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時間のしずく time drops 

たいせつなもの。すきなこと。

よそのおウチの香り

2025-07-13 | essay
「なんかいい匂い」
ムスメが言う。
うちに帰ってきていた長男が側を通った時だ。

ん?長男のポロシャツの肩口辺りの匂いをかぐわたし。

あ〜ほんと。
よそのお家の洗濯物の匂いがする。
奥さまNちゃんの使う柔軟剤の香りなのね。

ジブンの子だけれど
もうよその家のひとになったのだなあと
こういう時にしみじみ実感する。

彼が結婚して1年半。
ふたりで暮らし始めてからは3年弱くらいか。

長男は幼少期に喘息と様々なアレルギーがあり、洗濯洗剤を石鹸素材のものに変え日用品も口に入るものもなるべく無香料無添加のものを選んで暮らしてきた。

そのせいか長男は匂いのあるものに敏感で、体に良いアロマオイルなどをわたしが使ってもその匂いを嫌がっていたものだが。。

なんと今やオシャレな柔軟剤の香りにも順応している〜

なぁ〜んだ!大丈夫なんじゃん!とわたしが言うと

「そんなに匂う?気づかなかった」と長男。愛だ。

ヒトは変われる。如何ようにも!
ま、母はちょっとさみしいような
頼もしいような。
まあ、ふたりがしあわせで何よりなのである。






「司修展」ちひろ美術館にて

2025-07-12 | 展覧会・アート のこと

またまた ちひろ美術館
「司修展」へ
わたしにとって司修氏と言えば
子どもの頃に読んだ忘れられない物語谷川俊太郎著「うちゅうせんペペペペラン」に描かれた怖い絵の数々…。

今回の展示で、シュールな絵だけでなくたくさんの絵本の挿絵も描いていらしたことを知りました。

ヒロシマを描いた絵本「まちんと」には胸が詰まる想いです。。。

小学生の頃に持っていた松谷みよ子著「ふたりのイーダ」の挿絵も司氏だったとは知らずに読んでいました。
こちらもやはり広島の原爆の話です。

6月に行われた講演会も聴きに行きたかったのですが、気付いた時にはもう定員いっぱいで叶わず。。

観に行けてよかった。
7月21日まで開催です。



知る人ぞ知る1970年代に世界文化社から発行されたレコード絵本「ドレミファブック」
全21巻の第11巻
謎に包まれた「うちゅうせんペペペペラン」の物語。
幼稚園〜低学年の頃(大阪の子どもだった時代)、ひとりで何枚も何枚もレコードをかけてそのページの絵本を開いていたものです。その中で一つだけひとりでは怖くて聴けなかったお話が「うちゅうせんペペペペラン」でした。子ども心にひどい寂寥感(不条理感)に巻かれ抽象画の挿絵の瞳に射抜かれるようなあの感覚。。。
あの頃ドレミファブックに親しんだ子ども時代をおくった方はきっと同じ気持ちでレコードを聴いていらしたことと思います

大人の今聴いても(観ても)不条理さと物哀しさに巻かれてしまいますが、物語も絵も名作なことだけは確かですね。




ドレミファブック11巻より。


蓮の花の香り

2025-07-10 | essay
朝5時前に目覚めてしまい
またもや近所のお寺の蓮の花の様子を見に朝さんぽ。

おはよう〜と
そ〜っと
近づいてみると
目覚めたばかりの純白のお花が薄曇りのやわらかな朝日を受けてとてもとてもうつくしい佇まいで綻んでいました。
朝6時の蓮の花。
花弁の奥を覗いてみると
仄かに甘く上品な香りが。。。

生まれ立ての蓮の花の香り。
思えばこんなに近づいて香るのは初めてのこと。。

こんな穏やかな朝を
永遠に迎えていられたらいい。。地球上の何処ででも。

世界的な異常気象。
地球は熱せられ過ぎていつか住める星ではなくなってしまうかもしれない。
地球の温暖化を加速させたのは紛れもなくニンゲンの文化。

同じ地球上で、健気にジブンの生を全うする植物や動物たちに申し訳ない気持ち。。

ニンゲン同士で争っている場合ではないのに、こうしている今もミサイルを落とし落とされる国々…。

地球はこんなにもうつくしいものたちで溢れているというのに。



蝉たち声を上げる

2025-07-09 | essay
この暑さにあっという間にクチナシの花もほぼ咲き終わり、幽かな甘い香りだけを遺してもう百日紅にバトンタッチだ。

数年前は確かクチナシと蝉の声は時期が重なっていたはず。。。
と、思っていたら
今日仕事前にヨリミチした公園でようやく数匹の蝉の合唱が聞こえてきた。
6月の異常な高温にいよいよ地中のセミやカブトムシなど夏の昆虫の幼虫たちの安否が心配になっていたところ。
ヨカッタヨカッタ!
生きて出て来れておめでとう!

梅雨明けの発表があろうがなかろうがもうどうでもよくなる。
蝉たちが夏だと鳴いている!

万全の熱中症対策を忘れず
これから数カ月続くであろう酷暑を一日一日気をつけて乗り切りましょう!




