心證寺住職のブログ

諸天昼夜 常為法故 而衛護之 諸天善神に護られて

猿投神社の千手観音 3

2018年04月27日 | 仏像巡り

猿投神社の千手観音が修復されて、豊田市郷土資料館で公開されていると聞いて行ってきました。

その足で猿投神社にも参拝しました。(前回のブログ)

今回修復された十一面観音立像は、猿投神社境内外の山中観音堂に秘仏本尊として安置されていたそうです。

猿投神社の奧、山を少し入ると観音堂はありました。

建物は、室町時代のものだそうで、中尊寺の金色堂のように鞘堂で覆われています。

猿投山は、古くから山岳信仰、巨石信仰のあった山で、猿投神社の神宮寺として白鳳寺という大寺院があり、最盛期には16坊を有していたそうです。

今回修復された十一面観音立像も平安時代の仏像とみられています。

観音堂のすぐそばに、大悲殿東昌寺というお寺がありました。

境内にたくさんの石の仏さまがいらっしゃいました。

どんな仏さまでしょうか。

これは新しい感じ。

猿投山の歴史を静かに見守ってこられたのかもしれません。

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猿投神社の千手観音 2

2018年04月19日 | 仏像巡り

猿投神社の千手観音が修復されて、豊田市郷土資料館で公開されていると聞いて、行ってきました。(前回のブログ)

その足で猿投神社にも参拝しました。

猿投神社は、猿投山の麓に本社があり、山中に東の宮、西の宮があるそうです。

最初に見えてきたのは、黄色い大きな鳥居。

鳥居をくぐり、石橋を渡り、総門をくぐると杉並木の参道が続いています。

こんな立派な杉の木もありました。

参道の先に今度は茶色い鳥居。その向こうが拝殿です。

祭神は、大碓尊(おおうすのみこと)。景行天皇の子、日本武尊の双子の兄です。

大碓尊は、猿投山の山中で毒蛇にかまれてなくなったとされ、猿投神社西の宮近くに墓所があり、宮内庁により管理されています。

猿投という地名は、景行天皇が伊勢国に行かれたとき、飼っていた猿が悪さをしたため、伊勢湾に投げ捨てたのだそうです。その猿が逃げてこもったのがこの山だったので、猿投山と言うようになったとか。

中門脇には、親子ざるの彫刻が。

左鎌の絵馬が数多く奉納されていました。

大碓尊が左利きで、左鎌を使ってこの地方を開拓したことにちなんでいるとか。

職場の安全祈願のために、トヨタ系の会社が左鎌の絵馬を自作して、部署ごとに奉納しているようでした。

つづく

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猿投神社の千手観音

2018年04月17日 | 仏像巡り

猿投神社の千手観音が修復されて、豊田市郷土資料館で公開されていると聞いて、行ってきました。

猿投神社の山中観音堂で守り継がれてきた仏さまで、普段は絶対秘仏としてお姿を見ることができません。

修復が完了したのを機に、今回だけ特別に公開されました。

(写真は朝日新聞から)

カヤの一木づくりでお顔やおなかがややふっくらしています。

身長は約170cmでほぼ等身大です。

木肌が美しく、痛みも少なく、とてもきれいな仏さまでした。

ポスターは修復前の写真を使っています。

黒っぽく汚れて、木肌の上に何か塗られているようにも見えます。

写真では見にくいですが、目には白、口には赤の色が差してあります。

昔の人なりの大切にしたいとの思いの現れでしょう。

腕の付き方も違います。全部斜め上を指しています。翼のようです。

修復後のものは、きれいに放射状になっています。

光背や持物も整えられたようです。

博物館だけでなく、猿投神社にも行かねばと思い、行ってきました。

つづく

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宮沢賢治「永訣の朝」と法華経 5

2018年04月04日 | 法華経

5 どうかこれが兜率(とそつ)の天の食に変わって 

 

賢治は法華経を熱心に信仰していました。法華経の理解なしに賢治の文学をほんとうに理解することはできないと思います。

毎日法華経を読んでいる者の視点から、「永訣の朝」を読んで、気づいたことを書いてみたいと思います。その5回目です。

 

「永訣の朝」の最後は、初版本では

 どうかこれが天上のアイスクリームになって  やがてはおまへとみんなとに
 聖い資糧をもたらすことを  わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

のように「天上のアイスクリーム」となっています。

しかし、発表後に賢治自身が手を入れた宮沢家所蔵本では、

 どうかこれが兜卒(とそつ)の天の食に変って   やがてはおまへとみんなとに
 聖い資糧をもたらすことを   わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

のように、「アイスクリーム」の部分が「兜卒の天の食」になっています。


「兜卒の天の食」とは、どんなものなのでしょうか?

法華経の普賢菩薩勧発品に

 もし人あって(法華経を)受持し読誦し其の義趣を解せん。是の人命終せば、千仏の手を授けて、 恐怖せず悪趣に堕ちざらしめたもうことをえて、即ち兜率天上の弥勒菩薩の所に往かん。(妙法蓮華経普賢菩薩勧発品第二十八)

 (もし、法華経の教えを大切に守り、声に出して読み、意味を理解しようとする人は、現世の命が終わるとき、たくさんの仏たちが手をさしのべて、悪道に堕ちて恐ろしい目に遭うことなく、すぐに兜率天の弥勒菩薩のもとに生まれ変われるだろう。)

賢治とトシは、法華経の教えを大切に守り、声に出して読み、意味を理解しようとしていました。必ず兜率天の弥勒菩薩のもとに生まれ変わることができると信じていたのでしょう。

自分が苦しみから救われるだけでなく、自分の行いによって、多くの人々が救われるようにと願っていたのでしょう。

妹の死は、個人的な出来事です。しかし、個人的な悲しみにとどまることなく、妹の死を機会に生きることの意味について再確認し、人の幸せはすべての人の幸いを願うことにあると気づかされたという点にこの「永訣の朝」の素晴らしさがあると思います。

終わり

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