いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

やりました・・・桐生選手、100メートルで10秒を切りました。彼らは人類の代表として疾走し、私たちの本能を揺さぶります。

2017年09月10日 00時59分59秒 | 日記

 桐生祥秀君が、100メートルで9秒98を出し、とうとう、日
本人で初めて10秒を切りました。
 これは快挙です。
 このところ、重苦しいニュースばかり続いていますが、久しぶり
に、みんなが祝うことの出来る明るいニュースです。

 テレビを見ていると、ゴールした後、公式記録が発表されると、
競技場の全体から、「おおーっ」といううれしい驚きの声がわき起
こりました。
 どよめきというのは、こういうことでしょう。
 歴史的瞬間というのが、テレビの画面から伝わってきました。

 去年、リオ五輪で100メートル×4リレーで日本は銀メダルを
取りました。そのときも、日本中が湧きました。

 陸上の100メートルは、ほかの競技にはない、独特の感動があ
ります。
 100メートルという短い距離を人間が全力で走る。
 そこには、人類の根源的な姿があります。
 我々人類が、何も持たず、道具も使わず、ただ自分の肉体だけで、
短い距離を全力で走りきる。
 そこには、我々の本能的な動きがあります。
 100メートルという短い距離を、全速力で走り抜ける。その姿
が、私たちの、深い所にある本能に訴えかけてくるように思います。

 アスリートは、みな、我々人類の代表選手です。
 100メートルを疾走する選手は、人類がどれだけ速く走ること
ができるかを見せてくれます。
 彼らは、走る力で、人類の代表選手なのです。
私たちは、私たち人類の代表が走る姿を見て、ただただ、素直に、
「がんばってくれ」と応援したくなるのです。
 100メートルの選手が走るとき、国や人種は関係なく、新記録
が出ると、私たちは、うれしくなります。

野球やサッカー、バレーボールのようなお互いが対戦する試合
形式のスポーツだと、勝てばうれしいのですが、負けたら悔しく
なります。
 しかし、100メートル走は、新記録が出たら、それがどこの
国の選手であれ、私たちはうれしくなります。
 ああ、私たちは、私たち人類は、こんなに速く走れるんだ。
 そう思えて、うれしくなるのです。

 ボルト選手が国を超えて、世界で人気があるのは、そういうこと
です。彼は、国や人種は関係なく、私たち人類の代表選手だったの
です。だから、私たちは、ボルトがんばれと応援してきたのです。

 外国の選手が活躍してもうれしいのに、私たちの国の選手が活躍
したら、そのうれしさは、倍加します。
 まさに、この日の桐生選手がそうでした。
 9秒98。
 桐生選手は、人類の代表選手のひとりであると同時に、私たち日
本人の代表選手でもあったのです。
私たち日本人の代表が、とうとう10秒を切った。
 だから私たちは、感動します。
 桐生選手、おめでとう。
 本当によかった。

            ***

 陸上や水泳は、その国のスポーツの基礎体力のようなところがあ
ります。
 陸上や水泳の強い国は、ほかのスポーツも強い。
 間違いなく、そういう傾向があります。
 
 それともうひとつ。
 人類は、長い年月をかけて、100メートル10秒を切ってきま
した。
 でも、同じ選手がタイムを良くしてきたのではなく、まったく別
の選手が、それまでの選手のタイムを上回って、10秒を切ってき
たのです。
 10秒を切ると、今度は、9秒台で、また別の選手がより早いタ
イムを出す。
 これって、不思議でしょう。
 同じ選手が鍛え続けて早いタイムを出すのなら分かりやすいので
すが、違う選手、次の選手が、タイムを更新していく。これは、い
ってみれば、人類が、人類として鍛え続けてタイムを更新している
ようなものです。
 次回、そういうことを書いてみたいと思います。