心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

平成の終わりに思う

2018年12月30日 | 平和の祈り

平成という時代が終わろうとしています。

明治、大正、昭和と戦争がある時代が続きましたが、平成にはありませんでした。ありがたいことです。

 今上天皇は、戦没者慰霊のため、沖縄に11回、さらに、硫黄島、サイパン、パラオ、フィリピンも訪問されました。昨夏の平成最後の戦没者追悼式では、「戦後の長きに渡る平和な歳月に思いをいたしつつ、ここに過去を顧み、深い反省とともに、今後、戦争の惨禍が再び繰り返されぬことを切に願い、全国民とともに、戦陣に散り、戦禍に倒れた人々に対し、心から追悼の意を表し、世界の平和と我が国の一層の発展を祈ります。」とのお言葉を述べられています。

 また、陛下は現人神(あらひとがみ)としての天皇ではなく、象徴天皇として、どうあるべきかをいつもお考えになられていました。「 人々の傍らに立ち、その声に耳を傾け、思いに寄り添うことも大切なことと考えて来ました。国内のどこにおいても、その地域を愛し、その共同体を地道に支える市井の人々のあることを私に認識させ、私がこの認識をもって、天皇として大切な、国民を思い、国民のために祈るという務めを、人々への深い信頼と敬愛をもってなし得たことは、幸せなことでした。」と退位のお気持ちを述べられたお言葉の中でおっしゃっています。

 明治以降日本は常に発展、成長を願い進んできました。文明開化、富国強兵、殖産興業。植民地支配。その結果、先の大戦では本当に大きな犠牲を払いました。戦後の高度成長、経済発展の時代は昭和とともに終わりました。これからは人口減少、高齢化。地方の衰退。外国人との共栄。ロボットやAIが働き、人の働き場所が変わっていく時代が来ます。

それは、お金では買えない幸せを求める時代です。大きく強く経済的に豊かになることではない、身近な小さな幸せ。

毎日、仏さまや家族、友人、周りの人、多くの人を支え、支えられながら感謝して生きる。そんな時代が来ると思います。

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第30回すぎと寄席開催

2018年12月23日 | 心證寺

今日は冬至でした。しかも、ほぼ満月。昨夜からの雨も上がって、暖かくていい日よりになりました。

杉戸寄席も今回で30回。杉戸浴場の若女将の宇山祥子さん、頑張ってます。

地域の小さなお店や行事に人が集まり、つながりができて、活性化していく。地場産業の勢いがなくなって、高齢化が進んで、元気のなくなりかけている町には、市民一人一人が活き活きできる取り組みが大切なことだと思います。

さて、トップバッターは杉戸亭さちさん。初心に返って初めて人前で演じた「寿限無」を聞かせてくれました。

「じゅげむじゅむごこうのすりきれ・・・・ちょうこ」さんが生徒会長に立候補したけど名前が長すぎて・・・というお話でした。

二番手は、初登場ほおずき亭ぱあるさん。高校1年生。はるばる大阪から来てくれました。

20分以上ある大作「植木屋娘」を熱演してくれました。

中入りのあと、毎度おなじみKOHORU亭けいじろう君が、ぱあるちゃんと組んで漫才。

いつ練習したんだろう?と思うほど息が合ってました。

トリは、この方も初登場 炊亭あたり(たいていあたり)さん。さすがの熱演でした。

出演者全員で記念写真。次回は2月。お楽しみに。

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和歌山城に行きました

2018年12月15日 | 旅行

和歌山城に行ってきました。

戦国時代の和歌山は、戦国大名ではなく、雑賀衆(さいかしゅう)と呼ばれる人々が農業、漁業、林業、海運業などを営みながら、自治を行なっていました。雑賀衆は鉄砲の技術に優れ、戦国大名に対抗できるほどの力を持っていましたが、戦国時代の末期に秀吉に滅ぼされました。

