神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)

風吹くままに 流れるままに
(yottin blog)

久しぶりの手作り海鮮丼

2024年04月14日 19時05分35秒 | 料理を作る・食べる
 家族の誕生日で久しぶりに包丁を握った
海鮮を食べるのもずいぶん久しぶり、この周りはずっと野菜と豚肉の生活
魚をスーパーで買うのも何かねー とはいうが漁場が点在するわが町では、スーパーと言えども侮るなかれ
バイヤー次第で魚屋並みの新鮮魚はある、優秀な鮮魚バイヤーとも付き合いがあったから「あのスーパーは大丈夫」なのも知っている。
あとは鮮度確認だけ、照明に騙されないためには「魚の黒目が輝いているか」
「魚の表面が乾いていないか」「腹が黄ばんでいないか、痩せていないか」が基準になる。

買ってきた食材 地元の真鯛 以下下ごしらえ終了後写真



地物ヤリイカ

地物 あじ

地物 あまえび(これは水揚げ2日位たっている でも甘みは2日目が一番)
小さく安いのを買って、身は指で簡単に押し出せる 大きいのは高い
小は、これで350円

アジ、マグロ

鯛は湯ぶりして皮つき、  養殖ブリ

ヤリイカの卵とゲソは湯がいて、おつまみ これが最高の珍味

頭と骨、薄腹は割って「潮汁」

完成 ごはん1合たっぷりの海鮮丼 お腹いっぱい





「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 70

2024年04月14日 08時27分10秒 | 甲越軍記
 今日の合戦勝利は、山本勘助の策によるところ功第一等で感状を贈られた
次に春日源五郎が召し出され、「汝、昨夜の夜討ちでは抜群の働きを成し首幾つも取り、明けてもまた優れた働きをした、初陣の手柄まことに天晴である」と貞宗の太刀を与え、源五郎改め弾正の名を与えられた。

春日弾正の出自を尋ねると、もとは甲州井澤の百姓。
春日大隅という者あり、始めは井澤五郎信種に仕えたがわけあって浪人となった
後に没落して(二君に仕える不義はせず)と百姓になった。
間田を開拓して新墾田と成し僅かな年月のうちに豊かになった
大隅には男子なく娘が一人だったので、一族の宗右衛門という者を婿に迎えて家産を譲った。
その後、大隅の妻が四十歳になって子を宿し、無事男子を産んだ、これが春日源五郎である。
年老いてからの子であったから、大隅は目に入れても痛くないほどに源五郎を可愛がった、しかし源五郎が三歳の時、母が死に、十五歳の時には大隅も大病を患った。
源五郎は幼いながらも献身的に父の看病を続けたが、老いには勝てず死期を悟った大隅は、宗右衛門を呼び
「汝をわが娘婿として迎え、汝も儂に従って財を増やしてくれたことわが老後の満足である
しかし死期が近づき、唯一の心残りは幼い源五郎のことだ、汝に頼みがある
この後は源五郎を汝の子と思い、田畑家財の半分を源五郎に分け与えてもらいたい、そうなれば儂も安心して旅立つことができる」と言えば
宗右衛門も「少しも心配しないでください、ここには一族残らず揃って聞いております、五十日の弔いが終わったならば仰せの通り、家産田畑を二分して、その一を源五郎に与えます」と明言したので大隅は安心して冥途へ旅立った。

 ところが、その後五十日を過ぎても、宗右衛門は源五郎に田畑を半分譲ることもせずに知らぬ顔であった
親戚一同が集まって、宗右衛門に「大隅との約束通り、財産畑半分源五郎に早急に引き渡すべし」と言い立てたが、我関せずと無視を続けた。
一族は皆これを憤って、源五郎に「お上に訴えるべし」と言った
しかし源五郎は頭を振って言うに「皆様の御心はまことにありがたく受け止めさせてもらいますが、このことを官に訴え出るのは、父の恥を世にさらすことに等しく、父は公平な人であったから人と争うことも無かった、私にも『姉婿である宗右衛門に背くことなかれ』と言い残された、わが耳にはそれが焼き付いております
しかるに父は、私を深く愛していたがゆえに、いまわの際に心に迷いが生じて、私に『田畑家財の半分を分け与えよ』などと言ってしまったのです
これは平生の父の言とは異なったものでありました
人には幸不幸があり、私が次男として遅きに生まれたのが私の不孝である、決してこのことを恨みにも思わず、当然ながら官に訴えようなどとは思ってもいません」
それでも、一族の者たちは納得せず、皆々集まって訴状一通を作り、明日役所に届けようとしていたその夜に、源五郎は誰にも告げず家を出て行ったのである。

訴状を作った親類たちは大いに落胆した、心ある者は、源五郎が道をわきまえた立派な人であったと嘆いた。