日本がしてきたこと

2025-07-07 | essay

かつて日本がしてきた戦争について学びの場へ。
スェーデンから帰省しているお友だちとその息子くんと。

15才の息子くんの提案で私も一緒に初めて訪れる靖國神社「遊就館」


古代〜江戸時代の刀剣や鎧の展示に始まり日清日露、太平洋戦争…
知らずにいた数々の史実とその生々しい戦いの道具、また遺品の数々に言葉を無くします。

最初の写真はC56型31号機関車
太平洋戦争中タイとビルマ(現ミャンマー)を結ぶ「泰緬鉄道」に使われたものとのこと。SLを真上から見るなんて初めてです。


戦争を歴史の事実として認識することは大切なことだとは思いますが
ここの展示では原爆被害やその周辺の史実があまりにもサラッと短く述べられているのみであることや
何より「第二次世界大戦」または「太平洋戦争」を今でも尚「大東亜戦争」と明記することに正直なところ違和感を覚えます。

靖國を後にし、すぐ近くの戦傷病者史料館「しょうけい館」へ。
こちらでは地に足のついた国民目線の戦争が語られていました。。
こうして見ると、わたしが子どもだった昭和40年代辺りはまだ戦後20年余り。。
街へ出ると白い服を着た傷痍軍人さんが路上に座って募金を募っていたことをよく覚えています。側を通るのが怖かったことも。

調べてみると終戦後昭和21年にGHQにより軍人への恩給が廃止となり
その後傷痍軍人会の活動により恩給が再開されたそうです。
しかし、恩給再開は昭和28年とのこと。
わたしが都会の駅前などで白い軍の病衣を着た傷痍軍人の方々を目にしていたのは既に昭和50年代に入っていた頃のこと。
国は充分な補償をしなかったのか???
いろいろと疑問が湧いてきます。

いつの時代も国が始めた戦争に巻き込まれ傷つけられるのは上層部でなく一般の国民。

Noと言える唯一のチャンスは民主主義の国に於いては政党を選ぶ選挙のみ。
物価高対策にばかり目のいく今回の選挙。
不穏な世のこれからをどう見据えているのか、そこもよく勉強すべきですね。


しょうけい館。
戦争を学ぶために子どもたちにもぜひ訪れてもらいたい場所でした。
(野戦病院の再現等かなり痛々しい場面有り。小さなお子さまは成長してからの方がいいかな…と思います)

この夏、終戦80周年。
日本は戦争をしないと決めて80年。
このままその「約束」を後世まで繋ぐことが私たちひとりひとりの役目です。

これまで一度も来ようと思わなかった場所へと導いてくれた遠くスェーデンからのBくんとCさん。
いい経験になりました。ありがとう!
人生幾つになっても知ること、学ぶことは大事ですね





「すき」のたいせつさを想う

2025-07-06 | essay

ふと、ジブンのブログを遡ってみたら綴り始めた頃は長男はまだ中学生で次男末っ子長女は小学生だったんだなぁ。と改めて積もった時間を想う。

先日、一年半前に結婚し来年30歳になる長男と都内の蚤の市に初めて親子コラボで出店。
わたしは革コモノのクラフトを、長男はアンティークウォッチを担当。

普段は一般企業のサラリーマンの彼だが最近時計修理に目覚めて、時々週末に実家に戻って時計修理を生業とする父親にアドバイスをもらいつつ修理の腕を少しずつ上げている。
趣味の釣りといい、ハマるととことんハマる質なのも父親譲りだ。
幼稚園位の頃よく時計を修理しているお父ちゃんの側で時計の部品をピンセットで仕分ける遊び(シゴト?)を飽きもせずコツコツ続けていたことを思い出す。

オモシロイものだなぁ。
「すきなこと」は探さなくてもカラダが知っている。

ココロとカラダはひとりにひとつ。意識せずともちゃんとコンビネーション良く機能しているんだなぁ。

昔、在籍していた通信大学のスクーリングの確か行動心理学の授業で
「やりたいことが見つからないと思う人は子どもの頃ジブンが何がすきだったか、何に夢中になっていたかをよく思い出してみるといい。そこにヒントが隠れている」という教えを聴いたことをよく覚えている。

そしてそれぞれノートにジブンが子どもの頃にすきだったことを書き出してみたんじゃなかったかな。
子どもの頃にすきだったことは今もすきだとその時実感したからこそこうして記憶にしっかり刻まれているのだろう。

もの凄く知識欲に衝き動かされて通信大学で学んでいたのは結婚後の28歳の頃のこと。長男の出産で一時休学し再び復学して卒業した。
気がつけば30年前のことなんだな。
学びの面白さに気付くのは、ジブンが学びたいとココロから強く思った時。
それが本当の学び時なんだなぁ。
あの頃スクーリングで受ける授業が本当に面白かったもの。
遊びたい盛りのティーンではなかなかムズカシイ。笑

そんなこんなで、その頃生まれた長男が正にその頃のわたしの年齢になったわけで。
彼も彼の中の子どもの頃にすきだったものが今もすきだと本能で気付いたのかもしれない?

