いせ九条の会

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教育基本法が求める人間像/山崎孝

2006-05-16 | ご投稿
政府与党は改定教育基本法案の審議を急ぐために特別委員会を、野党の反対を押し切り設置しました。5月16日にはその改定案の趣旨説明と質疑を衆院本会議で行なうと言っています。

特別委員会設置に反対した民主党ですが、自らの改定案を発表しました。それによると自民党と公明党との協議で「宗教的感性の涵養」「愛国心の明記する」という事柄は、公明党の反対で改定案には盛り込みませんでしたが、民主党の案には盛り込まれていて、この民主党の案に同調する自民党の議員がいるといいます。公明党が民主党の案に反対しても民主党と自民党の議員が手を組んで民主党の案を通す動きも出ていると言います。公明党は自民党と妥協して国会に上程したために、皮肉な状況に直面することになりました。

公明党は、統治機構を指す国ではないとして、自民党と妥協しました。それでも公明党が初め主張していたように、言葉は一人歩きする危険性は大いにあります。法律では強制はしないとした君が代と日の丸が教育現場で押し付けられていることを見ればわかります。

先回に述べた竹内浩三は「おれだって、人に負けないだけ、国のためにつくすすべはもっている。自分に合った仕事をあたえられたら、死ぬるともそれをやるよ。でも、キカン銃かついでたたかって死ぬると云うのは、なさけない気がするんだ」と、自民党が考える愛国心のパターンの一つにアンチテーゼを示しています。「死ぬるとも」は、今日においては、一生懸命に行なうと読み替えれば良いと思います。

NHKの番組で韓国ドラマ「クッキ」に次のような場面がありました。クッキは父親が朝鮮半島の抗日根拠地に入る時、母は日本軍の監視兵の銃撃で死亡、医者の父親は生まれたばかりのクッキを友人に自分の財産と一緒に託します。父親の友人の家では母親が性悪のためにこき使われながら学校に通います。学問をするためにその友人の家を離れて現在のソウルに来ますが、病で倒れたところをパン屋の主人に救われます。パン屋の主人は良質のパンを作る職人で、クッキが前に住んでいた地方で当たり前のように行なっていたパン粉を白く見せる為に苛性ソーダーを使用したところ厳しく怒るような人でした。

1945年8月15日、ソウルの人々が大喜びしながら街頭で行列を組み練り歩きましが、それを見てもクッキは何のことか判りませんでした。パン屋の主人はクッキに説明します。

わが国はついに解放された。もう心配しなくてハングルは自由に使える。それを聞いたクッキは、教科書にも日本語は無くなり、日の丸にも敬礼しなくても良いのだと喜びました。

パン屋の主人は述べる。但しわが国が立ち直るのはこれからだ。本当の戦いはこれから始まる。いつか日本を追い越す為にも、今、道を誤ると遅れをとってしまう。その日本に勝つためには、国家は力を蓄えねばならない。

力とは、暴力や武器ではない。自分が行う分野で一流になること、それが力だ。

井の中の蛙ではなく、世界をめざせ。クッキよ、お前がこの先どんな仕事についても良い。しかし、どんな仕事でもその分野の一流になり、真の勝者になることだ。

正直な人生を歩め、正直に勝る財産はない。誠実に生きる者こそ、最後まで生き抜く力を持つ。

クッキは一度だけ会っただけで、何処にいるか判らない父親に言います。お父さん、私は寂しくありません。お父さんの代わりをしてくれる、おじさんがいます。

竹内浩三の考えとパン屋の主人が述べたことに、私は共通点があると思います。

『力とは、暴力や武器ではない。自分のする分野で一流になること、それが力だ』は粛然たる思いのする言葉です。

教育基本法は、教育の目的を 教育は、人格の完成をめざし、平和的な国家及び社会の形成者として、真理と正義を愛し、個人の価値をたつとび、勤労と責任を重んじ、自主的精神に充ちた心身ともに健康な国民の育成を期して行われなければならないと規定しています。

これを読めば、竹内浩三の望んだことやパン屋の主人の望む人間も、教育基本法の目的に適う、一つの人間像ではないのかと思います。

私は戦争をしないとした憲法を守ることが、日本人が住む国を大切に思う心だと思います。