心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

平家納経と法華経

2017年01月28日 | 法華経

先日、熱田神宮宝物館で催されていた「神々の宝物」展に行き、国宝の平家納経を見る機会がありました。

平家納経は、平清盛が一門の繁栄を願って法華経などの経典を書写して厳島神社に奉納したものですが、現代の感覚からすると、なぜ神社に仏教の経典を奉納するのだろうと疑問に思う人があるかもしれません。

しかし、神様と仏様を相容れないものとして別々に分けて拝むことが一般的になったのは、明治になって政府が国家神道を押し進め、神仏分離、廃仏毀釈が行われてからのことです。

それまでは、神様も仏様も目には見えないけれど私たちを守ってくださる尊い存在としてどちらも同じように敬われてきました。神社にも五重塔が建ち、仏像が置かれ拝まれていましたし、寺院にも神様が勧請されて守り神とされてきました。

 

平家納経が奉納された厳島神社には現在も多宝塔や五重塔があります。釈迦如来、厳島弁財天など多くの仏像もありましたが、明治の神仏分離で隣接する大願寺に移されました。

伊勢神宮にも熱田神宮にも神宮寺がありました。讃岐の金比羅さんは明治維新までは真言宗の寺院でした。日本の各地で、ごく自然に当たり前のこととして神さまと仏さまが同じ場所で同じように礼拝の対象となっていました。

神社に法華経などの経典を書写して奉納、供養することで、その神社に祀られた神さまがお喜びになり、よりいっそうの功徳になると信じられてきました。

 

法華経を書写して供養する功徳について、法華経の分別功徳品第十七には次のように説かれています。

「広く是の経を聞き、若(も)しは人をしても聞かしめ、若しは自らも持(たも)ち、若しは人をしても持たしめ、若しは自らも書き、若しは人をしても書かしめ、若しは華香、瓔珞、幢旛、繒蓋、香油、蘇燈を以って、経巻に供養せんをや。是の人の功徳無量無辺にして、能く一切種智を生ぜん。」

(法華経を聞いたり人に聞くようにさせたり、大切にしたり大切にさせたり、自らも書いたり人に書くようにさせたり、花や香や灯明、美しい飾りなどで経巻を供養することは、計り知れないほどの功徳になり、仏の最高の智恵を手に入れることができるだろう。)

 

平安時代の貴族たちは、さまざまな色に染めた色紙を継いで料紙としたり、経文を金銀泥で書いたり、経巻の表紙や見返しなどに仏像やお経の意趣をあらわす華麗な絵を描いたり、軸に螺鈿(らでん)細工の香木や金銀を用いたりして多様な装飾を施した豪華な装飾経を競って制作し、寺社に納経しました。

平家納経は、そうした平安時代の装飾経の中でも最も華麗なものと言えると思います。


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