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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (125) 長尾家 38

2024年06月29日 10時31分44秒 | 甲越軍記
 照田常陸介、黒田和泉守、金津伊豆守の親子は府内の城を攻め落としたのち、蒲原郡に去って、三条の長尾平六郎俊景に合流したので、俊景は大いに喜んだ。
俊景の勢いはますます増して、中郡から下郡にかけての広い範囲に勢力を張った
まずは河西の城に照田常陸介、金津伊豆守の親子を入れて守らせ、黒滝の城には森備前守、新川砦には山下又左衛門、刈羽には世良田九左衛門を込めて、中郡の敵を防がし、村松の城には野本大膳、安田砦には篠塚憁左衛門、菅名砦には蔵王堂式部少輔、新潟の砦には森岡十左衛門を込めて下郡の上杉方をけん制する。

なおも近郡を従えるために、大将平六郎俊景中軍に備え、黒田和泉守、八条左衛門大夫、五十嵐小文四、風間河内守を先手として、西古志山東郡を討って威を示し、降参してくる者も多く、今は恐れる敵は無しといえども、まじかの栃尾には喜平二景虎、幼きとはいえ天性英勇の器であるといわれ、後々の災いになるべき者、いまのうちにこれを討ち果たすべしと間者を栃尾に送り調べると
景虎は栃尾の城で本庄美作に匿われていることがわかった。

俊景はこれを聞いて、「景虎未来の大器と言えども今はまだ童なり、府内の兄、晴景は四十になるが病気の愚将なり物の用には立つまい、本庄美作は勇功の忠義者だが小身で無勢なれば恐れるに足らず、勢いの小さな今のうちに討ち果たすべし」と言い放ち
黒田、八条、風間、五十嵐を先手として、平六郎中軍に、山下、森、蔵王堂を後陣として栃尾に攻め入った。
一方、これを聞いた栃尾では急ぎ、大石、大木を城内に運び入れ、宇佐美にも伝令を飛ばし敵襲を伝えた。

俊景の先陣は、一揉みに攻め落とさんと城門に攻め寄せた
鬨の声を揃えて柵際まで攻めたが、城内は音もなく人無きように見えた
黒田、八条は不審に思い「これは我らが大軍故に驚き、すでに城を放棄して逃げ去ったのでは」と顔を見合わせた。
なればと、柵を倒し踏み越えて土塀の下まで兵が進んだ、そして土塀に取りつき先を争って登り始めた
そのとき合図と思われる銃声が響き、城中から「どっつ」と鬨があがり、上から大石、大木が落ちて来た
攻め手は坂の途中、落ちてくる大木、大石に跳ね飛ばされ、なぎ倒され死者、手負いは数知れず、土塀下に降り積もって潰されていく
たまたま助かった者も、手、足を折られて働くことならず、後陣の者どもはこれを見て恐れ、前に出る者なし
「いまぞ」本庄美作は城門を開いて二百騎を自ら率い、慌てふためく大軍の中に攻め入る、先陣の風間、五十嵐勢はますます混乱して崩れ去る
黒田和泉守はこれを見て怒り「敵は小勢なるぞ、何をしておるか、攻めつぶせ、押しつぶして付け入れ」と叱咤する
しかし崩れて恐怖におののく軍兵の耳に入らず、散々に逃げ惑う
美作守勢、これを縦横無尽に斬りまくり、勝どきを上げて悠々と城内に引き上げた。

俊景勢は初戦に敗れ、力攻めをあきらめて、城の周囲に三か所の砦を築いた。


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