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共 結 来 縁 ~ あるヴァイオリン&ヴィオラ講師の戯言 ~

山川異域、風月同天、寄諸仏子、共結来縁…山川の域異れど、風月は同天にあり、諸仏の縁に寄りたる者、来たれる縁を共に結ばむ

久々お出まし!龍神様

2023年11月02日 17時20分20秒 | スピリチュアル
今日は、勤務先とは別の小学校の放課後子ども教室の日でした。11月だというのに、時ならぬ暑さとなった小田原駅に降り立って東口から外に出ると、目の前の空に



龍神様が浮かんでいました。

あまりにもハッキリと空に浮かんでいらしたので、急いで写真を撮りました。ただ、肉眼ではもっとハッキリと視えているのですが、いざスマホを構えて撮影してみると、何枚撮ってもなかなか上手く写らなかったのです。

その中でもとりあえずどうにか見られるかな…と思えたのは、上の写真と



ちょっとだけズームアップしたこの2枚だけでした。右側に向かって口を開けておられる姿がお分かりいただけますでしょうか。

今までにも何度か龍神様がお出ましになったことがありましたが、毎回そう安々とは写真に収まってはいただけません。だからこその龍神様なのでしょうが、とりあえず自身の眼に焼きついた御姿を記憶に留めておこうと思います。

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つけ麺食い過ぎたぁ〜!

2023年06月23日 18時50分45秒 | スピリチュアル
今日も小田原は、梅雨寒の一日となりました。気温が既定値に見合わなかったためにプールの授業も中止になってしまい、子どもたちには残念な思いをさせてしまったのでした。

そんなことがあって気持ちが浮ついていたのか分かりませんが、今日給食の時にひとりの子が自分の分をトレーごと落としてしまって大騒ぎになりました。その時点であとは教職員の分を残すのみとなっていたのですが、急遽その子のために改めて一セット分用意しなくてはならなくなり、結果大人たちには舐める程度の分しか残りませんでした。

そんなことがあったので、午後の授業ではあからさまに聞こえるくらい腹の虫が鳴き続けていました。それでもどうにか授業を終えて子どもたちを送り出してから、退勤途中で寄り道していくことにしました。

小田原駅東口から徒歩5〜6分ほどのところに小田原ダイヤ街という商店街があるのですが、その中程にある



『小田原ぶらり横丁』という飲食店街に来ました。ここに『つけ麺春樹』というラーメンとつけ麺の店があるので、久々に来てみたのです。



暖簾にも書いてありますが、ここのつけ麺は麺量超特盛900gまでは無料になります。今日はとにかく空腹なので、久しぶりに腹いっぱいつけ麺が食べたくなりました。

ただ、そうはいっても900g=約1kgはさすがに無理そうなので、今日はその下の特盛750gをオーダーすることにしました。そして登場したのが



これです。

写真だと伝わりにくいのですが、この極太麺の入った丼が結構深く、見た目以上にボリュームがあります。なので、最初のうちは喜んで食べていたものの、しばらくすると

『失敗したかも…』

と、調子にのって特盛にしたことを若干後悔したりもしました。

それでも、豚骨と魚介の旨味が凝縮した濃厚なつけダレの風味と小麦の香り高い極太麺の相性の良さに箸が進みます。途中で別添えの魚粉や青ネギなどをつけダレに入れて味変しながら、しっかり完食することができました。

それにしても、いくら空腹だったとはいえ久しぶりに食べ過ぎました。今度来る時には、ノーマルサイズで十分です…。

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間隙をついて

2023年06月02日 18時18分18秒 | スピリチュアル
朝から警戒が呼びかけられていた台風2号絡みの大雨は、私が出勤していた時には大したことはありませんでした。ただ、私が学校に到着して子どもたちを迎え入れようとした時にかなり強い雨が降ってきて、昇降口はびしょ濡れになった子どもたちで大騒ぎになりました。

