弥彦菊まつり
11月1日~24日 弥彦神社境内
大中小の菊花6000鉢 境内満開
長い時間を掛け自慢の菊 凄く手間がかかる
丹精込めた逸品だ
今年のメーンは上高地がイメージとか 昨日の風でも大丈夫だった
ようだが、
樹齢300年以上の杉の大木が倒れたとのニースも
11月1日~24日 弥彦神社境内
大中小の菊花6000鉢 境内満開
長い時間を掛け自慢の菊 凄く手間がかかる
丹精込めた逸品だ
今年のメーンは上高地がイメージとか 昨日の風でも大丈夫だった
ようだが、
樹齢300年以上の杉の大木が倒れたとのニースも
粟ヶ岳方面から袴腰も危険とか 八木ヶ鼻も登る人は散歩コースのつもりでも
続いているんだよなぁ 運がよければ登れるかと紅葉を眺め スケッチでも
と考えていたが 看板を見たらとても一人では登れない
一昨年は此処の登山道付近でなめこを食べきれないで3軒に分けて
良い思い出があるんだが いくら少なくても なめこ汁位の量は
頂けるのだが 今年はやめだ
笠掘りダムの遊歩道コースで熊に襲われた人があったとの報道も
続いているんだよなぁ 運がよければ登れるかと紅葉を眺め スケッチでも
と考えていたが 看板を見たらとても一人では登れない
一昨年は此処の登山道付近でなめこを食べきれないで3軒に分けて
良い思い出があるんだが いくら少なくても なめこ汁位の量は
頂けるのだが 今年はやめだ
笠掘りダムの遊歩道コースで熊に襲われた人があったとの報道も
下田所々に熊出没中の注意看板あり
今年は下田 加茂 大崎辺りまで熊情報が
どうも山は熊の食べ物が少ないようだ、どんぐりや栗
木々実が少ないのか これではきのこ取りに山に入れない
熊も子連れが多いようだ そんな親熊は一番怖いようだ
山の中に食べ物があれば人里まで来ないんだろうが。
柿は美味しいんだろう 一度味わえばきっと忘れられない事だろう
今年は下田 加茂 大崎辺りまで熊情報が
どうも山は熊の食べ物が少ないようだ、どんぐりや栗
木々実が少ないのか これではきのこ取りに山に入れない
熊も子連れが多いようだ そんな親熊は一番怖いようだ
山の中に食べ物があれば人里まで来ないんだろうが。
柿は美味しいんだろう 一度味わえばきっと忘れられない事だろう
下田の山々の紅葉 今が盛り今週中はまだ良いだろう
晴れた日の斜光で逆光で観る紅葉は一段と美しく見えるんだが
晴れも今日まで 曇り空だが 平日は人が少なくてゆっくり
全山の紅葉が楽しめた
今年は何か黄色が目に付く感じ
つかの間の華やかさ これが終わると もうモノクロの世界
が待っている
晴れた日の斜光で逆光で観る紅葉は一段と美しく見えるんだが
晴れも今日まで 曇り空だが 平日は人が少なくてゆっくり
全山の紅葉が楽しめた
今年は何か黄色が目に付く感じ
つかの間の華やかさ これが終わると もうモノクロの世界
が待っている
桔梗ケ嶽
桔梗が咲きほこる山だったとは
この頂きから弥彦山の山頂が見渡せるし谷を挟んで
弥彦の社も 反対側には 矢作 吉田方面も見えたのかも
又すぐ近くに武将達や人々が集まる平らなとこるが
此処にどんな建物が 食事は
山城は平時は住んでいなく いざ事あるとき 拠点とした所か
規模を知る実測データがあれば見てみたい
1099 越後 越中大地震(参考)
桔梗が咲きほこる山だったとは
この頂きから弥彦山の山頂が見渡せるし谷を挟んで
弥彦の社も 反対側には 矢作 吉田方面も見えたのかも
又すぐ近くに武将達や人々が集まる平らなとこるが
此処にどんな建物が 食事は
山城は平時は住んでいなく いざ事あるとき 拠点とした所か
規模を知る実測データがあれば見てみたい
1099 越後 越中大地震(参考)
古城 桔梗城 天喜年間(1053~57)に源頼光の一族であった吉川宗方が
弥彦に移り住み弥彦神社の許しを得て、桔梗の咲誇る桔梗ケ嶽と
呼ばれたこの丘陵の頂きに初めて城を築き桔梗城と名づけた
宗方はこの城に拠って弥彦神社と弥彦の里を守護していたが
康平6年(1063)世に黒鳥の乱といわれる凶賊 黒鳥兵衛の
討伐の功により弥彦庄司任ぜられその後 益々地方に対しして威勢を奮い
大いに栄えたが 承暦3年(1079)に没したと伝いられる
その後大須賀氏、山岸氏と栄えたが
慶長年間に山岸氏が亡びた後はついに再興されることがなく荒廃した、
(城跡の説明文より)
黒鳥の乱 ーーーー 解かったら教えてください、
解かりました、
11月4日 Google検索 絵草子 黒鳥兵衛ものがたり
イラスト新潟市立黒埼中学校 3年選択社会のみなさん
監修 文 高橋郁丸 楽しいイラスト入りです、
有難うございました、(知りたい方はGoogle)黒鳥の乱 で検索
弥彦に移り住み弥彦神社の許しを得て、桔梗の咲誇る桔梗ケ嶽と
呼ばれたこの丘陵の頂きに初めて城を築き桔梗城と名づけた
宗方はこの城に拠って弥彦神社と弥彦の里を守護していたが
康平6年(1063)世に黒鳥の乱といわれる凶賊 黒鳥兵衛の
討伐の功により弥彦庄司任ぜられその後 益々地方に対しして威勢を奮い
