いせ九条の会

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ぬか喜びで終わらせてはならない/山崎孝

2007-10-02 | ご投稿
【自決強制の記述 対応検討 文科相「沖縄の心重い」】(2007年10月2日付朝日新聞)

沖縄戦で日本軍が住民に「集団自決」を強制したとの記述が教科書検定で削除された問題で、文部科学省は、記述の修正が可能か、検討を始めた。検定意見の撤回を求めて9月29日に開かれた沖縄県民大会に11万人が参加したことから、町村官房長官が1日、渡海文科相に検討を指示。渡海氏も、政治的に左石されないために設けられた検定制度の枠内で可能な対応を検討するよう省内に指示した。

町村氏は1日の記者会見で「沖縄の皆さんの気持ちを何らかの方法で受け止め、修正できるかどうか、関係者の工夫と努力と知恵がありうる」と述べた。渡海氏も記者団に「(検定に)政治的介入があってはいけない。しかし、沖縄県民の気持ちを考えると、両方とものすごく重い。そのなかで何ができるか考えたい」と述べた。

渡海氏は、県民大会を受けて検討を始めたことを認め、仲井真弘多知事が上京すれば直撰会うとの考えも明らかにした。

また、教科書会社から訂正申請があった場合、「真摯に対応したい」と語った。既に数社が、訂正申請に向け検討を始めている。

文科省は「検定の撤回はできない」との立場だが、過去に事実上、方針を転換した例がある。記述を復活させるために、こうした方法を今回適用できないか検討する。方針転換の例としては、沖縄戦に関する81年度の検定がある。日本軍による住民殺害の記述が削除された後、沖縄県民は激しく反発。小川平二文部相(当時)が国会で「次の機会に県民の方々のお気持ちに十分配慮して検定を行う」と答弁、83年度の検定で事実上復活した。

80年度には高校の現代社会の教科書に水俣病の関連で「チッソ」の企業名が記されたのに対し、文部省(当時)は「特定の営利企業の非難になるおそれがある」と意見を付け、削除された。しかし、批判が高まり、同省は事実上撤回。81年秋に6社が訂正申請し表認された。

 このほか、過去に例はないが、文科省は教科書会社に訂正申請の勧告をすることもできる。

 沖縄県民大会で実行委員長を務めた仲里利借・県議会議長(自民党)は「11万県民の気持ちをくんでいただいた大変な配慮だと思う。どういう形で結論が出されるのか、ぬか喜びすることなく、大きな期待を持って見守っていきたい」と話した。(以上)

明らかな事実は、教科書会社、数社の編・著者が共通して、沖縄戦における住民の集団自決死に日本軍の強制があったことを記した記述が、文部科学省が検定意見つけて改変させたのです。この文部科学省の検定意見を文部科学省が撤回すれば良いのです。沖縄の人たちの総意、本土の人たちの歴史の真実は伝えなければならないとする真摯な思いを、福田政権は受け止めなければなりません。

朝日新聞10月2日の「声」欄に、このことを訴えた私の文章を掲載していただけましたのでブログにも紹介させていただきます。

2007年10月2日付朝日新聞「声」欄掲載文

戦争への道を歩まぬために

沖縄戦での住民の集団自決死に軍の強制が無かったとする教科書の検定意見の撤回を求める決議が沖縄以外の議会でも相次いで可決されている。

 教科書に検定意見がついたのは、沖縄・座間味島の元第1戦隊長らが岩波書店と大江健三郎氏に出版差し止めとなどを求めた裁判が影響を与えたとされる。問題とされた大江健三郎著「沖縄ノート」は、1970年9月が初版。提訴は2005年8月である。(註 私が所持するのは1998年7月の第44刷の記述が編集の都合で省略)

原告らが本で名誉を傷つけられと思ったのであれば、発行された時か余り重版されない段階で訴えるのが自然である。従軍慰安婦問題と同様に旧日本軍を免罪にしたい人たちの意図と結びついて裁判は起こされたものたものだろう。

福田康夫氏は自民党総裁になった時、安倍政権が失った国民の信頼を取り返す決意を表明した。教科書の検定意見の撤回を求める意見書を安倍前首相は無視した。

福田首相は国民の信頼を回復する一つの課題として対処してほしい。戦争への道を歩まないために戦争の実相を次世代に伝えなければならない。