義父が亡くなって1-2年後に義母は家を売り
シニアのアパートに入居した
義母がそれを望み決めたのだろうと
ずっと思っていたけれど
どうもカリフォルニアに住む義弟カップルの勧めで
そんな流れになったらしい、、、。
こんなとこ 義母らしい、、、と一人納得。
義母はその義弟を訪れていた時に倒れ
それ以来カリフォルニアで彼らと暮らす事になった。
その生活も
もう4年ぐらいにはなる、、よなぁーー
家族 親戚 そして友人も多くいるアイオワのこの街に
帰って来たいとは口にしても
いざとなると
"今じゃない" と言うので
帰ってきて欲しい家族も何も出来ないでいる。
多分義母はこのままカリフォルニアで
亡くなるまで暮らして行くような気がする
なんでこうなったんだろう、、、と思う時
カリフォルニアの義弟のパートナーから
”義母さんはここに来た時鬱だった。” と
言われた事を思い出す。
夫を亡くし一人になり
慣れないシニアのアパートで
孤独だった義母を想像すると
将来の自分がそれと重なりもする。
いやいや 私など
義母に比べ家族も少なければ友人だっていない。
これと言って何もせず
空気に溶け込んだような毎日も
夫婦二人だから
”今日もいい日だった。” と
思い返し
感謝の思いで眠りにつく事が出来るのかも知れないけれど
これが一人暮らしだったらと想像すると、、、
寂しさが、、、、、、、、、勝ちそう。

今朝
バス停に行くけいちゃんたちを
デッキの上から見送り
目の前の丘にそびえたつ木々に目をやっていたら、、、、
と言うより 目をやった瞬間だったかも知れない
何て言うか
エネルギー、、って言うのか
木々の生命力って言うのか、、
木々から放たれているそんなものを全身に感じて
棒立ちになった。
時間にしたら 数秒間の短いものではあったけれど、
何とも深い幸福感に包まれたからだ

頭がぼけても視覚や聴覚が衰えても
感性は磨ける
それは多くの恵みを見つけてくれ
深い感動を私に連れて来てくれる。
孤独感なんて
それ一発でコッパミジン、、、だ。 ^0^
ここにこうして生きている、、、存在する事を
じっくりと 感じるマインドフルネスのプラクティスは
やっぱ 続けて行かなくては、、、、と
数か月前の火事で失ったヘッドフォンをオーダーした

音響テクノロジーを使った瞑想 “ホロシンク” を
再開始しました。
