(写真は文章のイメージ)
【狐の嫁入り】
子供のころから見慣れている 古めかしい化粧鏡の傍らで。
兄さんが何回も訊きます。
本当にいぃんだね って。
私は答えました。
しかたがないのよ って。
昨日から降り続いてた雨は漸くやみそうです。
微かに聴こえる雷ノ音で 雷様が遠のいて往くのがわかります。
真白な面の中に 唇に小筆で赤をひきます。
化粧しながら耳で 微かな雷鳴をきいていますと。
あれほど高鳴っていました はたしの胸の鼓動。
不思議と静まってきていました。
かわりに鏡の中から ジッとはたしを見つめていたはたしの顔が
堪える泪で滲んできました。
花嫁化粧が ようやくです。
内掛けに手をとうすとき 心まで縛られそうでした。
花嫁姿にとの最後の拵えに 角隠しを被される時。
あの日の彼との会話が 耳の奥で何度も
何度も繰り返し聴こえてきていました。
「はたしね お見合いしろって言われてるの。」
「フゥン 誰にぃ。」
「伯父さんから。」
「ぇッ。おじさんって あのおじさん。」
「そぉぅ。今度の日曜日なの。」
「なにが。」
「お見合い。」
「ぅん。」
それっきりの会話でした。
彼の部屋から黙って扉を開け出てくる時。
呼び止めてはくれませんでした。
アパートの板の階段を下りるとき ヒールで音がしないようにと。
ナンとなく音をたてれば 心が萎えそうだったから。
駐車場から彼の部屋の窓を観ました。
閉じられた窓のカーテンが引きかけられていました。
ふたりで選んだ小さな向日葵柄のカーテンが。
路地を抜けると無意識に 家とは反対の方角にハンドルを切っていました。
知らずに何度も 何度も頬を手のひらで拭っていました。
あの時 泪でハンドルが滑ったのを今でも 手のひらが憶えています。
深夜に家に帰ると 門の前で兄さんが待っていました。
怒られました酷く。そして言われました。
「伯父さんになんか遠慮しなくていぃんだよ。」
「ぅん。」
「でもぉぅ・・・・・。」
「おまえの好きにしたらいぃんだよ。」
はたしは返事ができず。溢れるものを隠すため夜空を仰ぎました。
泪水の底から 揺れ煌めく星を眺めていました。
上向いてたら流れる雫が耳にと。兄さんの手が肩にそっと。
はたしの肩を掴む手のひら。痛いほど強くとでした。
はたしはその痛さが慰めになるんだぁ って。
ダケド 星が流れたらお願い事が出来るけど。
観へないから しかたないよねぇ。
式場にと家を出掛けるとき。
父さんに最後のお別れする為に お仏壇を拝みました。
小声で急かされ玄関へと。
真白な草履を白足袋で踏むとき。心に諦めきれないものが。
玄関を出ると近所の人たちが 御祝い言葉を掛けてくださいました。
その辛い言葉を聴けば 情けなさが募りました。
だけど俯いたはたしを 角隠しがはたしの心を守ってくれました。
俯きながら 真白なはたしの手を視ると微かに震えていました。
タクシーに乗ると助手席の伯父さんが 振り向いて言います。
向こうさんに何でも任せておけばいゝからな って。
兄さんが小さく咳をしてくれました。
走る窓の外は 雨上がりの良い日和でした。
子供のころから眼に馴染んでた商店街が 後ろにと流れ過ぎてゆきます。
家から駅までの通いなれた道が後ろに。後ろにと。
高校生の時にアルバイトをした食堂の前で 店のご主人が立っていました。
寄り添うように傍に女将さんがいて ご主人の服の袖をつかみ。
タクシーに気づき此方に指を指し 何かを言ってました。
タクシーが近づくとおふたりは 車が進む方角を指差し何かを言ってました。
すれ違うときご主人。ナニかを言いたげに両手を振ってました。
