スマイリーな毎日

笑う門には福来たる

ナヴォーナ広場(ローマへの旅20)

2006-05-25 | イタリア旅行2006

サンタンジェロ城から、とことこ歩いてナヴォーナ広場に到着。ここは、ローマを代表する広場の一つで、細長い楕円形をしている。最初、1世紀の後半に、ドミティアヌス帝が競技場として造ったためこういう形になっている。広場の周囲に沿って、たくさんのバールやリストランテが軒を連ねている。

目指すは、「Tre Scalini (トレ・スカリーニ)」。もちろん注文したのは、この店の名物である「Tartufo (タルトゥーフォ)」というトリュフの形をしたチョコレートのジェラート。

Tartufo

中にはチェリー入りのチョコレートジェラート、外には崩したチョコレートがまぶしてある。上にはドンと生クリーム。なかなかボリュームもあり、ジェラート好きにはたまらない。味は、中のチェリーはイマイチだが、他は激ウマ。チョコ味のジェラートと、周りの固形のチョコのダブルパンチの甘さでノックアウト。生クリームは、意外とあっさりしていて、そんなにお腹にもたれない。外のテーブルで食べて、9ユーロと少々値段は張るが、この広場に足を運んだのなら、一度は食べてみる価値はあるだろう。

Tre_scalini

テラス席に座って噴水を眺めながら、ジェラート食べ食べ、ゆっくりした時間を過ごす。これぞ最高の贅沢だ。

甘いもので疲れを癒した後は、広場内を散歩。このナヴォーナ広場には、「ネプチューンの噴水」「四大河の噴水」「ムーア人の噴水」という3つの有名な噴水がある。

一番北にあるネプチューンの噴水

Fontana_del_nettuno

広場中央にはベルニーニのデザインした四大河の噴水

①ラプラタ川の寓意像

Fontana_dei_fiumi_1

この目の前に、ベルニーニのライバルであったボッロミーニの建てたサンタニェーゼ・イン・アゴーネ教会があり、この像は腕をかざして教会が倒れてくるのを防いでるのだと噂されていた。(もちろんこの噂はローマっ子のジョーク。実際は、噴水の方が教会より先にできていた)

②ナイル川の寓意像

Fontana_dei_fiumi_2

③インダス川の寓意像

Fontana_dei_fiumi_3

④ドナウ川の寓意像

Fontana_dei_fiumi_4_1

南の端にあるムーア人の噴水

Fontana_del_moro_1

真ん中の像はイルカと戦っているとのこと。周りの像は、何をしているのかはわからないが、何だか楽しそう。

Fontana_del_moro_2

こいつはおもしろい。真面目に作ったデザインだとは思うが、よく見れば見るほど笑ってしまう。飲みすぎた日にこれを見たら、思わずもらいゲロしてしまいそう。

この像を見ながら笑ってたら、高校生くらいの3,4人の少年達に声を掛けられた。一瞬、新手のスリか何かかと思い身構えたが、どうも違うようだ。”Can you speak English?”と聞かれたので、思わず”Si.”となぜかイタリア語で答えてしまった。正直、そんなには喋れないのだが、とっさにそう言ってしまったため、質問攻めにあう羽目に。

少年達は、学校の授業の一環で、観光客に英語でアンケートを採っているとのこと。しかも、横で8ミリビデオで、ぼくら二人のやり取りを撮影していてかなり緊張。イタリア語訛りの英語と、日本語訛りの英語でなんとかやり取りし、無事終了。ところどころ質問がよくわからず、意思疎通できていない部分もあったが、まぁいいか。この映像が授業で流されると思うと、ちょっと恥ずかしいが、どうせ誰も知っている人はいないので、よしとしよう。

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サンタンジェロ城(ローマへの旅19)

2006-05-24 | イタリア旅行2006

サンピエトロ大聖堂は、そこまで混んでいないだろうからクーポラに登ろうと思って、サンピエトロ広場まで出てきたが、ここも予想を遥かに超える観光客の行列が。

Fila_dei_turisti_1

広場を取り囲んでいる円柱の際に沿って、長蛇の列が、、、一体どこまで続いてるのと見回すと、

Fila_dei_turisti_2

広場の入り口側を縦断して、反対側の円柱の方までずっと続いている。結局、列の終わりがどこなのかも判らないほど。しょうがないので、今回は中に入るのは諦め、空いている時間を見計らって、後日再訪することにした。

ムッソリーニが拡張した大通りコンチリアツィオーネ通りは通らず、ひとつ北側の小さな通りを歩くことに。少し裏道だけに、でかい通りにはあれだけいた観光客もこっちには全然おらず。

Via_corridori_borgo_sangelo

左側に見える城壁はサンタンジェロ城へと続いている。この城壁の上は、ヴァチカンの教皇が敵の勢力に攻め込まれた時、城へ逃げ込む時の逃避路になっている。なので、この城壁に沿って歩いていけば、サンタンジェロ城へ辿り着ける。

サンタンジェロ城は、2世紀初めにハドリアヌス帝が自分の廟墓として築いたもの。その後、多くのローマ皇帝がここに埋葬されることになる。サンタンジェロ(聖なる天使)の名前の由来は、ローマにペストが流行した際、大天使ミカエルが空に現れ、疫病の終息を告げたことに由来している。城のてっぺんに立っているブロンズ像が、その時の天使である。

Castel_sant_angelo

最も美しいサンタンジェロ城を見ようとするなら、やはりサンタンジェロ橋からの眺めがすばらしいと思う。テヴェレ川に架かるこの橋の両端には、ベルニーニがデザインした天使像が並び、単体で見ると存在感はあるが若干地味にも見えるこの城を、盛り立てる役割を果たしているかのようだ。

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コーラ・ディ・リエンツォ通り(ローマへの旅18)

