いせ九条の会

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渡海紀三朗文科相の国会答弁を考える/山崎孝

2007-10-26 | ご投稿
【調査官と審議委員 半数、「つくる会」と関係】(2007年10月25日付沖縄タイムス)

沖縄戦「集団自決(強制集団死)」に関する教科書問題で、検定意見の原案を作成する教科書調査官の日本史担当者と、教科用図書検定調査審議会日本史小委員会の近現代史担当委員の計八人のうち半数の四人が、「新しい歴史教科書をつくる会」が発行した教科書を監修・執筆した伊藤隆東京大名誉教授と関係があることが二十四日、分かった。伊藤氏の門下生がいるほか共同研究や共著の実績があった。衆院文部科学委員会で石井郁子氏(共産)が明らかにした。

石井氏の調べによると、日本史担当の教科書調査官四人のうち、主任調査官の照沼康孝氏、調査官の村瀬信一氏は東京大在学中、助教授だった伊藤氏の教え子だった。

近現代史担当の審議委員四人のうち駿河台大教授の広瀬順皓氏、九州大大学院教授の有馬学氏は一九九六―二〇〇〇年度にかけ、文科省の科学研究費補助金を活用して伊藤氏を統括者とした共同研究に従事していた。この研究には村瀬氏も加わっていた。

また、村瀬、照沼、有馬の三氏らは「近代日本の政治構造」という著書を共同で執筆しており、有馬氏はあとがきで「執筆者はいずれも先生(伊藤氏)が在学中、学恩に浴し」と伊藤氏への謝意を示していた。

伊藤氏は「つくる会」の発足に携わり、〇六年まで理事を務めた。

石井氏は「今回の検定意見は文科省の片寄った人選がある。歴史を逆行させる地下水脈のようなものが一貫して流れていると言わざるを得ない」と指摘し、調査官と審議委員の選考の在り方を厳しく批判した。

渡海紀三朗文科相は「一部の方にそういう色合いが見えるということだけで、物事が流れていると断定するのはいかがか」と述べ、問題視しない考えを強調した。(以上)

渡海紀三朗文科相の「一部の方にそういう色合いが見えるということだけで、物事が流れていると断定するのはいかがか」という意見についてですが、組織の一部ではなく、教科用図書検定調査審議会日本史小委員会の近現代史担当委員の計8人のうち半数の4人も、新自由主義史観という色合いのついた人物で占めています。そして組織の有り様は人事が大きく左右することを無視した意見です。どのような組織でも、どのような経歴や思想の人物を参画させるかで、その組織の運営や経営方針が変わってきます。

文部科学省に関する人事は一般的にはあまり報道されませんが、教科書検定問題と関連して文部科学省の中にあつた「歴史を逆行させる地下水脈」が、国会の場で明らかにされたのです。

歴史を逆行させる潮流は安倍政権下で際立ちました。安倍前首相は幹事長時代、自民党の地方組織に扶桑社の歴史教科書を各地の教育委員会が採択するよう運動することを指示しています。首相になると戦前の歴史の教訓を踏まえて国家のあり方を示した憲法を変えることを最終到達点とした「戦後レジーム」からの脱却と歴史の負を消滅させようとする美しい国づくりを指向しました。

安倍政権の特徴は「お友だち内閣」と言われました。その友だちの顔ぶれを見てみます。安倍政権の閣僚人事について報道した当時の朝日新聞は《中川昭一政調会長 1997年「日本の前途と歴史教育を考える若手議員の会」会長になっている。同会は扶桑社の歴史教科書をバックアップした。同会で活動した高市早苗氏が沖縄・北方相に就任、同会事務局次長だった下村博文氏が官房副長官に就任。同会所属であった山谷えり子氏が教育再生担当の首相補佐官に就任した。下村博文氏は最近、教育再生会議のテーマのひとつに「自虐史観の歴史教科書をやめさせる」と述べている。山谷えり子氏は「いまだにレーニンの言葉を守っているんでしょうか、自虐的な内容の教科書をつくっている」と述べている》と報道しています。

そして人事について総括的に《安倍晋三氏は、「党内基盤を安定させるため、自民党総裁選で功績のあった派閥やグループに配慮しながら、首相の政治信条に近い保守色の強いメンバーを積極的に起用した人事となった」また、「…国家観や憲法観、家族観で、日本の伝統を重んじる保守的な人物が目に付く、首相の意向も相まって、新内閣の政策はより保守色を強める可能性がある」》と2006年9月27日付朝日新聞は報道しています。

20年間続き変更されなかった沖縄戦「集団自決(強制集団死)」に関する教科書記述変更は、このような安倍政権人事配置のもとで起こりました。