神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

ドラッグストア

2023年06月30日 10時46分09秒 | yottin日記
チェーンのドラッグストアがまた2店舗開業した、これで6店舗目だ
人口の少ない田舎町になんでこんなにできるんだろう?

ドラッグストアと聞いて最初は薬屋の大きい奴だと考えた
しかし薬売り場は五分の一以下で、日用雑貨、お菓子、ドリンク、化粧品などが大部分を占める
今度オープンの店は魚、肉、野菜の生鮮三品のほか、持ち帰り寿司のチェーン店がテナントで入る

おそろしい世の中になったものだ
平成生まれであれば気づかない社会の変化も、戦後まもなく生まれた私たちは見てきた。
戦争で都会の商業はご破算になった、アメリカ軍の空襲で町ごと焼き尽くされたからだ
昭和30年代になって小さな商店が雨後の竹の子のように誕生してきた
それに伴って、国や県の許可を必要とする問屋もでてきた。
生産者(工場)→一次問屋→二次問屋→商店→消費者という構図だ
しかし昭和50年前後からこの形態は小さな商店だけで
生産者(工場)→一次問屋→大型店→消費者  一部では生産者(工場)→大型店→消費者という独占的なシステムが構築された。
大型店にはより安く、より多い商品が集まり、より安く販売する、これでは日本中でパパママストアが閉店していったのは当然のなりゆきだ
どこかで国も零細商店の保護をあきらめたのだ、昔は地方に中央の大型店が出店するときには*千平米以上は禁止などというお達しがあったが、それも反故になった、抜け道はどうにでもなる。

こうしてわが町のような田舎町には個人商店がほぼなくなった、我が家もその一つだったが昭和には50店くらいあった魚屋小売店が、今は5店舗位で細々とやっている。
八百屋はどこにあるかわからない、ないかもしれない
いやあるある思い出した、お客が減ったので腐りやすい野菜は市場で箱単位で買えないから、大型スーパーで必要量だけ買っている
これはもう食料品店というより、小さな過疎地域の奉仕店と言った方が良い

ドラッグストアにもどる
先日A店に行った、ここのレジはスーパーのようにレジが駅の改札のように4つ並んでいて、暇なときは一つしか稼働しない
混んでくるとマイクで店員を呼んでもう1つ動くと言ったスタイル、支払いは機械で清算するスーパー式
この日は一つのレジに客が4人ほど並んでいて、私たちは3番目だった
店員は若い娘で今風のお姉さんだった、客と目を併せずなげやりに「いらっしゃいませ」とぽつりと言った、見るのは商品だけ
顔を見ると(なんでこんなに忙しいのよ)という険しい表情
この店は若い店員はほとんどこんな具合だ、数人いる中年店員だけが客と目を併せる、だが日増しに目の輝きが無くなっている

この日のお姉ちゃんは酷かった、、女房殿が商品を持ってくるのを私は精算機の前で待っていた
ところがなぜか女房殿は商品を持たずに精算機の前にきた、レジと精算機はテーブルでつながっていて距離は数十センチ
「もってってください!」店員がヒステリックに叫んで顔もあげずに、商品が入ったバッグを我々の前に放り投げた
頭にくるより呆れてしまって口もあかない、ここで怒鳴れば頑固老人がわがまま言って娘さんを虐めているとも言われかねない
ここは黙って出て来た、会社に投書しようかと思ったが意味が無いのでやめた

B店へ一昨日行った、雑貨を一個750円買った
ここのレジは病院スタイルで窓が3つ並び、少なくとも2つはいつも稼働している、支払いは対面で、もちろん店員は立っているが
ここの店員さんは美人さんが3人くらいいる、しかもどの子も愛想がいい
「袋ありますか」「お入れしましょうか」「スマホにこの店のアプリは入っていますか」アプリの入れ方を親切丁寧に教えてくれた、そのおかげで薬はいつも15%引きだ。
一昨日は「750円です」財布をだそうとしたら
「今月で切れるポイントがありますから使いますか?」「ああそう! いくら払えばいいのかな」
「全額ポイントで払えます」「へえ・・これは儲かった」「はい」
帰りがけに「ありがとう 親切な人だね」と笑顔で言った。

よほどのことが無ければ今後はA店には行かないだろう。

愛用している「ユンケル錠剤」、ドリンクは高すぎるのでこれで代用
キャベジン、しょっちゅう胃痛が来る私には欠かせない