神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

 ノスタルジア

2023年10月14日 17時05分53秒 | ドライブ
 新潟県の柏崎から新潟市まで国道116号線がある
20代の頃、県境付近から時々気まぐれに走って116号線に乗り新潟市まで日帰りで行った。
 あの頃はまだ北陸高速道も無く、その後新潟市から南西に向かって少しずつ完成していった。

 三島郡(さんとうぐん かっての三島郡三島町は『さんとうぐん みしままち と読む』)
から西蒲原郡の、丘陵に挟まれた細長い痩せた平野部を抜けていくと、やがて大河津分水を抜け吉田町に入る
すると広大な蒲原平野が広がった。
このあたりでは吉田町は基点地方都市であるが(今は燕市となった)、それ以外は小さな農村が幾つも古い民話の世界のように点在し、その一つ一つが「日本昔話」に出てくるような
あるいは原田泰治さんの絵のような村祭りや神社が見えてくるような村の景色であった。

 それから北陸道が全通して、新潟市と言うと便利な高速ばかり走るようになった。 
あるとき思い立って116号を走って見たが、もうあの景色はなく、北陸道にも劣らぬような立派な国道になっていた。

 いったい、あの日本のふるさと田舎風景の116号はどこへ行ったのだろう?
探してみるが見えない
便利にはなったが旅愁を想うあのノスタルジアの世界は消えてしまった
否! 消えてはいない、確かに今もあるのだ
現代の便利さの陰に隠れて、見えないどこかでピーターパンのネバーランドやドロシーのトランプの国のようにひっそりと存在している。

同じような道は各地にあって、長野県の白馬村から長野市に抜けていく嫌になるほど曲がりくねった川沿いの細い山道は、オリンピック道路に姿を変えたが
その両サイドにとぎれとぎれで存在している。
そのノスタルジアを体感したければ鬼無里村から七二会を通って長野市に続く山間の街道を走って見ればよい
ここには今もネバーランドが存在している。

いつか(もう『いつか』に期待する年齢ではなくなった)失われた昔道をとぎれとぎれでも良いから走って昔の記憶を呼び戻したいと思っている

富山県の県道1号、2号にもそんな雰囲気が残っているので、今はその道を良く走る。
齢をとるほど思い出が増えていくのは当然の理であるが、記憶が薄れていくのも理である
そんな消え去った記憶をときどきよみがえらせるのは古い時代の道である
20代から走りまくった、信州の山の中の道をおさらいの気持ちで(いつか)もう一度走りまくって見よう。

走りまくった思い出が多いかっての相棒「セフィロ」 良い車だった
40代半ばから50代半ばに2台のセフィロを乗り継いだ、これはラストバージョン。