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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた 武田家 62

2024年04月05日 20時27分38秒 | 甲越軍記
 勘助は更に言う
「晴信が合戦に臨み、自ら士卒に混じって他人に采配を任せぬのは好んでのことではない、晴信は未だ、その人を得ていないからである
武田家に名将多いと言えども、古老と称する者は板垣、小山田、甘利である、
まず板垣信形は勇気有りて、強気を頼む心あり
小山田備中守は槍術、剣術において人に超えたる人物であるが知略を用いることはできず
甘利備前守は今ぞという時に進みすぎる気象あり
これによって軽々しく大事の采配を任せることできないのである
足下のような花も実もある豪傑は得難い、これを得賜えて察すれば軍略を任せざることありませぬ、必ず重く用いられるでありましょう
いかがでありましょう、愚将に仕えて、一国の陪臣となりて生涯を終えることなく、某は足下の智略には遠く及ばないが、二人して晴信の傍らにて諫め、軍策を巡らせば天下の主となるやもしれません
主を選んで動かぬうちに時節は去り,そのまま朽ち果てることも無いとは言えませぬ
今この機会を天の与えた機会と思い仕えてはみませぬか
晴信が足下を迎え賜えばそれに乗りたまえ、晴信の天下の英雄の才が無いとしても足下の子孫が諸侯の位につくこともあるやもしれません。
前年、足下は某と固く約束をした、『互いに仕官なすときは、同じ家に仕えん』と約束したこと、わが耳には残りて忘れません
その約束があったからこそ、ここまでやってきて仕官を勧めたのです
われもまた晴信の面前にまかり出て足下の才を訴え推挙を申し上げた
晴信も快く、これを受け入れて『すぐにでも甲府へ召し連れて参れ』と仰せになった
それが、いかに勧めても幸隆は当家へ参らずと何の面目あって主人の前に出て申せましょうか、その道理をよく考えてもらいたい」
とあきらめずに勘助は勧めてやまない
ついに幸隆は根負けして「先約をむなしくするのは大丈夫の致すことではあるまい、甲州に旅立つことといたすので、数日の猶予を頂き、その間わが家にてご逗留いただきます」
数日の後、真田幸隆は旅支度を整え妻子を伴って、勘助と共に甲州を目指して旅立った。

(勘助が申した通り、真田幸隆の子孫は徳川の外様大名となり明治維新まで信州松代10万石の大名として続いた)