その後、午前中は通常レベルの雨に落ち着いたものの、午後になってからまた雨足が強まってきました。そんな中で子どもたちを送り出して後片付けをしてから、覚悟を決めて外に出た…のですが、風雨ともに大したことはなく、何とか無事に小田原駅まで到着することができました。

風雨に弱い小田急線ですが、私が乗車した段階ではダイヤ通りに運行していて、途中までは問題なく帰路につけていました。ところが、厚木の隣の伊勢原市付近を走行中に、車窓の外が見えなくなるほどの豪雨が降ってきたのです。

これはいよいよか…と、車内で覚悟を決めて本厚木駅に降り立ちました。ところが、いざ外へ出てみると普通レベルの雨になっていました。

それでも、つい先程まで荒れ狂っていた天候の痕跡は





壊れて打ち捨てられた傘というかたちであちこちに残されていました。こうした傘は、後に風雨が強まった時に飛ばされて非常に危険なので、撮影後に近くのごみ集積所に移動させた上で手厚く供養しました(オイ…)。

その後も何だかんだ言いながら大した雨にも降られず、無事に帰宅することができました。そして、玄関に入ってやれやれ…と一息ついた途端、外から凄まじい豪雨の音が響いてきたのです。

まるで驟雨や豪雨の隙間を縫ったように帰宅してきたのですが、私は時折こうした現象を体験することがあります。実に不思議なことですが、守っていただけているのだろうな…と感謝しています。

そんなことを考えながら自宅の神棚と仏壇に夕べのお勤めをして、感謝の念を述べました。関東地方ではこれからが雨のピークになるそうですが、最新の情報に留意しながら過ごそうと思います。

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私の知らない渋谷駅

2023年02月18日 21時35分15秒 | スピリチュアル
今日はかなり暖かな陽気となりました。そんな中、今日はかなり久しぶりに渋谷に出かけました。

渋谷駅は先月頭に二日間かけて線路を動かして、外回りと内回りのプラットホームを一本化しました。実際に降り立ってみると



かつてのホームよりかなり広くなったように見えます。

山手線の電車がいなくなると



その向こうに埼京線のホームが見え、



湘南新宿ラインの電車が入線してきました。かつての埼京線の渋谷駅がここから数百メートル離れていた頃を知っている身からすると、山手線と埼京線が並んでいるこの光景は何とも不思議です。

ふりかえると



鉄骨だらけのかつての外回りのホームが見えます。かつてはあそこを普通に歩いて電車に乗っていたことを思うと、感慨深いものがあります。

それにしても、新しいホームを歩いていると自分がどこにいるのか分からなくなります。ふと見ると



成田エクスプレスの車両まで停まっているので、ちょっと脳が混乱します(汗)。

外へ出ようとして階段を降りると、そこにあったのは



見たことのないラビリンス(地下迷宮)でした。とにかく外が見えないので自分がどっちを向いているのかが判らなくなり、どこの出口に出たらいいのかが分からないのです。

やっとのことで外へ出ると



渋谷ヒカリエや渋谷スクランブルスクエアといった、それまでに見たことのない巨大建造物が聳え建っていました。そして



渋谷駅の上にあった東急東横店はすっかり姿を消し、渋谷らしからぬ広い空が広がっていました。

とにかく駅を出るまででかなり疲れてしまったのですが、それでも何とか気を立て直してスクランブル交差点を渡り



渋谷ロフトまで来ました。今日はここの地下にある文具コーナーという魔窟に、買い物をしに来たのです。

あれこれと買い物をしている中で、ふと気になって



マスキングテープのコーナーに来てみました。来たことを後悔するようなラインナップに時を忘れるようにしてあれこれと物色していたのですが、今日はその中から



ネコとピアノと音符がデザインされたマスキングテープを買ってしまいました(汗)。

私事ですが、今日でまた一つ齢を重ねて52歳となりました。気づけば母が他界した歳に追いついたのですが、自分では全く実感がありません。

今日に至るまで、

『自分は母の歳まで生きないのではないか…』

という根拠のない思いに、何となく囚われて生きていました。その齢を無事に(?)迎えたことで何とも複雑な気持ちになっていますが、今後とも日々を大切に生きていこうと思います。

