好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

国上 乙子神社草庵

2007-12-10 22:41:05 | Weblog
朝薄くもり何とか 今日は天気が持ちそう
そんな事で車で 今年最後の国上~林道長崎線で紅葉 もう
枯れはに近いが ブナ コナラ 辺りの木々の盛り上がるような
茶 黄色の山そして山道には 枯れはの敷き詰められた道、
そんな所を案内しようと出かけたが もう12月は 通行止め

残念もう山道は歩いて味わうしか無い様だ、

乙子神社にお参りして、 此処では神社の境内一面の銀杏の葉で
黄金のジユウタン、
文化13年から文政9年(1816年から1826年ころまで10年ほど
居住していた。
そこは冬を迎え もう少しで雪の中静かな 乙子神社が草庵があった。
同行の方 この雰囲気 歌碑で良寛さんを偲んで頂けた様。

文化13年8月五合庵に 現在の新潟市新津の医者 坂口文仲が下男に酒樽を
担がせておとずれて半日歓談して居る 夏は五合庵に 冬場は此処の庵を
利用して居たのでしょうか。

坂口文仲は 作家坂口安吾の曽々祖父にあたる、

良寛が野菜を摘んで肴にして 茅を切って箸にして歓待した
文中は はぎ箸と世に伝へしを 茅藁箸(ちがやはし)
    花おしみてか 枝をおしみてか、と詠んだ
 良寛は くさのいほなにとがらむ ちがやばし
     おしむにあらずは なおもゑ(ママ)だも




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