神様がくれた休日 (ホッとしたい時間)


神様がくれた素晴らしい人生(yottin blog)

国営越後丘陵公園で夢を見ていました

2015年09月17日 21時47分56秒 | ライフスタイル

夏休みも終わり、お客さんもこの広い中ではまばらです

入園するとコスモス広場へ直行

まだ早いですけど、一部咲いています 色とりどりに

コスモスは葉の部分でしょうか?緑の茎葉が好きです

金魚草みたいで、すずしげです

コスモスというと信州の田舎の風景を連想します

可憐です 好きです

 

 

広場を抜けて、436段の石段をまっすぐ一息、休まずに登り切った

まだまだ元気です 体力を確認しました 安心です

小学生の遠足が6人ほどこの高台にいます

僕はベンチに座って広いこの地を見ています

 

「カマキリ捕まえた!」 「わっ!凄い 大きい!」

捕まえたのは女の子です 驚いているのは男の子です

「集合だよ」別の子が言いました

みんな436段の石段を下りていきました

誰もいなくなって静かです  本当に静かです

秋の風が 暑くも無く 寒くもなく 涼やかに何度も何度も過ぎていく

ずっと考えていました 8000の兵で 15000の敵をどう迎え撃つか

ここはまるで本丸 本陣です

地形が一眺めです

どう考えても守るには不適切な地形です 敵の雑兵が上ってきました

もうダメ! 討ち死にゲームオーバー

 

ベンチに横になった 良い風です まだ吹いています

うとうとします 誰もいない平和な世界です

みんなこうして寝れば良いのです

日本人も 朝鮮人も 中国人も アメリカ人も イスラム人も

そうすれば世界は平和です

世界の首脳に提案します

軍艦より 風通しの良い丘陵にベンチをたくさん作ってください

寝るのにちょうど良い長さと柔らかさで

 

金儲けの亡者は、金儲け島に集まって戦えば良い

殺しあいが好きな連中は 殺しの島に集まって殺し合えば良い

僕らは丘の上のベンチで 秋の風を楽しみながらまどろむのです

 

 


弱い国が生き残るには犠牲がついてまわる(負けるが勝ち)もある

2015年09月17日 13時34分25秒 | 韓国.北朝鮮.台湾.中国

500年の昔、今の愛知県岡崎市に、徳川家康が生まれた松平家がありましたとさ

位で言えば、岡崎市長といったところ

その頃、愛知県半分と静岡県全部の知事をしていた大権力者が今川義元

松平の西には愛知県半分の郡知事織田信秀が睨んでいる

織田は数千、今川は万の兵を動員できる実力者、松平はせいぜい数百

どちらかにつかないと、すぐに滅ぼされてしまう危ない立ち位置

家康の父は今川に付き、戦の度に今川の先兵となって次々に戦死する

さらに今川を裏切らないように息子の家康は今川の人質になって静岡に置かれた

年月が経ち、父が死に、家康は今川義元のために織田と戦い続けた

織田家も織田信長に代替わりした

家康は今川の重臣の娘を娶り、男子も生まれた

ついに今川義元は数万の軍を率いて、京へ上ろうとした

最初に邪魔な織田を滅ぼす

だが織田信長は一か八かの奇襲で今川義元を殺した

形勢は逆転、今川は凡人の息子が後を継ぎ、気骨ある者は今川を見限った

家康も今川を見限り、故郷の岡崎に入城した

そして新進気鋭の織田信長に寝返って、今川の領地を侵略して領土を広げた

信長も岐阜県、滋賀県、三重県を侵略して今や有数の大名になった

 

山梨県、長野県をおさめる戦国一の戦上手の大名、武田信玄が攻めてきた

狙いは織田信長。 

徳川家康など小者は相手にしていない、家康の住む浜松城を素通り

武田が攻めてこないからと、知らぬ顔では後々、織田信長の怒りに触れるだろう

織田は強力な同盟国、その同盟国が攻められれば家康も織田を守るため

戦わなければならない、それが同盟国というものだ

そして出陣 さんざんに負けた 命からがら城に逃げ戻った

だが信長には義理を果たした

その後、まもなく織田と戦う前に武田信玄は病で陣中で死んだ

織田信長の強敵は無くなった

唯一の脅威、上杉謙信もまもなく死んだ

信長は家康を試した、家康の、妻と長男が今川のスパイらしいから「殺せ!」

家康に命令した 家康は信長の言うとおりに二人を殺した

苦渋の選択  国を滅ぼすのか、家族を殺すか・・しかもできの良い長男と落ち度のない糟糠の妻

家康は妻子より国の安全保障を選んだ

 

信長は8割方日本を手中にした

西は岡山県、鳥取県、北は富山県、東は群馬、長野まで領地に加えた

家康もかっての今川義元の大領地を得ていた

 

敵なしの信長が家来のクーデターで殺された

犯人は明智光秀

あっという間に光秀は、同じく信長の家来だった秀吉に殺された

秀吉は信長の主立った家老たちを殺すか部下にするかした

秀吉が天下を9割手に入れた

家康は信長の息子(凡人)に義理立てして、秀吉と戦った

秀吉と家康は、互いに力量を認め合って仲間になった

見かけ上、家康は秀吉の下手になった

 

自分の故郷、文化的な愛知県、静岡県を取り上げられて

かわりに関東一円の広大な荒野と未開地を与えられた

秀吉は家康が怖かった、だから未開の遠くの土地にやったのだった

それでも家康は耐えて臣従した

それから更に25年、家康は辛抱を続け

秀吉が死ぬと、3度にわたる全国的な大戦を行って

ついに日本の武家の王となった

徳川家は明治に至るまで260年武家の王座を守った