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珍客襲来!?すす払い

2021年12月19日 16時20分25秒 | スピリチュアル
今日も寒いながらいいお天気となりました。そこで、今日は我が家の



神棚と仏壇のすす払いを挙行することにしました(大袈裟な…)。

ほぼ一年ぶりの大掃除のためにマスクを装着してから、先ずは神棚にある供物や燈明を全部下ろしてハタキをかけました。普段から綺麗にしていたつもりでもいつの間にか埃というものはたかっているもので、そこそこな量の埃が舞い上がりました。

続いては仏壇のすす払いを。

とりあえず仏壇にのっている仏様やら遺影やらを全て下ろしてから、手前に置いてある経机を



ベランダに持ち出してハタキがけをしました。こちらにもなかなかの量の埃が積もっていたので、はたき甲斐がありました。

次に奥に置いてある阿弥陀三尊の鎮座している経机を引っ張り出そう…と思ったのですが、これがまた結構重い!引っ越しの時にどうやって持ってきたのだろうか…と思うくらいの重さに、ちょっと面食らってしまいました(汗)。

幸いこの経机の上には敷物を敷いていたので、とりあえず欄干や不動明王、宇賀辯財天を下ろしてから



敷物の埃をはたいて元に戻しておきました。

その後、各仏様や欄干等の調度品、遺影や香炉をはたいて埃を落としていたら、突然外から何か小さな未確認飛行物体がバタバタバタッ!というけたたましい羽音を立てて室内に飛び込んできて我が家の中を一周したかと思うと、またバタバタバタッ!と外へ出て行って向かいの電線に止まりました。あまりにも突然のことだったので危うくハタキがけをしながら転倒しそうになったのですが、何が入ってきたのかと思って電線を見てみたら、その正体はなんと


(イメージ画像)

メジロだったのです。

我が家は南向きの二階で軒が深いながらも日当たりの良いベランダがあることもあってか、普段から物干しにいろいろな小鳥が止まったりしています。普通なら物干し止まりなのですが、どうやらこの子は勢い余って、たまたま開いていた窓から中まで侵入してしまったようです(汗)。

思いがけないメジロの襲来というハプニングに取り乱しながらも、気を取り直してハタキがけを続けて全てを元に戻し、



何とか無事にすす払いを終えました。

「おいおい、始めの写真と何が違うねん?」

と思われるかも知れませんが、最後の写真はちゃんとすす払いを済ませた後です(笑)。

ひたひたと年の瀬が迫ってきていますが、とりあえず我が家の精神的支柱は綺麗になりました。後は少しずつ部屋の大掃除をしていこうと思っております。

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禅宗僧侶による般若心経ビートボックスRemix〜赤坂陽月禅師《Heart Sutra✕Beatbox》

2021年09月20日 16時50分35秒 | スピリチュアル
今日は、今やすっかり存在意義を見失ってしまった敬老の日です。それと同時に、今日から秋の彼岸に入ります。

我が家でも仏壇に御供え物をしたり閼伽水を献じたりして、お線香を上げながら般若心経を読誦しました。



観世音菩薩が霊鷲山で、一切の苦しみから解放されるにはすべては「空」であることを見抜く必要があるという考えに至り、それに対して釈迦十大弟子の一人で「智慧(ちえ)第一」と呼ばれる舎利弗(しゃりほつ)が問いかけたときに観世音菩薩が説いた言葉が般若心経と言われています。

この、およそ数ある仏典の中で最も有名と言ってもいい般若心経は、現在でも法相宗・天台宗・真言宗・禅宗の各宗派で読誦されています。全文でも260文字程という短さもあって、朝晩に仏壇に唱えておられる方も多いのではないでしょうか。