2006-05-23 | イタリア旅行2006

レーパント駅で地下鉄を降り、地元の女性御用達のおしゃれなショッピングストリートである、コーラ・ディ・リエンツォ通りに向かう。地下鉄の出口がどこに出たのかわからず、また道に迷ってしまった。が、もう慣れたもので、そこら辺に歩いているイタリア人に道を尋ねながら目的地に近づいていく。そうすると、イタリア語の勉強にもなるし、道も教えてくれて、一石二鳥。

コーラ・ディ・リエンツォ通りは、おしゃれなブティックやアクセサリーショップなどが並んでいる。が、まだ朝早いせいで、あまり開いてなかった。

歩いてると、「Pellacchia (ペッラキッア)」というジェラッテリアを発見。1898年創業の老舗のジェラッテリアで、素材は近郊の契約農家から仕入れたものを使っているとのこと。こだわりがあるせいか、ジェラートが入っている容器は、温度をしっかり管理するために全て蓋がしてあった。ここで頼んだのは、fragola (苺)のジェラート。それほど甘くはないが、苺の味がしっかりしていて、フルーティ。イタリアといえども、さすがに平日の朝一からジェラート食ってる人はいないようだ。テラス席で食べているのは、僕ら二人だけだった。

Pellacchia

その後、「Castroni (カストローニ)」という有名食料品店に。外から見るより、店の中は広く、世界各国の食材が集まっている。たくさん買うと荷物になるので、珍しい食材を厳選して買うことに。ここでは、イタリア語の電子辞書が大活躍。並んでいる食材には、見たことのないようなものがたくさんあり、眺めているだけでもすごく楽しかった。

Castroni

この通りをこのまま西に歩いていくと、ヴァチカン美術館。可能性はほとんどないが、もし万一空いてたらちょっとぐらい並んでもいいやと思っていたが、予想通り連休明けのヴァチカン美術館は激混み。歩道の壁に沿って、長蛇の列ができていた。

Per_i_musei_vaticani

この状態じゃ、入り口に辿り着くまでにどれくらい時間がかかるか全く想像がつかない。前回ローマに来た時にゆっくり見学できたので、今回は時間がもったいないので諦め、サン・ピエトロ寺院の方へ向かうことにした。

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ローマの地下鉄(ローマへの旅17)

2006-05-22 | イタリア旅行2006

ローマ3日目。相変わらず、朝はばっちりと目が覚める。ホテルの朝食は、内容がまた同じなので、今回はパス。すぐに出かけることにする。

今日は、METRO(地下鉄)にチャレンジ。ホテルのすぐ近くのA線のマンゾーニ駅から乗ろうと思ったが、どの入り口も格子の扉で閉められていて地下に行けず。「どうしたらいいんや」と思って、すぐ近くにあったBARのお店の人に聞いたら、「マンゾーニ駅は今入れない。隣のヴィットリオ・エマヌエレ駅かサン・ジョバンニ駅から乗るしかない」と言われたので、ヴィットリオ・エマヌエレ駅まで歩いていくことにした。

途中、朝から人がたくさん入っているお店を発見。中を覗いてみたら、おいしそうなパンがたくさん並んでいる。ちょうど朝ごはんを食べてなかったので、小さめのパンを買ってみた。値段がいくらか忘れたが、めちゃくちゃ安かったことは確か。50チェンテージミ(=1/2ユーロ)もしなかったんじゃないかな。

Pane

駅までパンを食べ食べ歩いていく。安かったくせに、このパン焼きたてのふわふわで、かなりおいしい。こりゃお客さんがたくさん来るはずだと納得。前を歩いている、OL風の女性もパンを食べ食べ出勤中。イタリアだからこそ様になる情景だ。駅までの途中、タバッキがあったので、75分有効のBIT(Biglietto Integrato a Tempo)チケットを買っておいた。これで1ユーロ。タクシーを使ったら、市内なら10ユーロ前後はするので、かなりお得。

地下鉄の乗り方は、日本とそう変わらない。まず刻印機に切符を通してから、改札を抜ける。切符には通した時刻が刻印されるので、そこから75分間有効になる。といっても、出口では何もチェックなし。通り抜けの改札を素通りするだけ。これじゃ、有効時間の75分過ぎててもわからないんじゃないのと思うが、まぁいいか。もしかして、時々車内で車掌が切符の刻印チェックをしにくるのだろうか。

地下鉄は、平日の朝8時ということで、ホームはラッシュのせいか激混み。入ってきた電車は、車体全体にすごい落書きが。デザインとして、わざと書いたのだろうか。それほど大規模な落書きで驚いた。写真を撮りたかったが、この混んでいる中、デジカメのようなあまり高価なものを取り出すのも不用心なので撮らず。車内ももちろん激混み。ほとんど身動きできない状態で、通勤ラッシュ時の京都の地下鉄とそう変わらない。とりあえず、地下鉄に多いといわれるスリには注意するに越したことはないと思い、鞄はしっかり体の前に置き、旅行者っぽくきょろきょろせず、地下鉄は慣れてるよという感じで堂々としておいた。幸い、スリらしき人には遭遇しなかった。

それよりも、思っていた以上に、イタリア人は礼儀正しく、降りるときは、いきなり押しのけて降りようとしたりせず、「Scenda?」(あなたは降りられますか?)とか、「Permesso. Scendo!」(すみません、私降ります)などと、みんなひとこと言ってから降りており、日本の地下鉄よりマナーが良いんじゃないかと感心した。

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PIZZERIAで食事(ローマへの旅16)

2006-05-21 | イタリア旅行2006

ナポリからローマへ帰るバスの中は、波の上で長時間揺られたせいかどっと疲れが出て、船と違う心地よい揺れで、みんな爆睡状態。泊まっているホテルの前までバスで行ってくれるということで安心。

