心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

「生態系に悪い草(特定外来種)を防除しています。」

2015年05月31日 | 自然の営み

岐阜県各務原市の旧川島町に「かさだ広場」というところがあります。

木曽川の旧河道にあり、それほど整備されていなくて、自然が多く残って、特に初夏は、高原の草原を歩いているように気持ちのいいところなので、毎年訪れます。

大正末から昭和にかけて、この辺りを幾筋にも分かれていた木曽川の流れを整理して、現在のような三派川にしたそうです。かさだ広場は、しめ切った旧河道を利用しています。

かつて川底だったところ、中洲だったところ、河岸だったところがあって、微妙な高低差とともに、砂礫が多く草原になっているところ、湿地になって萱が茂っているところ、沼になっているところ、小高くて雑木林や竹林になっているところなど、豊かな植生を見ることができます。

入口近くには、広い芝生広場があって、家族連れに人気です。

私が行くのは、その奥。あまり人手の入っていない自然があって、子供や犬を連れてよく行きました。

今の時期には、オオキンケイギグ(大金鶏菊)が一面に咲いて、それはきれいな風景です。

オオキンケイギグです。一面に咲き誇ります。

  

上の写真は、10年ほど前ですが、2~3年前もこのような景色でした。

今年の風景です。

目を疑いました。

重機が入って、地面を掘り返し、砂利が敷き詰められて、一本の雑草も生えていません。

今までは、オオキンケイギグだけでなく、いろいろな雑草や灌木が茂って、乾燥したところ、湿地になったところ、水たまり、日の当たるところ、影になるところ、それぞれに応じて、さまざまな植物が生え、さまざまな小さな生き物にあふれていました。特にこの季節は、草むらで子育てするひばりが何羽も空高く舞い上がり、賑やかにさえずっていました。

「生態系に悪い植物を防除しています。」

こんなふうに重機で掘り返して地ならしして砂利を敷き詰めて、生態系の「せ」の字もありませんでした。生命の欠片も見られませんでした。

乾燥しやすい旧河原です。立派な堤防ができていますから、水に浸かることも殆どありません。土砂も流れてきません。生態系といえるものが蘇るまで何年かかるのでしょう。

最初にも書いたように、かつて川が流れていた時の高低や、土質が砂なのか、石が多いのか、土なのかによって植生が違っていたものを重機でならしてしまっては、生態系の復元はありません。

堤防はしめきって、表面に水は流れなくなっても、地下の水脈は流れています。だから、ある場所には、水が湧いて、沼が出来ていたのです。

アスファルトの新しいサイクリングロードが造られていましたが、鳥の声や草原を渡る風を感じるからこそ心地良いのであって、こんな石ころだらけのところは、だれも通りません。人も草も鳥も虫も寄り付かなくなってしまいました。

生態系の保護が目的だったのか、オオキンケイギグの根絶やしが目的だったのか。愚かなことをしてしまったものです。

 

かさだ広場の奥の方には、雑木林や竹林が広がっています。幸いにもそこは、以前のままでした。

鳥の声も、ホオジロ(頬白)、雉、うぐいす、ホトトギスを聞きました。ひばりは聞けませんでした。あんなにいっぱいいたのに。

竹林の中の散策路。

途中、こんな流れもあります。

ハルジオンの群落。これも帰化植物なんだけど。

やまぼうし

栗の木。白く房になって垂れ下がる花をいっぱいつけていました。

センダン(栴檀)の木。薄紫の花をいっぱいつけていました。

よい香りはありません。

ヘビイチゴ。

桑の実。

よそではあまり見かけない植物がいっぱいです。

これ以上は手を付けずに、そのままにしてほしいものです。

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名古屋駅から名古屋城まで古い町並みを歩きました 3(那古野神社)

2015年05月30日 | 尾張の歴史

名古屋城の大手門から南へ、熱田まで続く道を本町通りといいます。

円頓寺商店街を東へ行き、堀川を五条橋で渡り、更に東に進み、本町通りと交わる辺りに「那古野神社」はあります。

「なごの」と読まずに、「なごや」と読みます。

江戸時代には名古屋城内三の丸に天王社としてあったそうですが、明治になって名古屋東照宮とともに城外の現在地(藩校明倫堂跡地)に遷されました。歴史は古く、醍醐天皇の御代の創建だそうです。ただし、那古野神社という名前になったのは、明治の終わり頃だそうです。

 

名古屋城外堀の南側は、街の区画が碁盤の目のように整然として、東西も南北も、通りに一本一本名前がついています。呉服町通、伊勢町通、伝馬町通、魚棚通、桑名町通、京町通などなど。

江戸時代の絵図を見ても現在のような区画で、通りの名前もそのままで、住んでいた人の職業とか、出身地に関係があるのでしょうか。

本町通りを南に下り、袋町通りを長者町通の方に折れてすぐ、袋町おしょうでんさんがあります。

真言宗の寺院で、大聖歓喜天を祀っています。

交差する大根は、男女和合のシンボルだとか。

境内には、弘法様、十一面観音様、お地蔵様、お稲荷様、天神様、不動明王、七福神、十二支守り本尊、日本百観音、四国八十八霊場のお砂踏みなど、ありとあらゆる神仏のお堂やほらがあって、さながら神仏習合モールのようでした。

