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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 51

2024年03月25日 12時01分24秒 | 甲越軍記
 小幡日浄のこと

日々多少の書籍に目を通すが博識というわけではない、されどもその見識眼は確かであった。
もとは遠州(静岡県西部)の国人の生まれで、18歳の時、甲州にやって来て、武田信綱、信虎、晴信の三代に仕えた、忠義は怠りなく武辺は人を超え、戦功数回に及ぶ、今、死の床にあって晴信に「任」の一言を残したのは、彼に一抹の不安あったからである。

晴信は稀代稀なる英雄豪傑であるが、人を見て任ずることが無く、例えば一郡、一村の小城一つ攻めとるにも、自ら采配を振って人に任せず、それゆえ一代休まることなく、村上がごとき人と戦い、また長尾謙信と長き年月を戦い無為に年月を過ごしてしまった、ついには天下を手にする思いにすら届かなかった。
晴信の才知には織田信長と言えども遠く及ばなかった、しかし織田信長公は生まれつきの大器であり、人を選んでことを任せた
柴田を持って北国の管領と成し、滝川を関東、秀吉を中国のなどなど器を見て任を授けられる、これぞ大器という。

日浄は既にこれを見透かして、晴信に諭し、晴信もこれを素直に聞き入れたが、持って生まれた性は簡単には入れ替えることができない
あの孔明のような才気ある人でさえ変わることができなかった
晴信は山本勘助のような兵法武勇が萬人に優れた者、高坂、馬場のごとき者たちにさえついに采配を任せることができなかった。
だから後に三州(三河)沼田(野田)の小城を攻めた時には先頭に立ち、敵の矢玉によって傷を負い、それがもとで亡くなってしまうとは運命とは言えども性分を変えることが出来ず、これ天に定められた宿命であったのだろう。

 


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