ローマに入る頃には、10時近くになっていて外は真っ暗。と、ここでバッドニュース。サン・ジョバンニ・イン・ラテラーノ教会の前で、無料のコンチェルト(コンサート)をしていて近くの道路が封鎖されているため、ホテルの前まで行けないとのこと。というわけで、少し離れたポルタ・マジョーレ広場で下車させられた。

地図を見ながら歩いていけば、すぐホテルに辿り着くだろうと思っていたが、下ろされた場所の周辺は店も少なく、真っ暗のため、どこを歩いているかよくわからず。またまた、道に迷ってしまった。結局、たまたま見つけた警官やら歩いている人やらに聞いて、やっとホテル前の通りに到着。ホテルの部屋に荷物を置いて、すぐまた外出。間に合いそうなら、無料のコンサートを聞きに行こうと思ったが、さっきまで聞こえていた音楽が止み、人がぞろぞろ歩いてきた。コンサートはどうも終わったっぽい。

しょうがないので、小腹も空いたことだし、どっかで軽く晩ご飯を食べようと通りを歩いていく。通りは、車通行止めの歩行者天国になっていて、たくさんの屋台が並んでいる。

Via_e_filiberto

どこで食べるか迷ったが、うまいピッツェリアは、晩しか開いていないとのことなので、屋台はあきらめ、ピッツァを食べることに。歩いていると偶然ピッツェリアを見つけたので、そこに入ることにした。システムがよくわからないが、とりあえずガラスケース内に並んでいる食べたいピッツァを指差して、飲みたい飲み物を店内の冷蔵庫から出して見せたら、「OK、奥のテーブルで座って待ってて」と言われたので、座ってしばらく待ってたらピッツァを温めて持ってきてくれた。支払いは、食後にcassaでするようだ。

Pizzeria1

Pizzeria2_1

ズッキーニのピッツァとサルシッチャとモッツァレラのピッツァ。ナポリ風のもちもちっとした感じのピッツァも好きだけど、どちらかというと生地が薄くパリパリのローマ風のこちらの方が好き。ズッキーニはあっさりで、サルシッチャはパンチのある味。結果的に、なかなかナイスな組み合わせになった。

お昼が遅かったせいか、お腹はこれだけで落ち着いたが、ホテルに向かって歩いてたらジェラッテリアを見つけてしまった。そういえば、今日はジェラート食ってないということで、自然と足は店の中へと吸い込まれた。

Pistacchio

相変わらずたくさん種類があって、どれにするか迷ってしまう。今回は、イタリアで人気というピスタチオ味に。

Pistacchio2

店の外で撮ったので、暗くて色がよくわからないですね。ピスタチオの香りはいいけれど、甘さ的にはちょっと物足りない。この後、ジェラートを食べ食べ、たくさんの若者達の流れに流されながらホテルへと帰ったのでした。

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アナカプリ(ローマへの旅15)

2006-05-20 | イタリア旅行2006

青の洞窟で感動に浸った後は、バスに乗って、山の上に位置するアナカプリへ。運転には慣れたもので、バスは狭い道を結構なスピードで走っていく。対向車もバスだと、車体が擦れ合いそうなほどのギリギリの狭さ。すれ違う際、サイドミラーを折りたたんで、うまいこと接触しないようにしている。バスの運ちゃん曰く、「観光客が多いので、今日だけで、すでに数十回行ったりきたりしてるよ」とのこと。かなりの高度のところまで上ってきたなと思ったら、そこがアナカプリ。

ガイドの方に誘導されてランチへ。

Pranzo_a_capri1

Pranzo_a_capri2

Pranzo_a_capri3

Pranzo_a_capri4

Pranzo_a_capri5

ツアーに付いてた昼食なんで、あまり期待はできないなと思っていたが、パスタはおいしかった。メインの肉や魚はイマイチ。最後のアイスは、「間違えて1個多く持ってきすぎたから食べていいよ」と言われたので、お言葉に甘えて頂いた。でも、やっぱりジェラートのほうがおいしいな。

当初の予定では、アナカプリで1時間ほどのフリータイムがあったのだが、なにせ青の洞窟で3時間も待ったため、時間がなくなり、自由時間は15分ほど。むちゃくちゃ混みあってるジェラートは、泣く泣く食べるのをあきらめ、とにかく大急ぎで、カプリ島の名物リモンチェッロを買いに走った。

そういうわけで、今回は、ほとんど街中をゆっくりする間もなく帰路へ。もちろんのことながら、ここからローマ帝国を統治し続けたという2代目皇帝ティベリウスが、死ぬまでの10年間を過ごしたという「ヴィラ・ヨヴィス」の遺跡にも足を運ぶことはできなかった。次にこの島に訪れる機会があれば、ぜひ一泊はし、ゆっくりと贅沢な時間を過ごしたい。

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青の洞窟(ローマへの旅14)

2006-05-19 | イタリア旅行2006

ナポリから、この高速艇に乗り、カプリ島まで約45分。

Snav

休日ということもあって、激混み。まだこの時点では、今日の目的の「青の洞窟」に入れるかどうかはわからず。「入れるとしても、洞窟の前で結構待つかも」と言われたので、船の中でトイレを済ませておく。

縦揺れが激しいせいか、ちょっと酔いそうになりながらもカプリ島のマリーナ・グランデに無事到着し、ホッとした。この時は、この後に、もっとひどい事態になるとは夢にも思っていなかった。

Isola_di_capri

ついにカプリ島に到着。「ナポリ湾の真珠」というだけあり、海が真っ青で美しい。天気も上々で、5月の風が心地よい。のんびりしている間もなくグッドニュースが。今日は青の洞窟が開いているとの事。ガイドの方によると、3回に1回位しか入れないという話だ。これはツイている。さっそく20人ほどが乗れる小型のモーターボートに乗り換え、青の洞窟へ。