名古屋城の中には入らずに、お堀の周りを巡りました。

乾櫓。清洲城の天守を移したともいわれます。戦火で焼けておらず、重要文化財に指定されています。

堀端にあった弁天様。不動明王とともに祀られていました。

名城公園では、ヒトツバタゴ(一つ葉田子)がきれいに咲いていました。

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名古屋駅から名古屋城まで古い町並みを歩きました 2(四間道)

2015年05月25日 | 尾張の歴史

那古野地区に四間道(しけみち)と言われる通りがあります。

四間道は、元禄13年(1700年)の大火の後、防火のため、道路幅を四間(約7メートル)に広げたので、その名前がついたといわれています。通りに面して町家と土蔵が建ち並んでいますが、建物は通りの反対側が、名古屋城に物資を運ぶ目的で開削された堀川に面して、船から直接物資を運び入れることができるようになっています。

石垣の上に建つ蔵。こちら側が背面。正面は堀川に面しています。

四間道にある浅間神社。浅間神社は富士山を神さまとして拝みます。

(木花咲耶姫命と結びつけて祀る場合が多いようです)

四間道から脇に入り、路地の突き当りにあったお地蔵様。子安地蔵尊とあります。

堀川に架かる五条橋のたもとにある屋根神様。どこかの屋根にあったものが、遷されたのでしょうか。

戦争で焼かれていない町を歩くと、町のあちこちで神さま仏さまに出会います。花が供えられ、線香の煙がのぼり、人々の日々の祈りの場となっていることがわかります。身近なところに神さまほとけさまがいらっしゃる、本当の姿だと思います。

(つづく)

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名古屋駅から名古屋城まで古い町並みを歩きました 1(那古野)

2015年05月23日 | 尾張の歴史

名古屋駅から名古屋城まで、古い町並みが残っている地区があります。

国際センタービルの北から路地に入ると、「那古野」という地区があります。

現在は「なごの」と読みますが、平安時代からある地名で、古くは「なごや」と読んだそうです。

江戸時代の初め、尾張徳川家の居城が清須からこの地に移されたときに、「名古屋」と表記されるようになったと言います。

その、那古野地区の古い民家。屋根に屋根神様が祀られています。

円頓寺。日蓮宗の寺院です。門前は、円頓寺商店街というアーケードの商店街になっています。

 

商店街にある古道具屋さん。ご主人は、名古屋には、三菱やトヨタなどに外国の偉いお客さんが来るようになったけど、一般の観光客にも、もっと名古屋に来てほしいもんだとおっしゃてました。

「円頓寺銀座街」。寅さん映画に出てきそうな風景です。

 

円頓寺商店街に金毘羅さんがありました。

金毘羅さんといえば、香川県の金刀比羅宮が有名です。金刀比羅宮は、今は神社になっていますが、明治の神仏分離令が出る前は、真言宗の寺院でした。ご本尊の十一面観音は現在、宝物館に収められています。金毘羅さんは仏教の守護神、宮毘羅(グビラ)が、金毘羅大権現として日本に姿を現されたものと言われます。もともとは、ヒンドゥー教のガンジス川の神、グンビーラで、仏教に取り入れられて宮毘羅となり、薬師十二神将にもメンバー入りしています。グンビーラは、ガンジス川のワニを神格化したもので、水運を司る神として日本の船乗りたちの信仰を集めるようになりました。

(続きます)

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日本国憲法を改めて読んだ

2015年05月17日 | 平和の祈り

日本国憲法を読み始めると、まずこう書いてあります。

 

政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」(前文)


「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないように」この憲法を定めたのだということが真っ先に書いてあります。

 

そして、この憲法の最後(補則の前)には、

 天皇又は摂政及び国務大臣、国会議員、裁判官その他の公務員は、この憲法を尊重し擁護する義務を負ふ。(第九十九条)

大臣や国会議員は、この憲法を尊重し擁護する義務があると定めています。

「憲法解釈」の変更によって、憲法の精神をないがしろにすることは、許されないことです。

 

そして、第九条です。

第二章 戦争の放棄
第九条  日本国民は、正義と秩序を基調とする国際平和を誠実に希求し、国権の発動たる戦争と、武力による威嚇又は武力の行使は、国際紛争を解決する手段としては、永久にこれを放棄する。
○2  前項の目的を達するため、陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めない。

国と国のもめごとを解決するために、戦争はもちろん、「われわれと戦っても勝ち目はないぞ」と武器や兵員を動かす姿勢を見せることも放棄すると書いてあります。そのために、戦力は持たない、他国とは戦わないと書いてあります。

これだけはっきり憲法に書いてあるのに、憲法を擁護し尊重すべき大臣や国会議員が、
「憲法解釈」を変えて、国際紛争を解決する手段として、武力を行使し、場合によっては他国と交戦できるようにしようとしています。

