いまジャーナリストとして

 いま私たちの目の前に、次々と現れるニュースをどうとらえ、どう判断するか・・・ジャーナリストの日誌。

記者にとって現場とは何か・・・後藤健二さんのご冥福をお祈りします。

2015年02月06日 11時27分28秒 | 日記

 後藤健二さんは、残念ながら、生還することなく、亡くなって
しまいました。
 キリスト教徒と思われるお母さんが「健二は長い旅に立ちまし
た」と話されていました。
 ご冥福をお祈りします。

 後藤さんが亡くなったあと、外務省が、後藤さんに”イスラム
国“に入らないよう、3回にわたって、連絡していたことが明ら
かにされました。
 外務省は、“イスラム国”のあるシリアには渡航しないよう、情
報を出しています。しかし、それを無視して、朝日の記者がシリ
アに入って原稿を書いたというので、問題になっています。

 危険な所の取材をどうするかというのは、記者にとって、いつ
も大きな問題となります。

 ひとつ言えるのは、記者にとっては、「現場」こそ第一といこと
です。

 後藤さんの残された取材のビデオを見ると、現場ならではの様
子が、なまなましく伝わってきます。
 後藤さんが撮ったビデオは、私たちに、中東の戦地の人たちの
暮らしを伝えてくれます。
 そうか、あの人たちは、こうやって暮らしているのか。
 そういうことが分かります。

 朝日の記者が書いた原稿は、2月の朝日の夕刊に載りましたの
で、読んでみました。
 やはり、現場ならではの臨場感が、原稿にはあります。
 
 記者にとっては、やはり、現場が第一だなあと思わされます。
 
 

記者が戦地で死ぬというのは、今回が初めてではありません。
 1960年代、70年代というのは、ベトナム戦争がひどかっ
たころです。
 このころ、ベトナムと周辺国で、日本人記者が何人も亡くなっ
ています。
 いま記憶しているだけでも、日経新聞の鮫島記者、UPI通信
の沢田教一カメラマンが、亡くなっています。
 当時は、新聞、テレビとも、それほど大きくは扱っていないの
で、いまも、あまり言及されることはありません。しかし、記者
なら、名前ぐらい知っているのではないでしょうか。

 どんな場所であっても、だれかが現場に行かないと、事実は伝
わりません。

 問題は、そこで何かあった場合、日本、この場合、日本政府、
日本人、日本という国、そのすべてを含みますが、日本はどう対
応するべきかということです。
 後藤健二さんは、そこは、よく考え、よく分かっていたようで
す。だからこそ、”イスラム国“に入る前に、自ら撮ったビデオで
「すべての責任は私にあります」と断言しています。
 朝日の記者に、そこまでの覚悟があったのかとうか、それは、
朝日の紙面では何も言及されていなかったので、なんとも言えま
せん。

 現場という場合、なにも、戦地だけではありません。
 東日本大震災の被災地もそうですし、福島第一原発もそうです。

 いや、もっと、日常的な場所だって、現場です。新橋の駅前や
銀座の人波、その土地その土地の街並みには、日本経済のありよ
うがそのまま現れます。
 学校のクラスには、現在の学校教育のありようが、そのままに
じみ出ます。

 今回の事件は、記者に対し、
 「現場」
 にどう迫るのか
 その問いや覚悟を、改めて、突きつけたように思います。
 
 後藤健二さんのご冥福をお祈りします。