心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

石清水八幡宮に行きました 1

2018年06月21日 | 仏像巡り

徒然草に仁和寺(にんなじ)の法師が石清水八幡宮に参拝する有名な話があります。

こんな話です。すこしふくらませて書きます。

仁和寺は京都の御室(おむろ)にある大きな寺院で大勢の僧侶が生活を共にしながら修行に励んでいます。その中の一人のお坊さん、何十年もの間、ひとすじに修行に打ち込んできました。気づいてみると、もう老年です。死ぬ前に一度、あの有名な石清水八幡宮に参拝したい。そう思い立ったお坊さんは、たった一人、歩いて参拝に出かけます。

(あれ、お坊さんがどうして神社に?と思う方があるかもしれませんが、日本人はずっと神様も仏さまも区別なく尊いものとして崇拝してきました。明治の神仏分離が人為的なものだったのです。)

「たった一人、歩いてお詣りした」と兼好法師が書いているところが、この話のポイントです。石清水八幡宮は京の南西、桂川、宇治川、木津川が合流するあたりにあります。京の人たちは、集団で船に乗り、わいわい騒ぎながら川を下り、さながらバスツアーのように観光気分で石清水八幡宮に参拝するのが普通でした。しかし、このお坊さんは「物見遊山ではない。純粋に信仰のために行くのだ。」とたった一人、歩いて参拝に出かけたのでした。しかし、このかたくなさが失敗を招きます。

石清水八幡宮は、男山というそれほど高くない(ふもとからの高低差は100mくらい)山の山頂の平らな部分にあります。ふもとにも、参道にもたくさんの摂社や寺院が並んでいます。このお坊さんは石清水八幡宮のふもとに着き、極楽寺と高良社だけを拝んで満足して帰ってしまいます。

お寺に帰って周囲の人に満足げに語ります。「長年の願いを果たすことができた。聞いていたよりもずっとずっとありがたい所だった。しかし、他の参拝者たちはこぞって山に登っていた。何があるのだろうとは思ったが、神様にお詣りすることこそが本来の目的なのだから山までは見てこなかった。」ときっぱりと言い切ったのでした。もちろん、その山の上こそが石清水八幡宮だったのです。

兼好法師は出家したお坊さんです。しかし、交友関係も広くなかなか柔軟な考えの持ち主だったようです。そんなにかたくなにならず、仲間ともっと楽しくお参りすればよかったのに。兼好法師はそんなニュアンスで書いています。

仏道修行を積んだ人の中には、残念ながら自分こそがだれよりも立派になっていると思い、人を見下すような態度になる人があります。

お釈迦様はこういう態度を我慢(強い自我意識から起こる慢心)とか増上慢(まだ悟りを得ていないのに、悟ったと思って高ぶること)などと言って戒めになられました。

この仁和寺の法師の心に我慢や増上慢はなかったのでしょうか。

 つづきます。

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第28回すぎと寄席が開催されました。

2018年06月17日 | 心證寺

先日、心證寺において第28回すぎと寄席が開催されました。

梅雨の中休み。思いの外の晴天。さわやかでした。

最近人気の御裳(みも)神社にならって手水にあじさいを浮かべてみました。

すぎと浴場の女将、杉戸亭さちさん。

最初の頃は、聞いてる方がハラハラすることもあったのですが、どんどんお上手になって、今回は話に引き込まれて大笑いしました。

KOHARU亭けいじろう君。高校生になって生徒会で活躍されているそうです。

相変わらず客との呼吸がうまい。とっても笑わせてくれます。

今回のトリは、プロの落語家さんの笑福亭大智さん。

声の通りも所作も違うのは当然ですが、初めての会場ということで、だれよりも早く2時間前にいらっしゃって、会場の広さとか、高座の具合とか、マイクの調子とかあれこれ調整されてました。さすがプロです。

今回は50人を超える大入りでした。

また次回、ぜひお越しください。

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太陽の塔

2018年06月03日 | 旅行

先日、大阪府の北部地域に行く用ができて、待ち時間もあったので、万博記念公園の「太陽の塔」を見てきました。

ここに来たのは、大阪万博以来、といっても大阪万博の時、私は7~8歳だったのでほとんど記憶がありません。

高速道路を通過しながら横目に見たことはありましたが、実際に行ってみると、とても巨大で圧倒的な存在感でした。

となりは、高さ日本一のエキスポシティーの観覧車。存在感では太陽の塔は負けていません。

お寺の五重塔が仏教のシンボルとして人々の崇拝対象となっていたのと同じように、太陽の塔も人を惹きつけずにはおかないオーラを放っています。この塔があるだけで、万博記念公園に来る価値があります。ここにいるだけで太陽の塔からパワーがもらえそうな気がします。

後ろ姿。大きな大きなたくましい人間(または、巨大な生き物)が腕を広げて何でも受け止めてくれるような感じです。

背中には、「黒い太陽」。過去の象徴だそうです。

正面は、現在を象徴する「太陽の顔」

そしてこれが、輝く未来の象徴「黄金の顔」。

太陽の塔が建てられたのは50年前。万博当時、最先端の科学技術と言われていたものが数多く展示されていましたが、それらは、あっという間に古くなってしまいました。

しかし、太陽の塔は時が経つほど、見る人に与えるインパクトは大きくなっているように思います。

太陽の塔を作った岡本太郎の目には、人類の普遍的な価値が見えていたに違いありません。

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