 この国の行方は国民が決める、つまり、主権は国民にあるのですから、国際情勢が変化して日本国憲法が想定していない事態が起こるようになったとしたら、憲法改正を国民に問うことが、憲法を尊重することではないでしょうか。

第九章 改正
第九十六条  この憲法の改正は、各議院の総議員の三分の二以上の賛成で、国会が、これを発議し、国民に提案してその承認を経なければならない。この承認には、特別の国民投票又は国会の定める選挙の際行はれる投票において、その過半数の賛成を必要とする。

憲法が定めるように、国民の選んだ国会議員の三分の二が賛成し、国民投票で過半数が得られたのなら、それが民意であり、この国の将来の行方を決めるものとして、尊重すべきことだと思います。

その手続をしないで、憲法を恣意的に解釈して、国民の意を問うことなく国を動かそうとすることは、許されることではないと思います。

もちろん私は、戦争は決してしてはならないと思っています。

また、経済的繁栄をもたらす政府を国民の過半数が支持したとしても、国民の過半数が、戦争を許すことはないと思っています。

日本国憲法

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養老山に登りました 2

2015年05月10日 | 自然の営み

新緑の養老山に登っています。

尾根を歩いて笹原峠というところに来ました。旧牧場方向から来て、三方山に向かいます。

三方山から濃尾平野の素晴らしい眺めです。

眺めのいいこの場所に、石柱が二本並んで立ててあり、花や灯明を立てられるようになっています。

石柱には、よく見ると梵字が刻まれています。

日蓮宗では、梵字(種字)は用いないので、なんと書いてあるのか、わかりません。

大日如来、不動明王などの仏さまの名が記してあるのかもしれません。

誰かの供養のために、この見晴らしのいいところに供養塔を建てたのかもしれません。

どんないわれがあるのでしょうか。(もし、わかる方があったらお教え下さい)

麓に降りてくると、そこはまた観光地。昭和な感じの土産物屋さんが並んでいて、とても懐かしい感じでした。

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養老山に登りました

2015年05月09日 | 自然の営み

新緑の養老山に登りました。

麓には、養老寺と養老神社があります。奈良時代には、養老山は修験道の霊場だったそうです。

養老の滝。孝行息子が老父を養うため水を汲んだところ、酒に変わったとの伝説があります。酒は百薬の長で、老父の病を癒やす薬としての意味があったのでしょう。元正天皇がこの話をお聞きになり、わざわざこの地にお出ましになり、養老の滝と命名し、年号まで養老と変えてしまったということです。

 

さて、滝までは、観光客でいっぱいですが、その奥に登山道があり、新緑の中、しずかに足を進めることができます。

林道を登っていきます。

落葉樹の若葉が一斉に芽吹いて、独特のにおいがします。

これは、まむし草。

これはイワカガミ(岩鏡)。

これは、フデリンドウ(筆りんどう)。

これは、キランソウ。かわいい野の花がいっぱい出迎えてくれます。

尾根道は、こんな感じ。明るい日差しがいっぱいです。

アカヤシオといって、ツツジの仲間です。いっぱい咲いていました。

つづきは、また後日。

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養老公園の妙見さま

2015年05月06日 | 日蓮宗

養老山を登りに行きました。登る前に養老公園内にある、妙見堂を参拝しました。

妙見山への道標。養老寺から少し登ったあたりにありました。滝へ三丁とあります。

新緑が美しい滝へ向かう道を登ります。

妙見堂の案内看板。時代を感じます。昭和の匂いです。

ここに祀られているお釈迦さまの立像は、丈六(お釈迦さまの等身大。約4.8m)で、身延山奥の院参道にある丈六堂のお釈迦さまと同じ木で彫られたものだそうです。

↑ 身延山丈六堂のお釈迦さま。(写真は日蓮宗新聞社)

↑ 養老公園妙見堂のお釈迦さま。(写真は養老町観光協会)

養老公園の妙見堂です。

妙見さまは、北辰妙見大菩薩といって、天にあって常に私たちに正しい道をさし示す北極星の神さまです。

日蓮宗の各寺院に祀られ、能勢の妙見山は広く知られています。当山でも能勢妙見山より頂いた妙見さまをお祀りしています。

この養老の妙見堂は、庫裏部分が2014年に火災にあって、全焼してしまいました。山中のことで水の便が悪く、消防車も入れなかったため、大きな火事となってしまったそうです。

妙見堂を後にして、滝を見に行き、そのあと養老山を登りました。(つづく)

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永代百部経法要を営みました

2015年05月04日 | 心證寺

5月3日、永代百部経法要を営みました。

当寺では、檀信徒の方々から永代供養料をお預かりし、毎朝、朝勤の際に月命日にあたる方の法号を読み上げて供養をしています。

また、年に一度、大勢の僧侶を招いて法華経を読誦し、お預かりしている全ての方の法号を読み上げ、供養します。

その法要がこの永代百部経法要です。

法華経は8巻28品に分かれています。その全体を1部と呼びます。大勢の僧侶で法華経全体を読誦するので百部経と言っています。

日蓮宗の寺院では、4,5月頃に多くに寺院で永代供養の法要が営まれます。

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