Albergo_a_capri

カプリ島の北側、真っ青なティレニア海を西へ進んで、約20分ほどで青の洞窟前に到着。途中から見えるカプリ島は、断崖絶壁がそそり立っている。そのてっぺんにホテルらしき建物が。あそこから見える風景はさぞ素晴らしいものだろう。あの高さなら、ヴェズヴィオ山が遥か彼方に見ることができるかもしれないな。約2000年前に、ローマの初代皇帝アウグストゥスが、イスキア島と交換することを条件に、ナポリから取得しただけあって、とても美しい島である。

潮風に吹かれながら、青の洞窟前に到着したのはよいものの、祝日で、かつ気候もいい時期ということで、数え切れないほどの数の船が洞窟待ちで待機している。ガイドの方が聞いてくれたところによると、今から大体3時間待ちとのこと。船から下りて、陸で待つものと思っていたが、このまま船上で順番を待つということ。

けっこう揺れてるんだけど、これが3時間続くのかと思うと心配になってきた。以前からずっと待っている船の人は大丈夫なのかと見てみたら、船べりからゲロゲロ吐いていたり、船酔いでぶっ倒れている人がいっぱいいる。同乗している同じツアーの日本人観光客は、みな船酔いの薬を飲んできたという話をしている。船酔いのことなど全く考えていなかったので、これはやばいと、とりあえず遠くを見て気分を落ち着かせておくことにした。

着いてから30分もしないうちに、勝手に同じ船に乗りこんできていたアメリカ人数人が、「もう待てない、帰る帰る」とわめきだした。僕らのツアーのガイドに「帰らせろ」と言い出し、えらい口論になっている。結局、ガイドの方が、見学が終わって港へ帰る船の船長と掛け合って、うるさいアメリカ人を帰らせた。ガイドの方は、「こいつらは、ほんと我慢とか待つって事を知らん奴らや」と悪態をついていたが、僕らは船を広々と使うことができてラッキーだった。

それにしても3時間は長い。同じ船に乗っている半分ぐらいの人たちが、船酔いでダウン。それもそのはず、船はすごい揺れで、寝ている人が海に投げ出されそうなほど揺れることもあり、転覆するんじゃないかと何度も心配した。この揺れの中、一組だけ残っていたアメリカ人二人が、「カプリ島をバックに私達の写真を撮ってくれ」と僕に頼んできた。しょうがないなと思いながら快く引き受けたが、ちっちゃなファインダーを覗いてたら、また少し気分が悪くなってしまった。でも、それよりも、ここまで待ったにもかかわらず、「波がきついので途中で青の洞窟締めます」なんてことにならないか、そっちの方が心配になってきた。

そうこうしてるうちに小船が何艘か近づいてきた。ついに順番が回ってきたよと言われ、揺れている中、海に落ちないように気を付けながら、大喜びで小船に乗り移った。やっと待ちに待った青の洞窟だ。

Apertura_di_grotta

洞窟の入り口は、この小さな船が一艘入れるか入れないほどの大きさ。チェーンが通してあり、船頭さんがこれを持って、船を洞窟内に引っ張り込む。頭ぶつけるから、船底にほとんど寝そべった状態にさせられ、波が下がった瞬間に一気に洞窟内へ滑り込んだ。

洞窟内は真っ暗。顔上げていいよと言われたので、顔を上げて振り返ると、感動の情景が。真っ暗な洞窟の中、海の底だけがコバルトブルーに輝いている。これはまさに自然の神秘。一気に、さっきまでの酔いと戦っていた3時間が報われた気がした。

Grotta_azzurra

何枚か写真を撮ったが、暗いのと揺れているのとでうまく撮れず。夜景モードで撮ると、海の綺麗な色は撮れるんだけど、ぶれちゃいました。

たくさんの船頭さんが、競うように「サンタルチア」を歌い、洞窟内に響いている。みんな見た目は海のおやじなんだけど、なかなか歌は上手い。楽しい時間は短いもので、10分ほどで出口に向かう。が、今日は波が高いらしく、波で洞窟の入り口が塞がれたり開いたりで、出るタイミングが難しそうだ。船頭さんらが、波に合わせて掛け声を掛け、タイミングをとって出ていくのだが、一艘出るごとに大歓声が上がって盛り上がった。特に船が波をかぶったら、またまた大笑いと大歓声。おかげで出口付近で、青の洞窟の美しさにしばらく浸ることができた。同じツアーの一人は、思いっきり波をかぶった小船に乗っていたらしく、全身ずぶ濡れになっていた。

その日の朝、波があるので、青の洞窟を開けるかどうか話し合いになった末、開けることに決まったこと、僕らが入った後、波が高くなってきたので結局閉めてしまったという話をガイドの方から聞き、なんて僕らは運がいいんだろうと、同じツアーの人らと喜びを分かち合ったのだった。

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一路ナポリへ(ローマへの旅13)

2006-05-18 | イタリア旅行2006

ローマへの旅2日目は、5月1日Festa del lavoro(メーデー)で祝日。日曜日同様、この日も祝日でおいしいレストランは開いてない、というわけで、カプリ島へのツアーを申し込んでおいた。

朝、7時15分に集合場所へ。バスに乗り込んでいざナポリへ発車。高速を使って、ローマからは、約3時間の旅。途中の車窓からの風景はずっとのどか。

Per_napoli

ナポリの近くで、アッピア街道と交差。

Via_appia

カメラを取り出していて、少し通り過ぎてしまったが、このずっと続く松並木の道がアッピア街道。「全ての道はローマに通ず」といわれている通り、ローマから続く道。紀元前312年当時の財務官アッピウスによって敷設されたので、その名前をとってアッピア街道と名づけられているとのこと。