窓の外を覗こうとすると 窓ガラスに角隠しが当たります。
タクシーは 駆け寄る御夫婦の直ぐ横をでした。
ふりむいて視る事ができません。
瞑った目蓋の裏には。おふたりの 激しく振られた手の残像が。
その残像は 何処かを指差すようなと。
アルバイトの帰りに彼と良く待ち合わせた公園の方角かなと。
その何処にでもある小さな児童公園に近づきます。
はたしの 結んだ手の甲に雫が堕ちます。
我慢できなくて洟を啜ると兄さんがソット 黙って白いハンカチを貸してくれました。
はたしの手に握らせてくれました。
右の目頭を押さえ 左の目頭を押さえようとしたら。
タクシーの運転手さんが叫びました。
危ないっ! って。
急ブレーキでお尻が浮き上がりました。
指先のハンカチが左の瞳に当たります。
涙が止め処となく 益々。
情けなくて堪らずに 我慢できずに啼き声が。
不思議と はたしはこんな声で啼くんだぁ って。
唇を噛んでいると兄さんが呻くような言葉で。
ぁのお野郎! っと。 喋るのが聴こえました。
二つのドアが一緒に開き 兄さんと伯父さんが車の外に。
涙で見え難い朧げな視界で フロントガラス越しに視ると。
両腕を広げた男の人が立っているようでした。
開け放たれたドア越しに伯父さんが 怒鳴り言葉で言うのが聴こへました。
目出度い門出がなんとか っと言ってました。
タクシーの運転手さんもドアを開け始めます。
後続の車が 激しくホーンを鳴すのが聴こえだします。
伯父さんが男に掴みかかろうとしたら。
兄さんが伯父さんを突き飛ばし男の胸倉を。
両腕を広げたまゝの男のヒト。兄さんにん殴られます。
何度も何度も。何度も想いを込めて兄さんが殴ります。
男のヒトの広げられた両腕は 何度殴られてもそのままでした。
突き飛ばされていた伯父さんが再び近づきます。
制裁に加わろうと。
兄さんの振り上げた腕が偶然。 拳が叔父さんの顔に。
また伯父さんは地面にと。
タクシーから急いで降りるとき。角隠しが何処かに引っかゝりました。
でも無理にと降りました。重たい日本髪のかつらがずれました。
両脚の草履が脱げました。足袋で地面を噛みながら兄さんの背後にへと。
兄さんの振り上げられた腕に縋りました。
兄さんが振り向ざまに はたしの頬を打ちました。
ずれた角隠しとかつらが勢いよく毟り取られました。
兄さんが再び はたしを打とうと腕を振り上げかけると。
男のヒトがその腕を両手で掴みました。
伯父さんが起き上がりながら言います。
お前ら。何をしてるかぁ解かってるのかぁあ って。
兄さんが伯父さんに近づくと 蹴り上げました。
その勢いで振り向くと 男のヒトも。
呻きながら男のヒトが謝り続けていました。
はたしは嬉しさで立っていられずに 蹲って泣き続けました。
兄さんが言いました。
もぉぅ泣かすな。 こんどなぁ泣かすとぉ お前殺すからな って。
そぅ言いながら彼を引っ張り起こしました。
彼が ぅん。うん って。
涙塗れで鼻血に塗れた酷い顔が うん。うん って。
はたしはあの時 自分の心を騙し。
心を偽って殺しながら 好きでもないヒトを騙し。
騙したお相手と契る事になる筈でした。
狐になってやるっ て。心に決めていたから。
酔うと兄さんがですね。
今でもあの時の出来事を 冷やかし半分で言います。
お酒の肴に。
子供を膝に載せてるお父さんの彼が うん。うん って。
酔って 何度も頷きます。
ぅんぅん。うんうん。
ッテふたりで頷き合っています。
ふたりを観てるはたしは幸せです。
(映像は物語の勝手イメージ。)
バイバイ