好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

観音寺(松宮)久左衛門の墓碑

2007-01-14 23:24:36 | Weblog
松宮久左衛門 
弥彦南へ約2キロ観音寺の旧道を国上方面に
北越農事の看板を右に
幕末の大侠客 観音寺久左衛門墓碑が
久左衛門は博徒の親分でその道では知られていた
国定忠治 大前田英五郎 清水次郎長と交際があり
信義を守り人望も厚く学問もあった 草鞋を脱ぐ親分衆も
かくまわれた凶状持ちも、
此処観音寺村は与板藩領で用人格の待遇を受け
出雲崎代官所の陣屋の警備も
戊辰戦争で長岡藩 与板藩 会津藩と共に東軍にたって戦い
越後は官軍の勝利で会津、米沢方面に逃れたが捕らえられ
明治6年48歳で病没した。
かっての屋敷は3反歩もあり 大広間でいつも賭場が
開かれていた、任侠映画の話の世界のようだが映画のストーリも
こんな所のエピソードから生れたのか。

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