ナポリが近づくにつれ、ヴェスヴィオ山が徐々に大きく見えてきた。

Vesuvio

ナポリ東方に位置するヴェスヴィオ山。紀元79年、大爆発を起こし、都市ポンペイを埋没させてしまったことで有名な火山。もうそろそろ爆発するかもなんていわれているらしいが、見ているだけでは、そんな感じは全くなし。でも大爆発した当時も、まさか爆発するなんて思ってもみなかったのだろう。

そうこうしているうちに、ナポリに到着。ナポリは、ギリシア人が開いた植民地であり、彼らはこの町をネアポリス(新しい町)と名付け、それがこの町の名前の由来となっている。

右手にカステル・ヌオヴォを眺めながら船乗り場へ。

Castel_nuovo_1

”Vedi Napoli , e poi muori”(ナポリを見て死ね)とは有名な諺ではあるが、ゆっくりナポリを観光する間もなく、観光客で一杯の、カプリ島へ向かう高速艇に足早に乗り込むのであった。

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「Romantica (ロマンティカ)」(ローマへの旅12)

2006-05-16 | イタリア旅行2006

一日中歩きまくったせいで、お腹が減ってきた。ということで、どこかで晩ご飯を食べようと思ったが、日曜日ということで、行こうと思ってチェックしてきた店はどこも閉まっている。ホテルの近くに見つけたエノテカも、もちろん休み。

こういうときは、ホテルの人に聞くに限ると思い、フロントのお茶目なおやじに、「ここらへんで、今日開いてるおいしいレストランがありますか?」と聞いてみた。すると、お茶目おやじは、「ちょっと待ってよ」と言いながら、レストランの名刺を出してきて、詳しく行き方を教えてくれた。

レストランに向かいながら、名刺を出してくるぐらいやから、ホテルと提携してるレストランで、あんまり期待できないんちゃうかなどと話してるうちに到着。お店は、「Romantica」(ロマンティカ)という名前。店の前にメニュー表が貼ってあり、種類も豊富で、それを見ていたらお腹が減ってきたので、入ることにした。

うちの奥さんは、まずビール。店の人に、「これがイタリアのビールやから、これにしたら良い」と言われたので「Peroni」というビールを頼む。

Romantica1

僕は、赤ワイン。ワインにはあまり詳しくないので、無難にハウスワインを頼んだ。

Romantica2

「Ravioli alla RomAntica」

Romantica3

店の名前が入っているのと、ラビオリが大好きなのでこれを頼んだ。ソースはクリーム系で、非常にこってりしていて僕好み。パンチェッタ(豚ばら肉の塩漬け)のパンチが効いていて、激ウマ。

「Risotto alla crema di scampi」

Romantica4

スカンピが食べたいと、うちの奥さんが頼んだ一品。海老の風味がしみわたっている。うちの奥さん曰く、今回のローマの旅で一番おいしかった一皿。

「Insalata di asparagi」

Romantica5

この名前はメモしておくのを忘れたため、適当に付けました。といっても、見ての通り、ただのアスパラガスのサラダ。日本で見るアスパラに比べると、かなり大きく、出てきてビックリした。味は、日本のものと、そう変わらない。

「Abbacchio alla scottadito」

Romantica6

網焼きされた子羊の肉。ローマに来たからには、羊肉は食べようと、これを注文。これはまずまずの味。臭みはないが、日本で食べる子羊の方がおいしい。

「Pannna cotta al cioccolato」

Romantica7

最後に甘いものが食べたくなったので、これを追加。チョコがふんだんに掛かっていて、半端じゃなく甘い、そしておいしい。うちの奥さんは、お腹が一杯の上、甘ったるくて食べれんというので、一人で平らげる。なぜか、すぐ横で食べていたフランス人のおばちゃん達が、このパンナコッタを見て大笑いしながら何かを言ってくるのだが、フランス語が全くわからず、なぜそんなにウケていたのかはわからずじまい。

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コロッセオとジェラート2つ(ローマへの旅11)

2006-05-15 | イタリア旅行2006

ローマといって、誰の頭にも、まず思い浮かぶのがこのコロッセオだろう。「コロッセオが崩れるとき、ローマは滅びる」という有名な詩句が、そのことを如実に表しているといえるだろう。

Colosseo

西暦72年にヴェスパシアヌス帝が着工し、80年にその息子であるティトス帝により完成した闘技場。この円形競技場が「コロッセオ」という通称で呼ばれたわけは、ネロ帝の巨大な黄金の像(巨像=colosso)が、すぐ近くに立っていたからである。

キリスト教が支配するようになってから、ローマの公共建造物は、格好の石材提供場に変わってしまったため、現在見ることのできるコロッセオは、ローマ帝国時代の3分の1でしかないとのことだが、それでもその迫力は見るものを威圧するほどである。映画「グラディエーター」には、コロッセオの全景がCGで再現されているので、これを見ている人には、この骨格だけになってしまったコロッセオからでも、かつて在りしの姿が想像しやすいのではないだろうか。闘技に使われる猛獣は、地下からエレベーターで地上に導けるようになっていたし、観客をローマの暑い日差しから守るため、天井部には布で覆うことができるようにもなっていたらしい。

空いているようなら、中を見学しようかと思っていたが、イタリアも連休ということで、すごい数の人たちがコロッセオの周囲に沿って列をなしていたため、今回は外からのみの見学で。

ここからホテルまでは、ほぼ一本道。若干距離はあるが、ローマ市内を散策しながらゆっくり歩いて帰ることにする。

歩き出すと、コロッセオのすぐ近くにジェラッテリアを発見。そういえば、ローマに来る前に、1日最低1つはジェラートを食べるという目標を立てていたので、さっそく買ってみた。かなり歩き疲れていたため、疲れを取るためにレモンのジェラートを頼んだ。

Gelato1

店の名前は忘れたが、まずまずのおいしさ。それでも、勢いが付いてもう一個食べたくなったが、途中から店があまりなくなってしまったため、結局見つけたのはホテルのすぐ横のBARで。

