戦争という過ちを二度と繰り返さないことが、犠牲者の一番の供養です。
今日7月28日は、一宮市が2度めの空襲を受け、市街地の80%が灰燼に帰し、700名余りの罪のない一般市民が犠牲になった日です。
朝6時、大乗公園にある空襲殉難碑前で、法華経読誦、唱題し、供養いたしました。
一宮は、昭和20年7月、二回にわたり大きな空襲を受けました。12日深夜から翌日未明にかけて、葉栗・西成地区と今伊勢地区が空襲を受け、さらに28日午後10時頃には、B29約260機が市上空に侵入し、油脂焼夷弾の波状攻撃を行いました。市内全域はまたたく間に火の海と化し、うめき苦しむ声がこだまし、さながら生き地獄のような光景が瞬時にして出現したのでした。攻撃は翌午前二時頃まで繰り返され、その火は三日三晩燃え続けたといいます。
二回の空襲により、市内全戸の83%にあたる10468戸が焼け、市人口の71%にあたる2万1千27名が焼け出されました。死者727名を出し、市街地の80%が灰塵に帰したのです。
市内の大乗公園には、一宮空襲殉難慰霊碑があり、次のような文が刻まれています。
【表】祈【裏】こゝ空爆の被爆の中心地をえらび昭和二十年七月十二日と七月二十八日の二回の大空襲によつて尊い犠牲となられた罪なき市民の御霊七百余程の安らかなごめい福をお祈りし平和をまもるためにこの碑を建立する 昭和三十三年七月二十八日 一宮市長
昭和20年7月28日夜の空襲で心證寺もすべて焼き尽くされ、当時の住職は、奥様、五人のお子さんとともに、境内にあった防空壕の中で亡くなりました。現在、当山境内には、住職はじめご家族七人を一緒にお納めする墓があり、今朝はその墓前でも読経し、供養をいたしました。
今年で戦後70年を迎えます。この碑文にあるように、戦争が終わって私たちは、戦争という過ちを二度と繰り返さない、平和な世の中を築いていくと誓いました。しかし、時代が過ぎるとともにだんだんとその誓いを忘れ去ってしまう人も現れるようになりました。
昭和21年に制定された日本国憲法を読むと、前文にまずこう書いてあります。
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないやうにすることを決意し、ここに主権が国民に存することを宣言し、この憲法を確定する。」
「政府の行為によつて再び戦争の惨禍が起ることのないように」この憲法を定めたのだということが真っ先に書いてあります。
再び戦争を起こさないこと、それが私たちの一番の願いであり、戦争で犠牲になった方々の霊をお慰めする一番の方法だと思います。