「オレが天才なら 新井田は神様」
これは元2階級制覇王者「畑山隆則」の言葉である。
ボクサー「新井田豊」は2001年1月8日の日本タイトルマッチに挑む。当時チャンピオンだった「鈴木誠」は4度目の防衛戦、そろそろ世界挑戦の話も出始めた安定チャンピオンだ。そのチャンピオンに4,5,8ラウンドにダウンを奪い、9ラウンドに試合を決めるのである。
華麗なフットワーク、巧みなフェイント、スムーズなスイッチ(右構えから左構えへ)、ノーガードでのディフェンス、そして何と言ってもキレのあるパンチ。特に左のアッパーやフックのダブル(2連打)やトリプル(3連打)は惚れ惚れした。
課題があるとすれば、やや線が細いこととスタミナ、そして若さによる「精神面」だろうか。しかし、課題を打ち消すほどのボクシングセンスの塊だった。
そしてすぐに世界挑戦が実現する。相手は「チャナ・ポーパオイン(タイ)」。日本タイトルから応援していたファンにはやや物足りないパフォーマンスだったが、1回目の挑戦で難なくクリア。これから世界チャンピオン「新井田豊の時代」がくると誰もが夢を膨らませた。
しかしその後に飛び出した誰もが目を疑ったニュース。
「新井田豊、王座返上、引退へ」
無敗の世界チャンピオンが防衛戦もせず引退。理由は世界チャンピオンになったことによる「モチベーション切れ」とのこと。このケースは日本ボクシング界で初の出来事だった。残念ながらこんな場面で「精神面」の脆さが出てしまったのだ。
引退表明後はジムでのトレーナー業を行っていたようだ。トレーナー業をやって判ったこともあるのだろう、早くも2002年12月に現役復帰を表明する。そんな行動に世間は厳しい目がほとんどだった。
復帰した元世界チャンピオンに早くも(2003年7月)世界戦が決定する。相手は「ノエル・アランブレット(ベネズエラ)」。しかし善戦するも僅差判定負け。新井田は「俺の負けです、力が足りなかった、また一から出直します」とのコメントを残した。そのコメントに少しだけ大人になった感じがした。新井田はこれが初の敗戦だった。
さらに世界戦は続く、善戦が認められ「ノエル・アランブレット」への再戦が(2004年7月)決まった。再び接戦になるも今度は新井田が判定勝利。2度目の世界チャンピオンに返り咲いた。
その返り咲きの姿に「モチベーション切れ」と言って王座返上した「精神面の脆さ」は無くなっていた。その後7度の防衛に成功するが、ほとんどが際どい判定勝利。日本タイトルマッチで見せたあの輝きを期待してどの試合も観戦したが、世界戦でその輝きを見せることは無かった。世界戦では体調面(調整)で苦労することが多かったが、どんなに苦しくても諦めず、ポイントを上手く取りにいく姿は、どのチャンピオンよりも「チャンピオンにしがみついていた」ように感じた。
最後の試合は今も無敗の強豪「ローマン・ゴンザレス(ニカラグア)」、どんなに殴られても殴られても倒れない新井田の姿にも「最後のあがき」が見えたように思う。そしてレフリーのストップ。その一瞬に見せた表情は、「悔しさ」とともに「終わった」という安堵な気持ちも見れたように思う。
誰しも過ちはある。
過ちに気づき、そして過ちを認め、努力をし立ち直る。
このボクサーを通じて、そんな心の成長を感じることが出来た。
大好きなボクサーの1人である。
(おまけ)以下、会場で観戦した写真です。
(2004年10月30日 ファン・ランダエタ戦 防衛①)
(2005年9月25日 エリベルト・ゲホン戦 防衛③)