何の話をしていたのか覚えていないけれど
ある夜バッキーが
「どうせ俺の言うことなんて当てにならないさ
世の中は猛スピードで変化して行っていて
俺の意見なんて間違いに決まってる」
そんな内容の事をそれは情けない暗い表情で言う。
「何言ってるの貴方」
何かに後押しでもされるように勢いつけて私が話し始めた。
どんなに世の中が変わって行こうと
それについて行けない自分を卑下することなどない。
ついていく必要もない。
そんな事より
自分を信じる事が何よりも重要だ。
貴方という人格を形成した最も基本になるコアは
貴方を育てた人たちの愛情で輝いているのだから
それを深く信じる事で
貴方を幸福に導いてくれるようになっている。
そんな事を勢いつけて話しながら自分の中に存在するバッキーが
それこそ輝いて見え、
これからの人生を共に暮らしていける自分が
如何に幸せ者であるかと思った。
あー今日もおのろけ話になってしまった。
ぽちっとね
終点まで行って歩いたそうですが、おばあさんに会えましたか?
神社の横を通って行ったのは、借家です黒い塀のあった家には赤い夾竹桃が咲いていました。
石川啄木の短歌
友がみな我よりえらく見ゆる日は
花を買い来て妻と楽しむ
落ち込んだ時に、励ましてくれる伴侶が
いることは素晴らしい\(^_^)/
確かアナウンスされお墓参りしていた祖母がそれを聞き迎えにきました。
「吉川?という編み物教室はどこか」 そう人に尋ねながら歩きました。
黒い塀の家での思い出に奇妙なものがあります
水が庭から押し寄せて来るもので 私はそれを部屋の中から見ていましたが それは私が生まれる前の南海地震の事に思います。
誰かが私に津波の話をしたことが映画でも見るようにはっきりと記憶に残ったようです。
短歌がさらっと出てくるのですね
そう言えば弟さんが本を片手に朗読しながら廊下を歩いていた日を思い出します
以前ブログで昔はアンハッピーだった言っていましたが、どうやって今のハッピーな生活に変えられたのか記事にしていただけないでしょうか。 のろけ、孫自慢ブログもまた待っています。
そして長く読んでくださり嬉しい限りです。
そうですね。アメリカでの結婚生活はバッキーにとっても予想外な暮らしでスタートしたのかも知れません。
生活への不満は大きかったですが、長女がすぐに生まれましたし、日本には帰る家がありませんでしたから、私はこの土地で生きるしかなかったです
幸せは自分が創るものと思い、生きた時期もあったし そこで見つけた幸せが幸せでなくなって
次はまた別の方法での幸せ見つけが始まったり、、、苦笑 記憶が薄いですがそんな暮らしが20年は続いたでしょうかね
大きな心の変化は婿1の父方のお祖母さんの紹介で初めた瞑想でしょうか
瞑想によって自分がいる世界が変わりました。
周りは何も変わっていないのでしょうが。私の見方 受け取り方 そんなものが変わったんでしょうかね。
そうして
ジェイク君との共同生活は私達夫婦にとって良き動きとなりました。それ以前に比べ私とバッキーは夫婦を楽しむ事が多くなったように感じます。
これから共に老いて生きます。
会えて良かったね。
帰る所がなかった、、、
私には、帰る所はあったけど、嫁ぎ先に居場所がなく悲しかったです。
今では、良き友人にも囲まれ、楽しく生活できるよう工夫できるようになりました
知りませんでした
母もそこで編み物を習っていたようです
確か吉川さんの勧めもあってお見合い結婚
帰る家がなくて良かったんですよ
それと外国で暮らしていることも、、。
日本にいたら逃げ場を探してしまうでしょうが この国で暮らしていると自分が強くなるしかないですし
思うに辛い時ってその原因を外に目を向けますが本当は自分の中を見つめることで変わっていくんでしょうね
自分との戦いだと そう思うことです。