好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

日本海の荒波でもないが、

2006-11-29 18:04:39 | Weblog
夕ぐれの日本海
曇りで夕日なし どんより波が少し高いが
荒海はこれからが本番で 堤防には近づけない波に
釣り人が2~3人いたが 釣れていない、
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寺泊 愛宕神社初君の歌碑 no4

2006-11-29 17:55:12 | Weblog
滝の隣に石仏が
良く解からないが大分古いようだが
興味がある方 はそんな山道でも無いから
拝んできたら。
珍しい石仏かも知れませんよ?
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寺泊 愛宕神社初君の歌碑 no3

2006-11-29 17:50:55 | Weblog
愛宕神社裏に小さな滝がある
こんな所に滝があるととは
寺泊あたりなら良く知っている積りだったが。

(冷泉為兼は佐渡へ流されてから5年で 召還。)

(1271年 日蓮佐渡に のち4年にしてゆるされる)
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寺泊 愛宕神社初君の歌碑 no2

2006-11-29 17:46:24 | Weblog
寺泊の町中通り ずい道の川端に碑の説明があり山側へ
初めてだが歴史が感じられる小さな神社
境内から日本海がよく見える高台に


寺泊は700年以前から遊郭があったようだし
明治のころにも公娼に 昭和6年で5軒あった
歴史のある町で北前船の海の交通の拠点として
栄えた所だから人の往来も多く 日本海側の三国街道の起点
地蔵堂から与板 長岡 三国方面へ
北国街道、野積~寺泊 山田 郷本 出雲崎に 
北陸から 長野から

十返舎一九の滑稽旅がらす やひこのまちをうちすぎて、
なみうちぎわを たどりたどり3りばかりよきて てらどまりいふ
しゆくにつく(寺泊 山田)
井原西鶴の好色一代男にも 出雲崎いう所に渡り日和を待って明け暮れただも居られず船宿の主を招きこの所のなぐさみ女は
と尋ねれば  いかに北国のはてなればとて 寺泊といふところに傾城町
有りいざ見せもうさばや
(好色一代男巻3)より



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寺泊 愛宕神社初君の歌碑 no1

2006-11-29 17:05:54 | Weblog
寺泊 愛宕神社 遊女 初君の歌碑
1298年(永仁6年)佐渡配流の歌人 藤原為兼が大町の
五十嵐邸(聚感園のあるところ)北越の豪族 (此処にも歌碑有り)
古くてもう文字が読め無い100年くらいの歌碑もある
38日間風待ちをされた時、朝夕奉仕して旅情を慰めたのはこの地の
遊女初君でした
この間に,都の貴人と郭(ひな)の遊女は和歌を通じて心が通い
相互の愛情が芽生えたのであるそして、船出の時別れを惜しんで初君は
和歌を詠みました、

もの思い こしぢの浦の 白浪も 立ちかへるならひ
  ありとこそきけ

この歌は後に勅撰の「玉葉和歌集)に載せられた。

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白鳥

2006-11-29 00:07:41 | Weblog
小池工場団地から116方面へ途中の田んぼの多くの白鳥が
今ごろは田んぼの落穂か2番に延びた稲穂でも食べに来ているのか
前から近くで見られる あまり珍しくも無くなったが朝来て日暮れには
帰るんだが ここらだと佐潟からくるのか、グループがあるらしく
ところ所の離れたところに3~4グループに別れている、10羽から
30羽くらいの集団だ  佐潟まで毎日往復か これくらいなら
丁度良い運動の距離かも。
確かに人がえさを与えたりしないでも彼らは子供連れてきてえさの見つけ方や
危険を教えたりしているのか、 今年初めての子白鳥も 色がグレイ系が子供だ一緒に
遊んでいるようだし、我々は遠くから訪ねてくれることを楽しみにして
今はもう危害を加える人もいないと思うが、
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