いせ九条の会

「いせ九条の会」の投稿用ブログです(原稿募集中)。
会の趣旨に賛同される方、メールでご投稿ください。

歴史を主体的に見据える/山崎孝

2007-10-25 | ご投稿
「マガジン9条」のホームページの読者投稿欄に、沖縄戦の住民の集団自決死問題や従軍慰安婦の問題で論争する人の大半は頭に血を上らしており、過熱した言論空間からは、冷静かつ客観的な歴史的事実を探求することが出来ない。であるから、歴史的事実の探求は東アジアの人に任せるのではなく、別な国の人に歴史の真実の探究を全面委託しては、という趣旨の意見がありました。

この意見は肝心なことが抜け落ちています。自国の歴史は自らが見据え、その歴史の教訓を汲み取り、未来の国の有り方を考える主体的態度です。この態度を放棄するに等しい意見と考えます。

主体的態度の典型的な例を挙げますと、1945年12月26日に憲法草案を発表した日本の知識人グループです。このグループがGHQの憲法草案に先駆けて発表した「憲法草案要綱」に盛り込まれた、天皇大権を削除し国民主権を明記、自由と民主、平和主義などの理念は、明治以降の大日本帝国憲法下で歩んだ日本の歴史の教訓を汲み取った理念でありました。

これは時の政府、松本国務大臣を委員長として検討した政府の憲法草案が、天皇が統治権を総攬するという大原則、国体には変更を加えないのと比較すれば、歴史とどのように向き合うか、どう評価するかの大切さを理解できます。

戦前の日本の歴史の評価の違い、国家がどのようなことで破綻したかの評価の違いが国家のあり方を決めます。現在、起きている日本の旧軍隊についての評価の違いが、近い将来、日本が軍隊を持つのか、持たないかののかのいずれかを選択することになります。

沖縄県全41の地方議会と二度にわたる県議会の教科書検定意見の撤回を求める意見書の採択は、党派を超えたものであることを見れば、冷静さを欠いた歴史の探究を背景にしたとは絶対にいえません。

2007年10月22日付「朝日歌壇」に掲載された短歌です。

お茶を断ち紙おむつも当て炎熱の抗議集会行きのバスに乗り込む 沖縄県 和田静子さん

体力は衰えても、未来に続く国のあり方を考える力は衰えず、力強い精神力が感じ取れます。この方は主体的に歴史を見据えて行動しました。中立という立場にことよせ、言論空間の中間の位置で浮遊する態度ではありません。