大いに栄えたが 承暦3年(1079)に没したと伝いられる
その後大須賀氏、山岸氏と栄えたが
慶長年間に山岸氏が亡びた後はついに再興されることがなく荒廃した、
(城跡の説明文より)
黒鳥の乱 ーーーー 解かったら教えてください、
解かりました、
11月4日 Google検索 絵草子 黒鳥兵衛ものがたり
イラスト新潟市立黒埼中学校 3年選択社会のみなさん
監修 文 高橋郁丸 楽しいイラスト入りです、
有難うございました、(知りたい方はGoogle)黒鳥の乱 で検索
弥彦城山公園
弥彦神社境内を会場に 弥彦の 菊祭り 秋の風物詩
今日は大勢の観菊者で賑わっていたと思う
紅葉谷はいま少しか 菊と紅葉は平日にゆっくり秋を楽しみに
後日ブログで報告します、
神社駐車場から神社と反対側総合文化会館方面 弥彦の丘美術館
城山公園へ 古城を訪ねて 静かな山道を少し歩けば城跡の面影
整備された道で散策に秋を感じながら 空堀と思われる堀や何本かの道
山頂には桔梗城の城跡 そんなに広くは無いが 古木の松 桜が
そして切り倒した老巨木が まだ此処の木々は紅葉していなかったが、
静かに散歩し鳥の声を聞きながらも良いですよ、
弥彦神社境内を会場に 弥彦の 菊祭り 秋の風物詩
今日は大勢の観菊者で賑わっていたと思う
紅葉谷はいま少しか 菊と紅葉は平日にゆっくり秋を楽しみに
後日ブログで報告します、
神社駐車場から神社と反対側総合文化会館方面 弥彦の丘美術館
城山公園へ 古城を訪ねて 静かな山道を少し歩けば城跡の面影
整備された道で散策に秋を感じながら 空堀と思われる堀や何本かの道
山頂には桔梗城の城跡 そんなに広くは無いが 古木の松 桜が
そして切り倒した老巨木が まだ此処の木々は紅葉していなかったが、
静かに散歩し鳥の声を聞きながらも良いですよ、
10月31日
新潟駅前でのクラス会PM4時から これも遠くからの参加者のためか
久しぶりにお会いする人が多く なかなかお名前は覚えていないので幹事から
名札を付けての参加の要請
皆さんの様子は本当に楽しそうだった、あまりお話した事がない方とも
交流出来たし 最近パソコンを始めた方にブログ メールのアドレス
名刺を渡し メル友にとPRしてきたが、
今回お会い出来ると考えていた方も都合が付かなかった方は良いとしても
体調が良くない方もあり 心配です 元気で次回に
色んな分野で働いてこられた人とこうして交流できる事 そして
高齢者大学に来られた方は 人生 生活を本当に真面目に特に女性は
前向きでお話して楽しい人が多い その陰に大変な苦労もあったと
思うが これからわ 自分の為に自分の時間を
楽しい時間 は早く過ぎます、又よろしく
新潟駅前でのクラス会PM4時から これも遠くからの参加者のためか
久しぶりにお会いする人が多く なかなかお名前は覚えていないので幹事から
名札を付けての参加の要請
皆さんの様子は本当に楽しそうだった、あまりお話した事がない方とも
交流出来たし 最近パソコンを始めた方にブログ メールのアドレス
名刺を渡し メル友にとPRしてきたが、
今回お会い出来ると考えていた方も都合が付かなかった方は良いとしても
体調が良くない方もあり 心配です 元気で次回に
色んな分野で働いてこられた人とこうして交流できる事 そして
高齢者大学に来られた方は 人生 生活を本当に真面目に特に女性は
前向きでお話して楽しい人が多い その陰に大変な苦労もあったと
思うが これからわ 自分の為に自分の時間を
楽しい時間 は早く過ぎます、又よろしく
文永8年(1271年)1月27日日蓮聖人佐渡御流の途中
おりからの西風でこのちにご漂着 近くの岩に衆生結縁と龍神
供養の為に 南無妙法連華経のお題目をしるされた、
これを(岸の題目)と称し当地の下の磯に現存する
道路事情によりこのちに銅像を建立した、
角田灯台下に 海水浴場からトンネルで遊歩道あり
晴れた日に歩いてみたら
日時は碑に書えてあるそのままです
寺泊は説明板 々
おりからの西風でこのちにご漂着 近くの岩に衆生結縁と龍神
供養の為に 南無妙法連華経のお題目をしるされた、
これを(岸の題目)と称し当地の下の磯に現存する
道路事情によりこのちに銅像を建立した、
角田灯台下に 海水浴場からトンネルで遊歩道あり
晴れた日に歩いてみたら
日時は碑に書えてあるそのままです
寺泊は説明板 々
日蓮聖人が文永8年(1271)10月佐渡配流の折に風まちのため
吉川吉広邸に7日滞在した
聖人が此処で書いた上総国中山の弟子日常あての書状は(寺泊御書)
として日蓮宗門で高く評価されている、
其の時に用いた硯水の井戸は今も涸れることなくたいせつに保存されている
佐渡に向かって獅子吼する銅像
昭和39年に建立された 白山媛神社前
吉川吉広邸に7日滞在した
聖人が此処で書いた上総国中山の弟子日常あての書状は(寺泊御書)
として日蓮宗門で高く評価されている、
其の時に用いた硯水の井戸は今も涸れることなくたいせつに保存されている
佐渡に向かって獅子吼する銅像
昭和39年に建立された 白山媛神社前