それに因んで…と言っては何ですが、ちょっと面白い動画がありました。現役の禅宗の僧侶が、ループステーションというその場で音声を多重録音して繰り返し再生する機械を操作してヒューマンビートボックスの音声を重ねながら、それにのせて般若心経を読誦しているというものです。

この僧侶は赤坂陽月師という御坊で、かつてはビートボクサーとして広く活躍されていた方だといいます。よく分かる人に観てもらったところ、ループステーションを操作する手元を見るだにこの赤坂師のビートボクサーとしての技術はなかなかのものだそうで、ただ単にヒューマンビートボックスに般若心経をのせただけのものではなく、全く新しい音楽を構築している…とのことでした。

聴いていたたくと分かりますが、ヒューマンビートボックスのリズムだけでなく、モンゴルのホーミーのような倍音を伴うベースやファルセットボイスの高音といった多種多様な音声をループステーションでどんどん重ねていき、奥行きの深い響きが展開されていきます。その響きの中に僧侶ならではの響きのいい発声で般若心経が読誦され、更にその読経が高低様々な声で重ねられていきます。

とかく読経というと一定の音律で平板に読誦されるイメージがあると思いますが、鎌倉仏教以前の法相宗・天台宗・真言宗といった宗派では読経に節をつけて唱える『声明(しょうみょう)』が読誦されています。この般若心経ビートボックスは、正にその声明の世界を彷彿とさせるような豊かな響きに満ちています。

しかも、般若心経の結びに置かれている

掲諦掲諦 波羅掲諦 波羅僧掲諦 菩提薩婆訶
(ぎゃてい ぎゃてい はらぎゃてい はらそうぎゃてい ぼじそわか)

という真言(マントラ)の部分は、原典であるサンスクリット語の

ガテーガテー パーラーガテー パラサンガテー ボーディスヴァハー

という発音に徐々に徐々に変わっていくというこだわりまでみせています。


上の写真は法隆寺本(または法隆寺貝葉心経)と称される、7~8世紀に書かれたという現存する最古のサンスクリット本(梵本)の写本です。法隆寺献納宝物で、現在は東京国立博物館に所蔵されています。

般若心経を漢語訳した玄奘三蔵も原典の音に漢字を充てただけにしていた真言部分を原典の発音を交えて収録したこの動画は、これからの時代に即した般若心経の新しい形と言えるものだと思います。秋の彼岸の入りの日に、禅宗僧侶による一流のパフォーマンスを御覧になってみてください。


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宇賀弁財天御鎮座

2021年01月05日 16時45分25秒 | スピリチュアル
正月五日目の今日、我が家に新しい仏様…というか神様が鎮座坐しました。それが



八臂弁財天です。

弁財天というと一般的には



七福神の中にいる、琵琶を携えた『妙音弁財天』という姿を思い起こされる方が多いのではないかと思います。一方、今日我が家に新たに御勧請したのは



ヒンドゥー教の女神サラスヴァティの姿を彷彿とさせる八臂弁財天です。琵琶を携える優美な妙音弁財天と違い、八臂弁財天は剣や弓矢、棍棒、鉤といった武器を携えた物々しい姿をしています。

そして頭上には



蛇身に翁の頭をもつ宇賀神を戴いています。このことから『宇賀弁財天』と呼ばれることもあります。

かつて私はスピリチュアルな能力をもった方に

「貴方には白蛇様がついていますね。」

と言われたことがありました。それで考えてみたら、今までにも様々なところでこの宇賀弁財天と巡り合うことがあり、その頃から興味をもっていました。その弁天様を、遂に我が家にお迎えすることができたのです。

最初の写真のまま仏壇にお祀りすると他の仏様方とのバランスが良くなかったので、一番下にある台を先にいらした不動明王に譲っていただいたところ



無事に我が家の仏壇に収まって頂くことができました。これで、我が家の仏壇がまた一つ充実しました。

オン ソラソバテイエイ ソワカ
(宇賀弁財天御真言)
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新居の心の拠り所