先のことは何もわからないけれどいくつになろうと「すき」と思えることには無条件で素直に向き合う姿勢はとても大事。

本能に耳に澄まそう〜。









「常設展示室」原田マハ著

2025-07-05 | 本 のこと

「常設展示室」原田マハ著 
2018年新潮社発行

近年原田マハにハマってから一体何作品読んだだろう。
どの本も決して期待を裏切らない。

この「常設展示室」では
6篇の物語のそれぞれにそのひとのたいせつな一枚の絵が登場する。

6篇目の「道 La Strada」が特にこころに残る。
短編小説なのに一本の上質な長編映画を見終えたようなとても豊かな心持ち。。

わたしにも忘れられないすきな絵が数枚ある。
いつかあの街にまた降り立ったならあの絵に会いにいこう。

原田マハ氏の紡ぐ物語。
まだ読んでいない本もたくさんあることがうれしい。

さあ、次はどのドアを開けようか。



「兎の眼」灰谷健次郎著

2025-07-02 | 本 のこと

高校で図書館司書をしている知人に以前勧められた本
「兎の眼」灰谷健次郎著(1974年新潮文庫)を読んだ。
勧められたのはもう何年も前。古本市で見つけて買っておいた積読本の一冊。
先日発掘されました。笑

本当の教育とは??
子どもの個性の尊重とは。。

ひととひとのこころの触れ合いのたいせつさ。
教育の原点が問われる作品だ。

だけれども。
この本は戦後間もない時代を背景に描かれている物語。
昭和には居ても令和には居ないだろうなぁと思われる登場人物たち。

昭和のあの時代だからこその物語ではあるけれど、
こころの根底のつながりは普遍のものだと信じる。(信じたい。)

カタチは変わっても
いまもそこここに存在する「鉄三」たち。
本の中のあの時代のような熱血漢教師はいなくても
彼等のこころの奥底までゆっくり降りていってあげられる教師が現在にこそ必要なのだと実感する。

この本は児童書としても勧められているようだけれど、むしろこれから教師になるヒトにこそ一読してほしい一冊だ。
泥臭く時代錯誤に思えても、ここに出てくる「ヤクザ教員」と呼ばれる足立先生のような教師こそが今も昔も本当の意味で子どもたちが求める教師像なのだと確信する。
そして新卒女教師小谷先生の成長物語でもある。

過酷な労働に離職者が激増している日本の教職員の現状…。
児童のこころに寄り添う教師が必要であるのに、教師による耳を疑うような性犯罪も激増している。
日本の教育はこれからどうなっていくのか。。。。

この本の中のひととひととの距離の近さ、暑苦しさにむしろ「憧れ」を感じる若いひともいるかも知れません。


「兎の眼」灰谷健次郎著
名著ではありますが
ひとつ、ハエ(昆虫)が至極苦手な方は、事細やか過ぎる描写にご注意を。笑。




遅読派の本好き

2025-06-26 | 本 のこと
子どもの頃から本がすきで
小学生時代から現在に到るまで読みかけの本がないという時期は一度もない。

本を読むニンゲンの姿もすきだ。
シゴト前にヨリミチする公園のベンチ。
背中を丸めて文庫本に顔を埋めるように読書するとある青年の姿を時々見かける。
本の世界に入り込み過ぎてそのうち実体が本に吸い込まれてしまうのではないか、というほど。
昨今スマホに吸い込まれそうなニンゲンが大多数な中、貴重なその青年の姿を見掛ける度に何だか嬉しくなる自分がいる。

古本市でたくさんのニンゲンが本を物色して歩く姿もすきだ。
わたしも大きな古本市に行くと時間を忘れて古本の海を泳ぐ。

昨今読書離れが叫ばれるけれど、休日の大型書店の文庫本売場などは会計に長い列が出来ている。これから読もうと文庫本を手に手にレジに並ぶ老若男女の姿を見ると何だか大変頼もしくなる。
日本もまだまだ大丈夫な気がしてくる。
大袈裟だけれどね。

そう言えば小学生の頃は図書館員か書店員になりたいと思っていたのだった〜。

本はドア。
ひとたび開けばどんな時代の
どんな場所へでもひとっ飛び。
知らない世界の知らない人々に会うこともできる。

家には読もうと手に入れた新旧の本たちがわたしを待ってくれている。
いわゆる積読本で終わらせてしまわないようにしなきゃ。
でも読みたい本が多すぎて追いつかない。
何しろわたしはたいへん遅読派の読書家なのである。

まぁ、マイペースでいきましょ。






地面の下の虫のこどもたち

2025-06-21 | essay

葉っぱの落とす影が
ふいに目に飛び込んでくる。
梅雨とは思えないほどの暑さに影の濃さも夏仕様。

こんなに暑くても一つ足りないのは蝉の声。

いつも気象庁の発表を待たずとも
蝉が鳴いたら「梅雨明け」と勝手ながら決めている。

この暑さに土の中までも高温になってしまい根野菜が軒並み地中で傷んでしまうという。。。

土の中で眠っている虫の子どもたちは大丈夫だろうか。

絵本「根っこのこどもたち目をさます」をふと思い出す。

蝉の子どもたちも
地面の下でどうかがんばって。




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