共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

五十嵐郁子先生、有り難うございました

2017年02月04日 22時18分22秒 | 音楽
今日は、先月他界された故・五十嵐郁子先生を偲ぶ会が開催されるということで、有楽町まで出かけました。

会場は有楽町マリオンのすぐ近くにある銀座教会の中の集会室でした。受付を済ませて会場に入ると壁際に簡素な祭壇が設けられていて、花が飾られた中に先生の遺影が微笑んでいました。

奇しくも今日は先生の四十九日に当たるとのことで、先生の御親族の方は先生の御実家のある兵庫県芦屋市での法要があるため、残念ながらどなたもいらっしゃいませんでした。しかし、会場には生前の先生の交友関係や師弟関係を現すかのように、沢山の参列者が詰めかけていました。中には個人的に懐かしい顔ぶれもあって、予測していたことではありますが、ちょっとした同窓会の様相も呈していました。

開式の辞の後で、特別に出席なさった銀座教会の牧師先生によって祈りを捧げられました。それから、先生がフォーレのレクイエムの『ピエ・イエズ』を歌っておられる映像が流されると、会場内からすすり泣きが漏れました。

それから最近まで先生の傍におられたという門下生の方から、先生のお姉様から聞いたというこれまでの経過についての報告がありましたが、その内容は想像をはるかに超える過酷なものでした。

実は私が学生だった頃から御両親のお世話のために東京と兵庫県芦屋市の御実家を往復されていたこと(お父様は他界されたそうですが、お母様は現在も95歳で御存命とのことでした)、一昨年末くらいから風邪の症状が続いていらして三ヶ月経っても症状が改善しないので検査をしたところ腎臓がんのステージ4だと判明したこと、その時点で『もって五月まで』と宣告されていたにも関わらずお弟子さん一人一人の年間スケジュールを立てておられたこと、もつかどうかと言われていた昨年五月を迎えたものの出演を予定していたモーツァルトのレクイエムのステージを断腸の思いで降板されて治療に専念すると決意されたこと、その時点で肺や脳にまで転移がみられていたのに『絶対に再起する』という強い思いからありとあらゆる治療に耐えておられたこと、特に脳の手術については術後に認知症になるリスクがあることを承知で依頼をされていたこと、脳手術が奇跡的に成功したものの右手に痺れが出てしまってメールが打てなくなってしまったため懸命にリハビリされていたこと(それまで先生は病床から御友人や門下生の皆さんとメールで頻繁にやり取りをされていたそうですが、右手に麻痺が出てしまってからは返信出来なかったのだそうです)、それでも昨年十一月頃にはフルマラソンを走っているかのように苦しそうに息をなさっていたこと、そんな中でも最後まで希望を捨てずにいらしたこと、しかし願い叶わず十二月十七日に帰天されたこと…伺うだに、あの華奢な先生の何処にそんなバイタリティーがあったのかと思わされるようなことが、次から次へと明かされたのです。

驚きを禁じ得ない中で、今度は我々昭和音大生にとって一番馴染み深い《メサイア》のソロを歌っておられる映像が流されました。先生の過酷な最期を伺った後での在りし日の美しくお元気な姿に、改めて場内から嗚咽が漏れていました。

それからは歓談の時間となり、先生のお好きだったケーキと紅茶を頂きながら、個々に先生との思い出話に花を咲かせました。その間にも



会場内のモニターには生前の先生の歌唱の映像が流され、皆が思い思いに聞き入っていました。また、会場内に設置されたホワイトボードには門下生や関係者の皆さんが持参された先生の写真が掲載され、それぞれが泣き笑いで先生のと思い出を語り合っていました。


私は五十嵐先生の歌が大好きでした。とかく朗々と歌い上げるソプラノ歌手の多い中、年上の方にこういう言い方をするのは失礼にあたるかも知れませんが、先生のソプラノはとても素直で温かくて耳に優しくて心地よいものでした。

普段は天真爛漫がお洋服を着て歩いているような朗らかな先生でしたが、音楽に取り組む姿勢は並々ならぬものがありました。毎年末の《メサイア》公演は勿論ですが、かつて学園祭で私が所属していたサークルと合唱サークルの合同公演でモーツァルトのレクイエムの演奏会をした時にも快く学生の依頼を引き受けて下さり、素晴らしい歌唱を聞かせて下さいました。また、学園祭の中で先生がミニリサイタルを開いて下さったこともありましたが、その時の歌声は今でも忘れられません。

実はそれとは別に在学中に個人的に御縁があって、先生の門下生の発表会のお手伝いを何度かさせて頂いたことがありました。先生はその時の私のことを覚えて下さっていて、卒業後に私が出演した演奏会に先生がソリストでいらした時に席まで御挨拶に伺うと

「あら!御一緒なの?ビックリしちゃう。宜しくお願いしますね(^_^*)」

と満面の笑顔で仰って下さいました。

考えてみれば、メサイア、第九、ブラームスのドイツ・レクイエム、モーツァルトのレクイエム、フォーレのレクイエム、ハイドンの天地創造…ひとりのソプラノのソリストとこんなにも多くの大作を御一緒させて頂くことが出来たのは、私にとって大きな大きな財産となりました。


歓談の後に、学生時代からずっと交流があるというソプラノの先生による挨拶がありましたが、その中で五十嵐先生が常に『Bella voce』ということを心がけておられたというお話がありました。直訳すれば『美しい声』ということですが、五十嵐先生は正にその言葉を体現しておられた方だと思います。そしてそれは脈々と門下生の皆さんに受け継がれ、これから先も日本の音楽界に浸透していくことと思います。

最後に、先生が門下生の発表会の講師演奏でいつも歌っておられた《夏の思い出》を全員で歌って閉会となりました。私もきちんと『Bella voce』で歌いたかったのですが、花に囲まれた先生の遺影の笑顔を見ていたら涙が止まらなくなってしまい、上手く歌えず終いになってしまったのが心残りでした。


このスレッドの結びに


五十嵐郁子先生、本当に、本当に、本当に、本当に、本当に有り難うございました。先生と同じ舞台に立ち、共に演奏することが出来たあの日々は、私が生きている限りいつまでも私の中で息づき続けます。いつかまた先生のような素晴らしいソプラノ歌手が先生の門下生から現れて、日本の声楽界の一翼を担って下さることを期待しております。

そして、及ばずながら私がいずれお近くに参じることが叶いましたら、また御一緒させて頂きたいと思います。ですから、厚かましいこととは重々承知しておりますが、出来れば私のことを御記憶の片隅にでも覚えて下さっていたら幸いです。

心からの感謝を込めて。

合掌。
コメント (1)
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