徒然草に仁和寺(にんなじ)の法師が石清水八幡宮に参拝する有名な話があります。
こんな話です。すこしふくらませて書きます。
仁和寺は京都の御室(おむろ)にある大きな寺院で大勢の僧侶が生活を共にしながら修行に励んでいます。その中の一人のお坊さん、何十年もの間、ひとすじに修行に打ち込んできました。気づいてみると、もう老年です。死ぬ前に一度、あの有名な石清水八幡宮に参拝したい。そう思い立ったお坊さんは、たった一人、歩いて参拝に出かけます。
(あれ、お坊さんがどうして神社に?と思う方があるかもしれませんが、日本人はずっと神様も仏さまも区別なく尊いものとして崇拝してきました。明治の神仏分離が人為的なものだったのです。)
「たった一人、歩いてお詣りした」と兼好法師が書いているところが、この話のポイントです。石清水八幡宮は京の南西、桂川、宇治川、木津川が合流するあたりにあります。京の人たちは、集団で船に乗り、わいわい騒ぎながら川を下り、さながらバスツアーのように観光気分で石清水八幡宮に参拝するのが普通でした。しかし、このお坊さんは「物見遊山ではない。純粋に信仰のために行くのだ。」とたった一人、歩いて参拝に出かけたのでした。しかし、このかたくなさが失敗を招きます。
石清水八幡宮は、男山というそれほど高くない(ふもとからの高低差は100mくらい)山の山頂の平らな部分にあります。ふもとにも、参道にもたくさんの摂社や寺院が並んでいます。このお坊さんは石清水八幡宮のふもとに着き、極楽寺と高良社だけを拝んで満足して帰ってしまいます。
お寺に帰って周囲の人に満足げに語ります。「長年の願いを果たすことができた。聞いていたよりもずっとずっとありがたい所だった。しかし、他の参拝者たちはこぞって山に登っていた。何があるのだろうとは思ったが、神様にお詣りすることこそが本来の目的なのだから山までは見てこなかった。」ときっぱりと言い切ったのでした。もちろん、その山の上こそが石清水八幡宮だったのです。
兼好法師は出家したお坊さんです。しかし、交友関係も広くなかなか柔軟な考えの持ち主だったようです。そんなにかたくなにならず、仲間ともっと楽しくお参りすればよかったのに。兼好法師はそんなニュアンスで書いています。
仏道修行を積んだ人の中には、残念ながら自分こそがだれよりも立派になっていると思い、人を見下すような態度になる人があります。
お釈迦様はこういう態度を我慢(強い自我意識から起こる慢心)とか増上慢(まだ悟りを得ていないのに、悟ったと思って高ぶること)などと言って戒めになられました。
この仁和寺の法師の心に我慢や増上慢はなかったのでしょうか。
つづきます。