Hotel_president

中に入ると、威勢のいいおばちゃんが、半分怒ってるような口調で客とやり取りをしている。ちょっとたじろいだが、ジェラートを頼もうと並んでたら、おっさんが列を無視して注文しようとし、おばちゃんに怒られていた。それで、このおばちゃんはいい人だとわかって安心。ここでは、チョコレートのジェラートを頼むことに。結局ここのBARは、ミネラルウォーターも売っているという事もあり、僕らの中で勝手に「おばちゃんの店」と呼んで、旅行中何度も足を運ぶことになった。

Gelato2

これがチョコ味のジェラート。BARのジェラートということで、あんまり期待していなかったが、むちゃくちゃおいしい。チョコレート味だからおいしいのか、おばちゃんの店だからおいしいのかはわからない。やっぱり疲れた体には甘いものが一番だ。

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コンスタンティヌスの凱旋門(ローマへの旅10)

2006-05-14 | イタリア旅行2006

フォロ・ロマーノからコロッセオに足を運ぶと、途中、否応なしに目に飛び込んでくるのが、「コンスタンティヌスの凱旋門」である。皇帝コンスタンティヌスが、ミルヴィオ橋の戦いで、前帝マクセンティウスに勝利したことを祝して、建てられたもの。

北側から見た凱旋門

Arco_di_constantino_nord

南側から見た凱旋門

Arco_di_constantino_sud

ここには、もともとハドリアヌス帝の凱旋門があったのだが、その門の一部の装飾を取り除き、コンスタンティヌスへの献辞や浮彫りを埋め込んだという。また、それだけでは門の全てを装飾するのに充分ではなかったため、他の公共建造物からも取り外して付け加えている。というわけで、この凱旋門は、それ以前に作られたものの集合体になってしまっている。

①トライアヌス帝時代の彫像 : 正面と裏面の最上階に並ぶ、合計8体のダキア人の捕虜たちの彫像

②ハドリアヌス帝時代のもの : 門本体と、正面と裏面の第二階を飾る円形の8つの浮彫

③マルクス・アウレリウス帝時代の浮彫 : 正面と裏面の最上階のダキア人の彫像の間にある8枚の浮彫

④コンスタンティヌス帝時代の浮彫 : 正面と裏面の、中央と左右のアーチのすぐ上の部分の浮彫

Arco_di_constantino1

2体のダキア人の捕虜の間に見えるのが、マルクス・アウレリウス帝時代の浮彫。どちらの浮彫にも、五賢帝の一人であるマルクス・アウレリウスの姿が描かれている。

Arco_di_constantino2

左の円形の浮彫は、狩ったライオンを前にするハドリアヌス帝。右の方は、ヘラクレスの犠牲式の情景です。そのすぐ下の横長の浮彫がコンスタンティヌス帝時代のものであり、小麦の無料配給を受けるローマ市民の情景が描かれている。

Arco_di_constantino3

左側が、演説するマルクス・アウレリウス帝。右が、犠牲式の光景。兵士が持つ串焼きのような形のものは、ローマの軍団旗である。銀製の鷲の下に、各軍団別を示す標章が付いていた。

Arco_di_constantino4

左が、蛮族の代表を引見する皇帝。右が、蛮族の捕虜を検分する皇帝。

Arco_di_constantino5

円形左側が、狩りに出発するハドリアヌス帝。その右が、シルヴァヌス神への犠牲式。それらの下は、コンスタンティヌスによるヴェローナ攻略の図。

Arco_di_constantino6

円形左側、熊狩りの光景。右側、ディアナ神への犠牲式。それらの下に、マクセンティウスを破ったミルヴィオ橋の戦いの図が描かれている。

Arco_di_constantino7

中央上部に彫られた献呈の言葉。「ローマ元老院とローマ市民は、勝利への祝いとしてこの門を、インペラトール・カエサル・フラヴィウス・コンスタンティヌス・マクシムス・ピウス・フェリックス・アウグストゥスに贈呈する。そしてこの皇帝が、神にも等しい感覚の冴えと偉大なる意志力で率いた軍勢による正義の戦争によって、暴君を滅ぼしたことをここに記す」とラテン語で記されている。滅ぼされた暴君とは、もちろん前皇帝マクセンティウスである。日本にも、「勝てば官軍、負ければ賊軍」という諺があるが、どこの国においても同じような歴史が繰り返されているのだということを実感させられました。

※参考文献:塩野七生著「最後の努力 / ローマ人の物語XⅢ」

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フォロ・ロマーノ(ローマへの旅9)

2006-05-13 | イタリア旅行2006

カンピドーリオの丘の裏手の階段を降りると、すぐフォロ・ロマーノ。古代ローマの政治・経済・行政といった国家運営に必要な機能を一箇所に集めた場所である。目を瞑ると、皇帝の凱旋式が行われ、耳を澄ますと、古代ローマ市民の歓声が聞こえる、ここはそんな2000年もの時をタイムスリップできる場所でもある。

フォロ・ロマーノに降りる階段の上で、まず目に飛び込んでくるのは、セプティミウス・セヴェルスの凱旋門。

Arco_di_settimo_severo

西暦203年にセヴェルス帝の功績を称えて建てられた凱旋門。両脇の二つの小アーチ部分には、2度のパルティア遠征での活躍が描かれている。日本人には、あまり馴染みのないセヴェルス帝だが、かの有名なカラカラ帝の父親である。大理石の化粧板の装飾は派手かつ豪華であり、後で見るティトスの凱旋門と比べると対照的でおもしろい。

すぐ右に見えるのが、サトゥルノの神殿。(写真左側の円柱)

