好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

和島 良寛の里 子供たち

2007-12-11 17:54:17 | Weblog
良寛の里 和島
中越地震で一時期 展示物が倒れたりで閉鎖されていたが
また久しぶりに今回同行した方と見学、先ずビデオで良寛の
生い立ちや貞心との出会いを見て
展示物見学 とても解説を読みながらでも 難しいが、
これからお正月用に新しく展示が 漢詩の屏風が飾られた所でした、
当時で中国の漢詩や論語物凄く勉強されて居る様。
文字は変体仮名や万葉仮名か それが崩しか?草書体か私の知識で
解かる筈もないが、
別室では書道を書く用具和紙が 書がけないが筆で書いて遊んできました。

入口の前に良寛と子供達の像が。

良寛のこころ (新潟県教育委員会 全国良寛会著)より抜粋
良寛と言うと子供の話が 一緒に毬つきやかくれんぼの話が
逸話が五百話もあるが子供が出てくるのは二十話くらいで
和歌千四百二十首に内十八首 四百五十首の漢詩では八首

どうしてそんなに名高くなつたのか、当時の庶民の生活を考えると
1日中働きつづけて 昼間から子供と遊んでいるなんて 考えられ無い
昼日中、子供の相手をしているのは 知能が低く まともな仕事ができない
者か 子守りの未成年者しかいない。
良寛は托鉢の途中に子供たちから 話し掛けられて子供達の言うままになって
遊んでやったんでしょう、 当時大人たちは愚か者 変わり者に見えたことでしょう、

子供にせがまれ毬つき かくれんぼ 燕で書かれ 天上大風も凧にすると子供に
せがまれて書いたとも、
子供の話が出てくる詩歌を今後少し紹介します、

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