2020年12月13日 15時15分20秒 | スピリチュアル
今日もいいお天気ですが、私は未だに引っ越し荷物の開包に追われております。転居前に結構断捨離したはずなのですが、それでもそこそこ荷物はあるもので…。

ところて、引っ越し前後のブログを見ていた友人から

「あんたン家の神棚と仏壇はどうしたの?」

というメールが来ていました。

そう、以前から拙ブログを御覧頂いている方は御存知かも知れませんが、かつて我が家には



三社造りの神棚と



祖父から受け継いだ阿弥陀如来立像を中心として、経机や古材等を組み合わせて作ったオリジナル仏壇がありました。しかし、旧居は元々取り壊し寸前の欠陥住宅でしたから遠慮会釈無く釘でも何でも打ち込めましたが、さすがに新居にはそんなことはできません。

ではどうしたかというと



6畳間にあるこの半間の収納と天袋の中に



このようなかたちで収まりました。

神棚はまるで誂えたようにピッタリと収まりましたが、正直仏壇は特に幅に不安がありました。実際に収めてみると以外と収まったのでホッとしたのですが、幅はともかく高さと奥行はあまり無かったので、最終的に天蓋と五重塔の設置は諦めました。

また、神棚につけていた達谷窟毘沙門堂の御札は



玄関の上に移動しました。

神棚と仏壇は、実は引っ越し初日にいろいろと工夫していました。他の荷物はともかく先ずは日々の祈りの場を作れたことで、新居での安心感を得ることができました。
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ニューバージョンストラップ

2020年07月14日 20時05分44秒 | スピリチュアル
今日は梅雨寒気味だったこともあって、湿度さえ高くなければいくらか過ごしやすい気温でした。それでも体育の時間に全力ダッシュさせられた子供たちは、給食前にはすっかり汗だくになっていました。

さて、先月末に



突然結び尾が切れてしまった誕生石ストラップですが、過日贈り主の方が石の浄化も兼ねて組み直して下さるとのことでお預けしていました。そして先日出来上げて下さり、わざわざ届けて下さいました。

それが



これです。

新しいストラップは結び尾の糸が蝋引きのものになり、また私の誕生石であるアメジストとそれを挟むスモーキークォーツを囲むように結び尾が組まれているため、格段に強度がアップしました。伺ったところによると以前着いていた水晶が傷ついていたということで今回の組み直しで交換され、代わりに虎目石の勾玉が着きました。素晴らしいバージョンアップです。

いくら蝋引きの糸が着いたとは言え、また扇子に付けたのでは同じようなことの繰り返しになってしまいかねません。なので、新たな装着場所についてはじっくりと考えようと思います。
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これも新たな生活様式…

2020年07月02日 21時45分08秒 | スピリチュアル
今日は梅雨の晴れ間が空一面に広がる、気持ちのいいお天気の日でした。その分気温もグングン上昇し、横浜は真夏日となりました。

さて、今日東京都内で新型コロナウィルスの罹患者数が2ヶ月ぶりに100人の大台を突破したという、歓迎できないニュースが報じられました。多くは浮かれた風俗業関係者のようですが、折角みんなで努力してクラスターの発生を抑え込んだ取り組みを、そうした一部のパヤパヤした人たちが自分たちの一時の悦楽を満足させるために安易に集った果てに無にした罪は、決して軽くはありません。

それにしても、あらゆる場面で殆どの人たちがマスクを装着している光景は、最早珍しいものではなくなってきました。電車に乗っていても、ふと周りを見ると



この車両内のマスク装着率が100%であるということに気づいて驚かされます。特に小田急線はクラスターを起こしつつある新宿とつながっていますから、無理もありません。

ただ、いくら見慣れてきているとは言いながら、それでもやはりこの総マスクの光景はどこか異様です。心のどこかで

『いつかマスクを着けなくてもいい日が来れば…。』

などと思わなくもありませんが、昨今の事情に鑑みるとそう近いことではないでしょう。

さて、また明日から梅雨空が戻ってくるようです。暑さに負けず、湿気にも負けず、しっかりとコロナウィルス対策に勤しみましょう。
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新型コロナウィルス早期終息祈願 神棚拝詞(かみだなはいし)

