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昭和の日 つづき

2023年05月01日 16時42分11秒 | 時代検証
昭和を考えた時、なぜか昭和50年から60年の10年間の世の中の様子が思い出せない
年齢で言えば25歳から35歳、そうだ結婚して子育てと仕事で精いっぱいだった頃だった・
世の中はまさにバラ色で、とにかく景気がどんどん上昇していた
田舎町でも、パパママストアーの魚屋、肉屋、八百屋、雑貨屋の中から営業成績の良い店は、総合店舗いわゆるスーパーマーケットに転換していく時代だった。
我が家も魚屋オンリーから、野菜、食品(缶詰とかマヨネーズとか)、精肉、雑貨(洗剤、ちり紙など)まで並べるようになり、売り場面積も3~4倍に広げた
それでも町の中心商店街では衣料品店が地方デパートに転換したり、もともとの食料品店が50坪ほどの広さに拡大したりしたから、我が家ような20坪ほどの店舗では太刀打ちできなかった、それでも負けずに毎週チラシを入れ、卵や砂糖、洗剤の特売を行った。

やがて地方デパートから声がかかって、鮮魚部門がどうしても難しいので専門店に入ってもらいたいとオファーが父のもとに来たのだ
父は一つだけ条件を出して受け入れられたので、テナントとしてデパートに入った、ここで父子は別々の店を経営することになった。
(条件に付いては長くなるから書かない)

これから10年くらいの間紆余曲折があり、36歳の時、この店を他人に譲って
私は料理店の板前として入った
魚屋から、割烹の板前に「へんんし~~~ん」というわけだ
どちらもできるところが私の特技といえたが、生活は180度「へんし~~んん」
日曜休みの魚屋から、不定休の料理屋になり、売り上げも魚屋の時の3倍以上になったから家庭サービスは無くなった
家庭と育児を放棄したようなものだ、土日は冠婚葬祭が多忙で朝5時から深夜まで働きずくめ、子育てどころでなかった。
残業時間(考えたことも無かったが)が月100時間になることも珍しくない
週休2日制、週40時間労働制なんて、そんな時代になるなんておもったこともなかった。40時間なんて3日で達成した。
このあたりが昭和の団塊世代、バブル戦士の悲劇であった

どんな仕事についても忙しいことは同様だった時代、我々の反面教師が「ゆとり世代、ゆとり社会」に反映され、それはそれで後に問題になったのだ。
昭和生まれと、平成生まれでは全く異質の日本人に見える
祖父と孫世代、明治の祖父と昭和の孫以上に理解しあうことが難しい

昭和は遠くなりにけり、まもなく昭和100年を迎える
昭和時代が戦国時代と言われるような時代が来るような気がする。




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