300年前の庄屋の門
燕し小高土田家は永正年間(1504年)約470年前小高を
開拓草創した家筋
門が建てられたころはの開拓も進み、洪水の危険もおさまり
小高地区が 寛文年間高田藩領になったころ 藩主から土田家の
武具を検分したいとのご沙汰があった と代官から通知があり
土田家では武具百人ぶんのを数台の大八車に積んで代官所へ運び
その後、数日たってもお沙汰はありませんでしたので 恐る恐る
代官所に伺いました 「今の時世に、武具百人分を備えておくとは
感心な心がけじゃ、
もう武具の必要も様も有るまい。土田家が中之口川の治水工事に
尽くした功績に報い代官代理を命ずる」 代官からの達しで土田家に
家屋敷の周りに堀と黒い大門を建てることを命ぜられた。
大門は茅葺で屋根で太い門柱の副柱の扉を取り付けた四柱四ッ足の格式の高い
棟門 武装した騎馬が二頭並んで通過できる大門二町二反歩の屋敷にふさわしいもの
でありました、(現在は瓦屋根に)
燕郷 口碑と伝説 (布施仁作)著 より
燕し小高土田家は永正年間(1504年)約470年前小高を
開拓草創した家筋
門が建てられたころはの開拓も進み、洪水の危険もおさまり
小高地区が 寛文年間高田藩領になったころ 藩主から土田家の
武具を検分したいとのご沙汰があった と代官から通知があり
土田家では武具百人ぶんのを数台の大八車に積んで代官所へ運び
その後、数日たってもお沙汰はありませんでしたので 恐る恐る
代官所に伺いました 「今の時世に、武具百人分を備えておくとは
感心な心がけじゃ、
もう武具の必要も様も有るまい。土田家が中之口川の治水工事に
尽くした功績に報い代官代理を命ずる」 代官からの達しで土田家に
家屋敷の周りに堀と黒い大門を建てることを命ぜられた。
大門は茅葺で屋根で太い門柱の副柱の扉を取り付けた四柱四ッ足の格式の高い
棟門 武装した騎馬が二頭並んで通過できる大門二町二反歩の屋敷にふさわしいもの
でありました、(現在は瓦屋根に)
燕郷 口碑と伝説 (布施仁作)著 より