2020年05月06日 14時45分25秒 | スピリチュアル

カレンダー上では一応今日でゴールデンウィークの最終日を迎えました。ただ、関東地方では今日は朝から雨が降っていて、出かけるような気分にもなりません。まぁ、外出の自粛が呼びかけられている昨今としては、むしろ好都合なのかも知れません。

ところで、今朝方FBに『神道青年全国協議会』なるところからの記事が載っていました。内容はこちらの団体で、家庭内の神棚に奏上する『神棚拝詞(かみだなはいし)』という祝詞(のりと)の新型コロナウィルス早期終息祈願バージョンが新たに作成され、今日からその文章が団体のHPからPDF形式で配信されるということを知らせるものでした。上がその『神棚拝詞』の全文です。

実は新型コロナウィルスが蔓延し始めた2月末頃から奈良・春日大社を筆頭とした神社で疫病調伏のための御祈祷が毎日挙行されていて、そこで『大祓詞(おほはらへのことば)』という特別な祝詞が神前に奏上されています。その詞も公開されているのですが、

と、とにかく長いのです。おまけに読み方も訓読み中心の大和言葉が多いのでそれに当てた小さな振り仮名も多く、老眼の私が読むには辛いものがあります。

これは素人にはハードルが高いな…と思っていたのですが、今回のものは各家庭の神棚に奏上する『神棚拝詞』という祝詞の最後の部分を疫病調伏バージョンにして唱え奉りやすくしたものとなっているので、これなら素人でも何とかなりそうです。

通常の『神棚拝詞』の最後の部分は

「身健(みすこやか)に世のため人のために尽くさしめ給へと恐み恐み白す(かしこみかしこみもうす)」

となるのですが、この新型コロナウィルス早期終息祈願バージョンは「世のため人のために尽くさしめ給ひ」の後に

「此の悪(あし)き流行(はやり)の疫病(えやみ)の禍事(まがごと)を一日(ひとひ)も速(すみや)けく除き払い却り給ひ(のぞきはらいやりたまい)、清く平穏(おだい)に成さしめ給へと恐み恐み白す」

という文言が加えられています。

新型コロナウィルスに関しては、医療従事者への感謝や個々の節度ある行動が連日呼びかけられていますが、それと同時にこうした祝詞や

昨今話題のアマビヱ様といった神々への疫病調伏の祈りといったものも多く見られるようになりました。とかく宗教観が希薄な日本人と言われていますが、やはり根底には八百萬の神々を信仰してきた先人達のDNAが脈々と受け継がれているのでしょう。

今、日本人がすべきことは行政への批判や徒な自己の権利行使ではありません。ひとりひとりがこの疫病を我が事と感じ、何不自由無く暮らせていた記憶を暫時置いておいて出来る範囲での節度と思いやりのある行動をすることです。

私自身も決して恵まれた状況の下にいるわけではありませんが、とにかく自身が新型コロナウィルスに罹患してしまわないように、そして知らぬ間にウィルスの運び屋になって誰かに伝染してしまうようなことのないように気をつけて生きていこうと思っております。そして私もこの新型コロナウィルス早期終息祈願神棚拝詞を我が家の神棚に奏上し、一日も早い疫病退散を及ばずながら祈願していこうと思います。

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気がつくと…

2020年05月03日 17時20分40秒 | スピリチュアル

ここ最近、曜日の感覚がすっかりおかしくなっていることに気づきます。うっかりすると、今日が憲法記念日だということすら忘れかけていました。定期的に通っている教室が無いというだけで、人間の曜日や時間の感覚というものはこんなにもブレてしまうものなのでしょうか。

