好奇 高齢者 の呟き

地場産業や蒲原の風景 山 山野草 良寛歌碑、 史跡 旧北国街道を訪ねる、 また聞いたり話した、方言を紹介したい、 

良寛、貞心尼とその敬慕者展 (続) NO 1

2007-06-10 22:26:16 | Weblog
くさのへに ほたるとなりて まちおらむ
いもがてゆ こがねのみづを たふといはば
           はたる
良寛にはあだ名が幾つもある  (ほたる)(かます)
(すがた)(からす)

(ほたる)は毎年蛍出るころになると 山田家を訪れた
こがねのみづ は黄金の水 酒をねだった、

ほーほー蛍 こい あっちの水はにがいぞ、こっちの水は甘いぞ
ほーほー蛍こい こんな歌 は 私たちの方だけの 歌なんだろうか?

蛍は今頃から もう少し してからか たくさん飛んでいた 子供の頃ほたる を
捕まえていた あの光かたが 心の休まるんだ、明るくなったり暗くなったり、
10年位前には我が家の木陰草むらにも飛んできたのに、
ここ何年か岩室の山手の川に観に行く 管理して守っているようだ
山手のような水が綺麗でカワニナ(小さな川の貝)が住んでいないと、
農薬には蛙まで 田んぼで鳴いていない、
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良寛、貞心尼とその敬慕者展 (続)NO 2

2007-06-10 22:20:05 | Weblog
ひさかたの あまぎるゆきと 見るまでに
ふるは さくらの はなにぞありける

(久方の 天ぎる雪と 見るまでに
降るは桜の 花にぞあるける)良寛
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良寛、貞心尼とその敬慕者展 (続) NO 3

2007-06-10 22:19:16 | Weblog
あらし山 紅葉のにしき 中たえて
見ゆるハ 松のたてるなりけり 貞心尼

貞心尼(ます)は長岡藩の鉄砲方の父 60石
奥村嘉七の娘 色白の美人17歳で 関長温の許に
かなり勝気で何でも遠慮なく時には憎まれ口も

当時書が書け歌を詠むそんな女性は田舎では
いなかったろう から色々言われた事だろう
男性には可愛がられたようだ、

奥村家からは現燕市万能寺第13世光大 和尚が
居られます(叔父か)
有願も燕万能寺の6世の住職をしていた、
身近にもそんなつながり感じられる寺が。
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良寛、貞心尼とその敬慕者展 (続) NO 4

2007-06-10 22:17:58 | Weblog
鈴木牧之(すずきぼくし)1770~1842年
江戸後期の随筆家 旧塩沢町出身
北越雪譜 秋山紀行 夜職草 秋月庵発句集 が
良寛 江戸の滝沢馬琴 十返舎一九 京伝 京山
鵬斎 北斎
などと親交が 16歳の時に堀の内に 縮商の修業に
来ていた。
北越雪譜や秋山紀行を出版で大分苦労が有った様だ
2冊位しか読んでいない。 
 
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良寛、貞心尼とその敬慕者展 (続) NO 5

2007-06-10 22:16:47 | Weblog
小杉放庵(こすぎほうあん)1881~1964年
画賛軸 
春の田圃のてまりうた  一二三四五六七-----放庵

明治41年文展に初入選 大正2~3年渡欧
昭和10年~34年帝国美術院会員
新潟県妙高高原で没する 82歳

有名な方なんだろうが画の事は解かりません、
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