Tempio_di_saturno

奴隷や貧民階級に敬われた農耕の神サトゥルノに捧げる神殿だった場所。神殿の入り口を飾っていた8本の円柱とイオニア式の柱頭、それらを結ぶ上枠が残っている。

ユリウスのバジリカ

Basilica_giulia

紀元前54年にユリウス・カエサルが着工した会堂で、アウグストゥス帝によって完成。司法・行政の場として使われ、中には4つの裁判所もあったという。

クーリア(元老院)

Curia

元老院が議会を開き、決定を下す公式の場として使われていた。この建物自体は、20世紀になって遺跡を元に復元したもの。今の日本でいう国会議事堂のようなものだろう。共和政ローマにおいて、もちろん主権者は、元老院並びにローマ市民であった。が、アウグストゥス以後帝政になって後も、皇帝は、彼ら有権者から統治を委託された存在であるため、主権者であることには変わりなかった。というわけで、ここは長年ローマの政治の中心となっていた場所なのである。ローマ市内を歩いていると、多くの公共物に「S・P・Q・R」の文字が刻まれているが、これこそ「元老院並びにローマ市民(Senatus Populusque Romanus)」の略である。

カストルとポルックスの神殿

Tempio_di_castore_e_polluce

ローマを勝利に導いたという伝説の双子カストルとポルックスに捧げた神殿跡。この二人は、カンピドーリオ広場入り口に立てられていた像の二人ですね。

カエサルの神殿

Tempio_di_cesare

カエサルの遺体が火葬された場所。初代皇帝で、カエサルの養子でもあったアウグストゥスが建てたもの。石壁のようなものが残る程度で、知らない人ならそのまま前を通り過ぎてしまうだろう。それでも献花が置かれてあり、カエサルの人気ぶりはうかがえる。

アントニヌスとファウスティーナの神殿

Tempio_di_antonio_e_faustina

アントニヌスとは、五賢帝の一人アントニヌス・ピウス帝であり、彼が死んだ妻ファウスティーナのために建てた神殿。皇帝も、死後、ここに妻と一緒に祭られた。

ロムルスの神殿

Tempio_di_romolo

マクセンティウス帝が、幼くして死んだ息子ロムルスのために建てた神殿。ローマ建国の伝説に出てきたロムルスとは無関係。帝がミルヴィオ橋の戦いで戦死したため未完成に終わったと考えられている。

マクセンティウスのバジリカ

Basilica_di_massenzio

フォロ・ロマーノ最大の建造物。マクセンティウス帝によって建設が始められたが、最後はミルヴィオ橋の戦いで彼を破った、コンスタンティヌス帝によって完成。コンセルヴァトーリ宮殿の中庭に一部があった、コンスタンティヌス帝の巨大な像はここに置かれていた。たしかにあの馬鹿でかい像にはぴったりの巨大さだ。

ティトスの凱旋門

Arco_di_tito

ヴェスパシアヌスとその息子ティトスの、エルサレム攻略を記念して建てられた。慈悲深いと評判だったティトス帝の凱旋門らしく、セヴェルス帝やコンスタンティヌス帝のものと比べると、飾り気がなく、質素な感じまでするほどだ。彼の治世は2年という短いものであったが、その間に、ポンペイを埋没させたヴェスヴィオ火山の大噴火、首都ローマの大火事、イタリア全域の疫病発生といった大災害が起こっている。しかも度重なる災害に、彼は私財を投げ打ったとのことだ。「ローマ人の物語」で、塩野七生も書いているように、若い彼の死は、災難続きで心身ともに疲労が重なったのが原因かもしれない。

またこの凱旋門の下を抜け、セヴェルスの凱旋門からカンピドーリオの丘まで続く道は、聖なる道(Via Sacra)といわれ、皇帝たちの戦勝の凱旋行進はこの道を通り、丘の上にそびえていたローマの最高神であるユピテルの神殿まで続いたとのことです。

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ベネツィア広場周辺(ローマへの旅8)

2006-05-12 | イタリア旅行2006

カンピドーリオの丘より、ベネツィア広場を眺める。

Piazza_venezia_1

ローマの中心に位置する広場。泊まっていたホテルが、この東南の方向にあったため、夜タクシーに乗って帰るたびに、この広場を通っていた。道が集まってきているため、交通量が多く、自分では絶対運転したくないと思った。

右手に見える白い大きな建物は、ヴィットリオ・エマヌエーレ2世記念堂。1870年のイタリア統一の立役者で初代国王となったヴィットリオ・エマヌエーレ2世の偉業を記念して建てられた。周囲の景観に溶け込めていないと地元の人には言われているようだが、柱廊の上に立っている、勝利の女神の乗る4頭立ての馬車のブロンズ像などは、日本人の僕の目から見ると、いかにもローマらしいと思うのだがどうだろうか。

ヴェネツィア広場から東南に伸びるフォーリ・インペリアーリ通りに沿って、たくさんの遺跡が並んでいる。その一つのフォロ・ディ・チェザーレ(カエサルのフォロ)。

Foro_di_cesare

”foro”と伊和辞典でひくと、”フォーラム・公共広場”とでてくるが、そこからもわかるとおり「フォーラム」という言葉の語源になっている。古代ローマの中心地といえば、当然、フォロ・ロマーノが思い浮かぶが、このフォロ・ディ・チェザーレは、ローマの人口増加に伴いフォロ・ロマーノが手狭になった紀元前50年頃、ユリウス・カエサルが私財を投じて建設したもの。

この周りには、フォロ・アウグスト、フォロ・トライアーノ、トラヤヌスの市場といった遺跡が並んでいるが、今回は時間がないため見れず。そのままカンピドーリオ広場裏手の階段を降りて、フォロ・ロマーノへ向かうことに。

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「Caffe Capitolino」(ローマへの旅7)