最近は近所のコンビニや少し離れたヨーカドーに行く以外は、日がな一日自宅におります。で、何をするかといえば練習かCD・DVD鑑賞か読書かボ〜…ッとしているかのどれかなのですが、ふと気づくと仏壇の前に座っていることも増えてきました。

とりあえずお線香をあげて読経して御宝号を唱え奉るだけなのですが、無為にボンヤリしているよりかは何とかなります。端的に言えば心が落ち着くといったところでしょうか。

子供の頃、祖父母の家に行くと先ず仏壇の前に行き、阿弥陀様にお線香をあげて合掌するのが習慣化していました。もしかしたら、私の中にそんな幼児体験が根底に残っているのかも知れませんが、何にもせよ家の中にこうした心の拠り所があるということは何ともいいものではないかと思っております。

相変わらず鬱々とした気分で日々を過ごすことが続きますが、とにかく一日も早く事態を収束させるべく各人がよく考えて行動することに努めましょう。

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疫病退散!アマビヱ図

2020年04月19日 18時38分32秒 | スピリチュアル

今日は昨日の荒天とは打って変わって、暖かな春らしい陽気に恵まれました。ただ、こんなにいいお天気でも外出出来ないことには違いなく、今日も元気に引き籠もり生活を満喫しておりました。

さて、歴史上では様々な疫病が流行っては人々の命を奪っていったようです。しかも世界史的にみると、100年置きに厄災が猛威を奮ってきたことがわかります。1720年にはペストが、1820年にはコレラが、1920年にはスペイン風邪が、そして2020年にはコロナウィルスが大流行し、多くの犠牲者が出ています。

これは単なる偶然なのでしょうか?それとも自然の摂理で増え過ぎた人類の間引きが行われているのでしょうか?

今までに世界でも日本でも様々な疫病が流行りました。そうした中でも外国、特にキリスト教社会と日本では、疫病に対しての捉え方が違っていたようです。

キリスト教社会では疫病の流行を神が人間に与えた罰として捉えていたようで、人間の驕りと不信心が引き起こすものと考えられていたようです。その様子は絵画にも描かれ、疫病はサタンのような悪魔の姿で表されています。悪魔の姿の疫病は人々を否応無しに死の淵へと追いやり、それを天使や神が討ち滅ぼして勝利する、つまり『闘うもの』として扱われます。

一方、日本的仏教社会では疫病は邪鬼の仕業と考えられ、疫病は鬼の姿で描かれることが多いようです。キリスト教社会と同じように人々を死へと追いやるものではありますが、高僧や行者の功力によって調伏されたり、時にはその高僧や行者に対して鬼たちが

「お宅の信徒さん達には手出ししません。」

と誓約書を書かされたりする絵巻があったりという『割と近くにいるもの』として扱われたりしています。やはり、八百万の神の坐す日本ならではの考え方と言えるでしょうか。

さて、一連の新型コロナウィルスの流行に伴って、最近話題になっているものがあります。それが『アマビヱ』という物怪の絵です。

上の写真は江戸後期、孝明天皇が即位した弘化3(1846)年の瓦版ですが、それによると肥後国(熊本県)の浜に長い髪を垂らしてくちばしを持ち、身体全体が鱗に覆われ脚が3本あるというロン毛の半魚ドンのような生き物が現れ

「疫病を退散させたくば、我が身の絵を描いて肌身離さず持つべし。」

と里人に伝えたという伝説がありますが、そのことを伝える貴重な資料です。

この『アマビヱ』については、詳しいことは分かっていないようです。この『アマビヱ』という名前についても、それよりも昔から言い伝えのある3本脚の猿の姿で描かれる『アマビコ』を書き間違えたのではないかとも言われていますが、この瓦版から150年近い時を超えて現代日本のSNS上でこの『アマビヱ』が話題となっており、様々なクリエイターやイラストレーター達が『アマビヱ』を元にした作品を発表しています。