和歌山を手に入れた秀吉は、弟の秀長に命じて虎伏山に城を築かせました。これが和歌山城の始まりです。

秀吉時代の和歌山城の石垣は、地元でとれる紀州青石をそのまま積み上げてあります。いわゆる野面積みです。

関ヶ原の戦い後、家康に仕えていた浅野幸長が和歌山城主となります。浅野氏は連立式天守を建て、現在の本丸・二の丸・西の丸に屋敷を造営し、大手門を岡口門から一の橋の方面に移し、本町通りを大手筋として城下町を整備したそうです。

このころの石垣は、石垣表面に出る石の角を削って整形し、表面の隙間を少なくした打ち込みハギです。

浅野幸長は、心證寺のある尾張国一宮の浅野城を居城としていたことがあり、その跡は現在浅野公園として整備されています。

尾張国からは何人もの大名が生まれています。秀吉について行ったら、大名になってしまったというところでしょうか。

大坂の陣の後、徳川家康の10男頼宣が入り、「御三家」紀州藩が成立します。この時代は、二の丸を西に広げ、砂の丸・南の丸を新たに造成しました。この頃の石垣は、石全体を方形に整えてぴったりと密着させて積み上げる切り込みハギです。

さて、

田口門から天守を望みます。

田口門は、豊臣時代には大手門だったそうです。

田口門を振り返ったところ。

天守からの眺望。紀ノ川が和歌浦に注いでいます。

和歌山城のある虎伏山は、標高約50m。結構な高さです。

和歌山城は、紀ノ川の河口部、いわゆる三角州にある平城と思っていたので、意外です。

と、天守閣に登り、眺望を楽しんでいたとき、大音響で「てんてんてん鞠、てん手まり・・」のメロディーが流れはじめました。

展望台から下を見ると天守閣の屋根にスピーカーが三つ四つ付いていて、そこから大音響で流されているのでした。

びっくりしました。展望室内に説明板があり、午前9時、正午、午後3時、5時、9時の1日5回、「鞠と殿様」のメロディーを流しているそうです。

今時珍しいというか、・・・

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紀三井寺を参拝しました2

2018年12月11日 | 仏像巡り

紀三井寺を参拝しました。続きです。

階段を登り切ると、右手にまだ新しい鉄筋コンクリート造りの建物が見えてきます。

仏殿といい、2008年に落慶法要が行われました。

内部には千手観音が安置されています。

高さ12m、木造の寄木造りの仏像としては日本で一番大きいそうです。

本堂です。額に救世殿とあります。観音さまは世界を救うのです。

ご本尊は秘仏十一面観音です。

伽藍からは和歌の浦が一望できます。素晴らしい眺望でした。

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紀三井寺を参拝しました。

2018年12月10日 | 仏像巡り

紀三井寺を参拝しました。

紀三井寺は和歌山市にある観音さまを本尊とするお寺です。

西国三十三観音霊場の二番札所にもなっています。

創建は奈良時代。唐から来られた為光上人がこの地に千手観音を感得されて仏像を彫り、堂宇を建立されたのだそうです。

境内には三つの霊泉が湧き、そこから紀州の三つの井戸の寺、紀三井寺と呼ばれるようになりました。正式には紀三井山金剛宝寺護国院といいます。

重要文化財の山門をくぐると目の前に現れるのは、立ちはだかる壁の如き石段。231段あるそうです。

石段の両側には塔頭寺院が立ち並んでいます。

城壁のような石垣が組まれています。

この地に産出する紀州青石(緑泥片岩)が使われています。

和歌山城や紀州東照宮にも使われているそうです。

薄く剥がれやすいため、横長の石を組んで石垣が作られています。

緑泥片岩の地層は、中央構造線に沿って伊予から伊勢まで続いているそうです。

石段を登り切って正面に現れるのが六角堂。

西国三十三観音霊場の観音さまが祀られているそうです。

つづく

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すぎと寄席開催します

2018年12月09日 | 心證寺

12月22日(土)14時よりすぎと寄席開催します。

今回は、ほおずき亭ぱあるさんが初参戦となります。

ぱあるさんは、けいじろう君と同い年の女の子で、これまた、けいじろう君と同じように、子どもの頃から全国各地の子ども落語大会で何度も入賞経験のあるすごい人のようです。遠方(関西?)から来てくださるそうです。

もちろんけいじろう君も出ます。乞う期待。

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