私は盆に自分の直系の墓参りというものをしたことがない
そもそもわが家は数百年の歴史がある家だとわかっているのに、わが家にはお墓が無い
だから盆になると、地元にある母の実家のお墓参りに行く
父が成人した頃には、茨城の古河に父の義祖父が建てたお墓があったけれど、戦争に
紛れて無縁仏として処理されて、お墓は無くなってしまった
それより先の先祖代々の墓が栃木県の大田原にあるはずだが、明治40年代に
没落して、父の祖祖母、祖母、まだ幼児だった父の母の女3人で宇都宮~古河へ移って以後、
その先祖の地を訪れた形跡が無い、だからお墓も所在しれずだ
栃木で1000年近く続く本家から分家して私で15代目だという、生きてきた先祖の名前と住所が
8代前が生まれた日から250年間までわかっているのに、お参りする墓が無い家
父も私も直系で有りながら、そういった様なのである。
だから父は決断した、お墓は建てない、「共同墓地に入る」と
最近良く耳にするのは「誰がお墓を守っていくかということだ」、子供が1人か2人、大概田舎と
親を置いて都会に出て行く、新しい家族を持って帰ってこなくなる
あるいは結婚しないで気ままな生活を送る、もうそういった子供たちは墓掃除などにやってこない
来たとしても、その次の世代は父の田舎など忘れてしまう。
こうして田舎の墓は雑草に覆われ、崩れ去る。 だから共同墓地はいいと・・・・
だがこれからは、村そのものが過疎になり、廃村になっていく
この地域でも数十年後には住民が一桁になると予測された集落がある、そこには新入生1人という
現実が既にある。