考えてみれば、この21世紀の御世になってもこうしたものに疫病退散の願いを託す日本人という民族は、実に微笑ましいと言うことも出来るかも知れません。何となくギスギスした空気の漂う昨今、物怪にひと時の思いを馳せるのもいいではないかと思います。

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回向(えこう)

2019年03月21日 19時41分32秒 | スピリチュアル
今日は春の御彼岸の御中日です。『暑さ寒さも彼岸まで』とはよく言ったもので、昨日に引き続いての暖かな日となりました。

本来ならば墓参をして、先祖の回向をすべきなのだと思いますが、それもなかなか厳しい状況です。と言うのも、嘗て我が家の墓は茨城県水戸市のお寺にあったのですが、一昨年父方の祖母が天寿を全うして以降、父の兄弟で唯一存命している叔父が建てた新しい墓に、水戸の遺骨を全て移動して納めることとなったのです。ただ、その新しい墓の場所というのが福島県いわき市と県境を接する茨城県北茨城市という、水戸よりも更に遠いところになってしまったのです。

私が住まう神奈川県厚木市から茨城県北茨城市までは、東京駅から特急に乗ったとしても片道四時間、そこから更に山の中にあるお寺までは車で20〜30分はかかります。行きたいのはやまやまなのですが、自力での移動手段を持たない私にとっては余りにも遠いのです。

どうしたものか…と思いあぐねていたのですが、嘗てあるお寺の僧侶の方から

「御自宅に仏壇があるのであれば、そこでしっかりと回向なされば大丈夫です。その思いは必ず御先祖様の元まで飛んで行きますから、しっかりとお供物やお線香をあげて回向なさって下さい。」

と伺ったことがありました。なのでその言葉に従い、我が家の仏壇にお供物とお線香をあげて経文を読誦し、彼岸の回向に代えさせて頂きました。思いが届いているといいのですが…。

昨日は肩透かしを喰らいましたが、さすがに今日、東京のソメイヨシノの開花宣言が発表されました。来週末には満開が予想されています。その頃はちょうど横浜の教室の発表会の日に当たるので、今から楽しみにしておこうと思います。
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須弥壇

2019年02月12日 23時58分18秒 | スピリチュアル
今日は、昔オーケストラで御一緒していた知り合いのお宅にお邪魔しました。十数年ぶりの再会だったこともあって、積もる話に花を咲かせていました。

そうしたら、どうもその方が拙ブログを御覧になって下さっているようで、これまでのいろいろな書き込みのことについての話になりました。その流れで

「実家の整理をしていたら出てきたものがあったので、いつか君にプレゼントしようと思っていた。」

と言って、この小さな須弥壇を頂戴しました。

小さな…と言ってもちゃんと欄干が付いて、朱漆と黒漆で塗り仕上げられた本格的な須弥壇で、一体いくらしたものだか分かりません。ただ、持ち主の御実家の仏壇でも、全体に黒檀仕上げの仏壇の中に朱く存在感を放つこの須弥壇はちょっと浮いた感じに見えていたそうで、

「恐らく何かしら仏像が載っていたのではないかと思う。ただ、実家の仏壇にあるのは仏画なので、載せるべきものが特に無い。」

ということで、どういった経緯で在ったのかは分からないということでした。

折角のお申し出でしたので有り難く頂戴して我が家に持ち帰ることにしました。

帰宅してさて、どうしようか…と思い、とりあえず我が家のお不動様に鎮座してみて頂きました。が、



う〜ん…ちょっと存在感が有り過ぎてしまうかなと…。ここまで大きいと、横に制多加童子と矜鞨羅童子くらい置きたくなってしまうのと、御本尊の阿弥陀如来立像よりもかなり目立ち気味になってしまうので、とりあえず須弥壇の使い様については保留ということになりました。折角のプレゼントなのにスミマセン…。

でも、いずれ何らかの用途で、我が家の仏壇に活用させて頂くつもりでおります。
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