2006-05-11 | イタリア旅行2006

ちょうどお昼時で、お腹が減ってきた。けど、今日は日曜日ということで、多くのレストランが休み。さてどうしようかと考えて、そういえばこのカピトリーニ美術館の上に食べれる場所があると何かのガイドブックに書いてあったのを思い出して行ってみた。

なかなか人で混みあっている。結構歩き続けで疲れているし、せっかくなのでここで食べようということに。ショーウィンドウに並んでいるのを見に行くと、なかなかおいしそうな食べ物が並んでいて食欲をそそられる。

Vetrina

食べたいものが決まったら、cassaと呼ばれるいわゆるレジに行き、そこで食べたいものを告げて、まずお金を払う。そこでもらったレシート(scontrino)をカウンターで見せて再び注文する、というシステムになっている。街の中にある多くのBARやジェラッテリアも同じようなシステムになっている。そういえば、日本でもスタバでは同じシステムですよね。

今回頼んだもの。

Mozzarella di Bufala e Prosciutto Crudo

Mozzarella_e_prosciutto_2

いわゆるモッツァレラと生ハム。日本でモッツァレラといえば、牛の乳から作られているものが多いが、ここはさすがに本場。名前通り水牛の乳から作られている。まさにイタリアでの定番中の定番。オリーブオイルと塩をかけて食べると、おいしい。ほんまにイタリアに来たんやと再確認できる一品。

Focaccia Romana:Tacchino,Formaggio

Focaccia_romana

そのまま訳すと、ローマ風フォカッチャ。フォカッチャとは、イタリアでよく食べられる平焼きしたパンのこと。最近は、日本のイタリアンレストランでもよく出されるので、知っている人も多いでしょう。中には、七面鳥のハムとチーズがはさまっている。

今日のお昼は、これにCaffe(エスプレッソ)と、Spremuta D'arancia(オレンジジュース)。晩にそなえて、二人でこれだけ(意外と少食?)。それでも、生ハムなどはなかなかのボリュームがあり、それなりにお腹一杯になった。

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カピトリーニ美術館(ローマへの旅6)

2006-05-10 | イタリア旅行2006

さぁ、いよいよカピトリーニ美術館へ。広場左手のパラッツォ・ヌオヴォ(新宮)と右手のコンセルヴァトーリ宮の二つの建物からなる美術館。

まず切符売り場を探したら、せまい部屋の中に窓口があって、入場券を買う人でごった返していた。忙しいせいか、切符売りのおばちゃんは、えらい無愛想。順番がきたので普通にお金払ったら、小銭を出せ出せとうるさい。「そんなことやってるから、切符を買う客が捌けなくて混んでしまうんやろ、だいたい値段決まってるんやから、お釣りぐらい十分に用意しとけよ」などと思うのだが、それは日本での常識であって、イタリアでは通じない話なんだろう。そういえば、映画館の窓口で、煙草吹かしながら客の応対をしているおばはんもおって、そこまでいくともう笑うしかなかった。

この美術館は、意外と中が複雑なため、見たいものをあらかじめ、ある程度決めておかないと、中でどこにいるか迷子になってしまう。実際、知らないうちに美術館の外に出てしまっていて、2度ほど、入り口から再入場させられる羽目になってしまった。

まずは、新宮(Palazzo Nuovo)から。

「諸皇帝の間」や「哲学者の間」には、数え切れないほどのローマ皇帝や哲学者達の胸像が並んでいる。写真は、カラカラ帝。

Caracalla

ローマ郊外にあるカラカラ浴場のおかげで多くの人に名前を知られている皇帝であるが、母親の目の前で弟のゲタを殺し、一般市民を大量虐殺した極悪非道な人物。この胸像の表情から、残虐性まではわからずとも、その気の強さは十分に伝わってくる気がする。

「瀕死のガリア人」

Galata_morente

紀元前3世紀頃のブロンズ彫刻のコピー。深手を負って瀕死の状態のガリアの兵士の姿。

「カピトリーノのヴィーナス」

Venere_capitolina

この像一体だけ、「ヴィーナスの小部屋」という別の小さな部屋に置かれている。確かに魅力のあるこの像の周りには、多くの人が集まっていた。

「円盤投げの戦士」

Querriero

オリジナルは、紀元前5世紀のもの。「瀕死のガリア人」もそうだが、筋肉の形がリアルで、今にも動き出しそうなほどだ。

中庭にある「マルフォリオ」

Marforio

もともとカンピドリオの丘の麓にあった、2世紀頃の作品。かつては、法王庁に対する悪口や非難の文がこの像に貼られ、庶民に告発の場を与えていたという。この像の隣のスペースに、「マルクス・アウレリウス帝の騎馬像」があるとのことだったが、見当たらず。修復か何かで見れないのかと思っていたが、今さっきカピトリーニ美術館のHPを見てたら、コンセルヴァトーリ宮に移されているようだ。

コンセルヴァトーリ宮殿へ。

有名な「とげを抜く少年」

Spinario

これも有名な「カピトリーノの雌狼」

Lupa_capitolina

ローマ建国の伝説に基づく有名な雌狼のブロンズ像。二人の赤ん坊は、狼に育てられた双子の兄弟ロムルスとレムス。ロムルスは、互いの領域を侵さないという誓約を破ったレムスを殺し、ローマ初代の王となったといわれている。ローマの名前の由来は、このロムルスからきている。

「コンスタンティヌス帝頭部像」

Constantinus

写真ではわからないが、中庭にあるこの像は、おそろしくばかでかく、壁際に置かれているものの、一際存在感を放っている。破損した体の一部も置かれているが、全身を合わせるとどれぐらいになるかこの状態では想像がつかない。もともとフォロ・ロマーノのマクセンティウス帝のバジリカにあったとのこと。後でフォロ・ロマーノで見たが、確かにこちらもばかでかい建物であり、この像が設置されていたというのもうなずけた。

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