いせ九条の会

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アジアの解放という思想/山崎孝

2007-10-24 | ご投稿
私は今年7月に刊行された本で、映画評論家の佐藤忠男著「草の根の軍国主義」岩波書店発行を読んでいます。この本の書いた趣旨を要約した本の帯には《あの平和と戦争において、民衆は指導者層や軍部に操られ踊らされただけだったのだろうか。「軍国主義」を支えた庶民の心のありようを問い直す》と書かれています。

踊らされたといえば、小泉政権はマスメディアを利用し、少なからぬマスメディアが同調した「劇場型政治」が展開されました。この戦術で衆議院は与党だけで3分の2の議席を占めてしまい、この状況に利用して「新テロ特措法案」の成立を自民党は企図しています。

「劇場型政治」の類型、北朝鮮の脅威=北朝鮮を懲らしめる宣伝。中国の脅威=中国に対抗する宣伝があります。日本人の中には一人一人が確固とした意見を持たない、あるいは持っていてもその意見を言うのを控える根強い「集団主義」があります。政治指導層はこの国民の「集団主義」を利用しようと考えています。

佐藤忠男さんは「草の根の軍国主義」の中で、1934年に作られ、記録フィルムとアニメーションの組み合わせて作った映画で、アジアの解放の戦いという思想を宣伝した「一九三六年」という作品を紹介した後、次のように述べています。

この映画の作者たちが声を大にして主張しているのは、世界は欧米の白人の強国によって分割支配されていて、アジアもすでに大部分は侵略されているなかで、日本だけが勇敢に立ち向かっている、ということです。だから日本は「東洋の明主」として、心あるアジアの人たちを従えて、アジアの解放の戦いをしなければならない、というわけです。その戦いの拠点となるものこそが南は第一次世界大戦への参戦で手に入れたサイパン死魔マーシャル群島などの南方諸島であり、北はなぜか「突如起こった満州事変」で日本のものになった満州国というわけです。

日本が満州を植民地化することに反対した国際連盟に対して日本の松岡洋右が憤然として席を立ち、その3日後脱退宣言を叩きつけてジュネーブを出てゆく様子は、私がもの心ついた頃、最高に格好いい姿として語り継がれていました。この満州が、日本軍が力づくで中国から奪い取ったものであることをこの映画は隠そうとしてはいません。ただしそれは「正義の為」「自衛の為」、「東洋の盟主」としての「使命」のためだというわけです。私がのちに、この満州で日本のための宣伝映画を作っていた満映(満州映画協会)という映画会社の幹部だった人から聞いた話では、当時の満州は主人のいない土地、中国といっても実質中国の中央政府の統治の及んでいない土地だから自分は侵略と思っていなかった、というわけです。ずいぶん勝手な理由だと思います。その勝手さは、満州を拠点にしてアジアを解放することこそが「東洋の盟主日本の使命」だと思い込みで正当化されていました。

ただし、アジアの解放という美名は、本当は怪しいものだということを、子どもだってぜんぜん気がついていなかったわけではありません。それは当時、大人たちはまた、日本は資源もない貧しい国なのに人口だけは多くて食えない人が多いから、満州をとって移民してゆかなければやってゆけないのだ、ということを喋っていたからです。小学生の頃にはよく、故郷の新潟港から出発する満州開拓移民の満蒙開拓青少年義勇隊の見送りに学校で動員されました。動員されるくらいだから満州開拓の意義などは先生から聞かされていましたが、こればかりは応募する気になれませんでした。いくらお国のためだって、町育ちで農業などはやったことの自分が満州まで行くことはないと思ったのです。どうしても日本は人口過剰で、私みたいな学歴も財産もない者はこの国からはみ出してゆかなければならないのだとしたら、酷寒の満州より、どこか南方の方がいいな、と空想したことがありました。南進か北進が。こうなると私ももう軍国主義者に近いところに居たということになるかもしれません。(以下略)

次に現在私が読んでいる戦時中の「こどもの本に描かれたアジア・太平洋」/近・近代につくられたイメージ(長谷川潮著、梨の木舎発行)という本の抜粋です。長谷川潮さんは子供向けのアジアや太平洋に関する教材を紹介した後、次のように述べています。《全体を通じて言えることは、日本はそのすべての地域を支配する(そういう表現は使っていないが)ことを指すのであり、アジア・太平洋の人々は日本に従う存在だということである。そしてそうするためには、米英、なかんずくアメリカをそこから排除しなければならないのだ》と解説しています。

そしてその思想を端的に表明した詩である7連からなる「太平洋」という詩を紹介しています。

かなた、熱帯の海から/流れ起こる黒潮/わが大日本の磯を洗いながら/北上し、東へ転じて/遥かにアメリカの大陸をつく。(第連)

日向を船出して/都したまうた国は大和/わが大日本はおほやまと/また浦安の国であるように/太平洋は/皇国の鎮めよってのみ/とこしへに「太平」の海なのである(第7連)

私は三重県の公聴広報室が作ったホームページの掲示板で、「当時の満州は主人のいない土地、中国といっても実質中国の中央政府の統治の及んでいない土地だから自分は侵略」ではなかったという主張と同類の主張を読んだことがあります。その主張は当時の清朝政府は満州を「毛外の土地」と認識していたから、日本が満州に進出しても侵略に当たらないと主張していました。これは変な主張で満州事変の頃の中華民国政府が、国際連盟に中国の東北地域「満州」における日本の侵略行為を訴えたことを都合よく忘れてしまっています。

佐藤忠男さんが述べた映画の主張《「自衛の為」、「東洋の盟主」としての「使命」のためだ》だという主張や、長谷川潮さんの解説した主張と同じの、大東亜戦争は自存自衛やアジアの解放という史観を根底にして書いた扶桑社の教科書で、現在、子どもたちの一部は教えられています。そして、新自由主義史観の人たちが多く執筆する産経新聞社の雑誌「正論」などは、中国の脅威=中国に対抗する主張が毎号掲載しています。

このような主張は現行憲法の前文にある「平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持」する考え方と対立する考え方です。憲法理念を生かそうとする私たちは新自由主義史観の動きを注意深く見ていなければならないと思います。

新自由主義史観の人たちが安倍政権と連携して起こした、沖縄戦における住民の集団自決死に日本軍の責任がないとする教科書の記述変更は、現在、大きな反撃運動にあっています。従軍慰安婦問題で軍隊の関与がなかったとする主張も国際的規模で批判され主張は退けられています。史実に照らせば道理がない主張です。