。

法要の流れは日蓮宗とそんなに違いはないものでした。お読みしたお経も法華経。やはり、法華経は諸経の王です。夕勤では、法華経の観世音菩薩普門品と自我偈を読誦するようです。

ただ、始まりと終わりは法螺貝を一斉に吹いて、法螺貝は山中で吹くものとばかり思っていたので、ほーという感じでした。

蔵王堂は、建物自体も大変大きく、高さ34m。木造建築としては、東大寺の大仏殿に次ぐ大きさだそうです。写真の人物と比較するとその大きさがよくわかります。

内部の柱には、木の種類や太さ、幹の形など一本ずつ違う直径1mくらいの丸太が使われていて、山に生えていた大木をそのまま使ったと感じさせられます。

吉野山は、熊野まで続く大峯奥駈道(おおみねおくがけみち)の始まりに位置します。

下千本、中千本、上千本、奥千本と登り、吉野水分神社、金峯神社まで行くと、そこから石畳の道が始まっています。

でも、今回はここで引き返してきました。

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イスラム教とキリスト教の対立に日本が首を突っ込む必要はありません。

2015年11月15日 | 平和の祈り

パリで大規模なテロがありました。恐ろしい出来事です。

オランド仏大統領はISによる犯行と断定しました。

オバマ米大統領は「全人類と普遍的価値への攻撃だ」と言い、

安倍首相は「いかなる理由があろうともテロは許されない。断固、非難する。フランスをはじめ国際社会と連携していく。」と言いました。

オバマ氏も安倍氏も「全人類が普遍的な価値を共有する国際社会(善)」と「人類の平和を脅かす過激派テロ組織(悪)」という図式で捉えようとしています。そう捉えることで、過去に目を向けることなく、現在のテロという行為だけを非難することができるからです。

ものごとは、多面的に捉えなければなりません。

世界には、さまざまな人々が住み、さまざまな宗教や価値観、生き方、暮らし方があります。20世紀以降アメリカやヨーロッパで発展した政治や経済のしくみ、あるいは生活様式が、日本も含め世界の多くの国々に広がってはいますが、人類全体の普遍的価値とは言えないはずです。アメリカやヨーロッパとは違う、世界中のいろいろな宗教や価値観、生き方、暮らし方が尊重されていいはずです。

また、現在があるのは、過去のさまざまな出来事があったからです。

アメリカやヨーロッパの人々にとっては、価値や意義のあること(善)であっても、世界中のいろいろな人々にとっては許しがたい、絶対的な悪でしかなかった出来事が数多くありました。アメリカ大陸の先住民を殺して土地を奪い取ったこと、アフリカ大陸の人々1000万人以上をアメリカに運び奴隷としたこと、アフリカ、アジアの国々を植民地支配したこと、まだまだ多くの例をあげることもできますが、これらの出来事は、その時代においては、ヨーロッパ人にとっては価値や意義のあることとしてとらえられていました。日本に原爆を投下し無差別大量殺戮を行ったことが、歴史的意義のあることだという考えは今でもアメリカ人の中にあります。

イスラム圏の人々にとって、古くは十字軍、近くは、第一次大戦での英の三枚舌外交、イスラエル建国、もう少し近くではイラク戦争。許しがたい出来事であったはずです。

武力攻撃に対して武力で対抗する。いつまでたっても終わりはありません。

安倍首相には「いかなる理由があろうともテロは許されない。断固、非難する。それと同様に、いかなる理由があろうとも空爆は許されない。フランスをはじめ国際社会に平和的解決を訴えていく。」と言って欲しいものです。

 

仏教では、仏は一人ではなく、誰もが仏になれます。また、世界は一つではなく、いろいろな世界があります。この曼荼羅のように、いろいろな仏たちがいろいろな世界で調和し、共存しています。

世界がこのような世界であったらと思います。

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しあわせ、さいわい、幸福

2015年11月08日 | 仏教全般

しあわせ、漢字では「幸せ」と書くことが多いですが、もともとは「仕合せ」と書いたようです。

江戸時代の浄瑠璃や浮世草子などでは、「仕合せ」と書かれています。

源氏物語、枕草子、徒然草などの平安、鎌倉時代の古典には、出てこないことばです。室町時代頃から使われ始めたことばのようです。

「仕合せ」とは、「することが合わさる」、つまり、ある人のすることと、またある人のすることがうまく合わさって、思わぬよい方向に運んでいくこと、よい巡り合わせという意味です。

しあわせというのは、自分一人で手に入れられるものではなく、だれかの助けがあってこそ、もたらされるものなのでしょうね。

ものごとがうまくいくか、行かないか。自分だけがどんなに頑張ってもうまくいかないことがよくあります。そんな時、思いがけないところから助け舟が出て、救われたという経験が、私にもあります。「則ち変化の人を遣わして之が為に衛護と作さん」という章句が法華経法師品にあります。目に見えない不思議な力が働いて、知らない誰かに助けられる、こんなこともあるのかもしれません。

源氏物語の頃は、「幸ひ」が使われていたようです。「幸ひ」はもっと古くは、「さきはひ」で、「さき」は、花が咲くの「咲き」や海の「幸(さち)」、あるいは、「さかえ」などと同語源で、自然の恵みがもたらされること、「はひ」は広がることを言うようです。

「さいわい」は、自然ともたらされるものというのは、いかにも日本人的だなあと思います。人が作り出すものではないんですね。

 

福の神、七福神、福は内、神仏によってもたらされるのは、もっぱら「福」ですね。法華経には、福徳、福寿、宿福なども含めて福という文字は50回以上出てきます。

日本には、「しあわせ」と「さいわい」と「幸福」が同居していて、面白いものです。

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お会式法要を営みました。

2015年11月03日 | 心證寺

日蓮聖人は、弘安5(1282)年10月13日の朝、武蔵の国の池上宗仲公の屋敷(現在の池上本門寺)でご入滅になりました。

日蓮宗の寺院では、新暦の10月13日や旧暦の10月13日に近いということで、ひと月遅れの10月13日前後にお会式法要を営んで、日蓮聖人のご報恩に感謝しています。

当山でも今日、お会式法要を営みました。

参詣者の皆様とともに法華経読誦のあと、住職が法話をさせていただきました。

なぜ、南無妙法蓮華経とお唱えするのかという題でお話いたしました。

南無妙法蓮華経とお唱えすることで、私たちの心のなかにある仏性が呼び覚まされるとともに、私たちの周りにいらっしゃり守ってくださる仏さま神さまもお喜びになる。南無妙法蓮華経とお唱えすることは、私たちが仏に近づくことでもあり、諸天善神のご加護をいただくことでもあるのです。

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