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「甲越軍記」を現代仕様で書いてみた (165) 長尾家 78

2024年08月10日 09時31分09秒 | 甲越軍記
 金津伊豆守、死を覚悟しての突撃なればすでに人にあらず、鬼人の如く当たるを幸いに斬りまくれば、宇佐美勢はしどろとなって近づく者なし
それを歯がゆく思った宇佐美の勇士、塚田嘉右衛門は名乗りを上げて、血糊が突いた大槍をしごいて、大将めがけて突いて懸かる
金津の勇士、松田主計、これを見て塚田に挑みかかった、互いに喚き合いかかりあうところに松田を助けんと澤鉄五郎が助太刀に入る
澤鉄五郎は大太刀を振り回して塚田にかかる、宇佐美の中からも土岐掃部、鉄五郎に打って懸かれば、互いに人も交えず戦うありさまは真に勇ましき限り

金津の勇士らは、そこここに戦って討死するもの三十人余り
伊豆守も槍をしごいて宇佐美の勇士らと戦うところ、塚田嘉右衛門は大将首を狙ってかかったが松田主計に邪魔されて、しばしこれと討ちあいついに松田の首をとり、それを引っ提げて再び金津伊豆を探した
遥か向こうに戦う金津を見つけ「大将首は我がものなり」と馬を急がせる
金津の残兵も僅かとなり、力衰えれば伊豆守も疲れて太刀筋乱れるを見て
嘉右衛門は「得たり」と一声発して近づく間もなく伊豆守の鎧の隙間を岩をも通れとぐさりと刺せば、その穂先は二寸ばかり背に突き出て、伊豆守たまらず槍玉に挙がって討死となる。
大将を討たれた残兵らも八十余騎、思い思いに戦いの中で討死する

この日、府中勢が討ち取った城方の首は二千五百余級、宇佐美駿河守は城内を見聞した後、討ち取った金津の首と二千五百余の首を棒に結いつけて、数百人の雑兵に持たせて府中へと運んだ
道中、見る者みな肝を冷やし「なんと多い首であろうか」と驚き、こぞって見物すること、まるで市のようであった。

三条、新山、黒滝に反旗を翻していた照田、金津、黒田の親子を攻め落とし首を取り、すでに国内を統一したと同じであれば、景虎の武威、名声は日増しに高まり、これまで長尾に背いていた諸侯もみな景虎を恐れて首を垂れて旗下に属す。
まさに飛竜の天に上るが勢いであれば、その名声は都にある足利将軍義輝公の耳にも届き、景虎若年ながら越後を統一した軍功は抜群なりと御内書を賜い、その上、白傘袋、毛氈の鞍覆いを許される。
大覚寺の門主もまた御書あり、大舘左衛門左晴光(室町幕府の重臣、足利義晴、義輝に仕える=長尾景虎との交渉役、接待役を仰せつけられる、官位は従四位下)も書札を贈り足利家の旨を通ず、このついで管領上杉兵部大輔憲政も使者をもって懇意を請えば、景虎の面目身に余り、これすべては諸将の力によるところ也と、本庄美作、宇佐美駿河、柿崎和泉、高梨源三郎、本庄孫次郎、新発田尾張、大熊備前、斉藤下野、竹俣三河、只見次郎左衛門、直江山城をはじめ、近年の逆徒退治に軍功ある諸士に各々新恩(新たな領地)を与えた。

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